【讖緯説(那珂通世・説)は…デッチアゲ説】の証明 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

 …此のブログの下記(下線入り文章)に記す讖緯説辛酉革命説と言う書き出しで始まり…【注②辛酉革命説】は「デッチアゲ説と記した文行迄(下線入り文章)の、其の文面は、昨年、つまり、「2012年12月14日・ブログ記事」をコピーし、此処に貼り付けた文章で有ります。

…敢えて、此処で、其の文面に関し、補足する意を強く感じたのは、昨年(平成242012年)迄は、未だ、我が、【最終的宣言】、乃ち、


秀真 太郎[6/28 17:59]
ブログを更新しました。『「彼女の母の秘密の言葉の成就finish)…【元始日本語の起元解明を我は此処に成功せり】…』http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11389687398.htmlと成す、ブログ記事内容に言う、彼の当時の、彼の時(喫茶ラブリー閉店間際の出来事)の出来事に対する説明を、後から店の奥から出てこられた彼女のママ(お母さん)が説明してくれた、其の言葉(秘密)の語彙に対し、其の時の私(筆者小島,宏)は、「彼女の其の深い思い」を…「私も深思に受け止めた」からこそ、後年、つまり平成25年20136月28日投稿」に言う

 …《彼女の母ママの秘密の言葉の成就finish)…【元始日本語の起元解明を我は此処に成功せり】》 と、成す我が【最終的宣言】が、未だ成しておらなかったからで有りました。然し、其の【最終的宣言】(彼女のママの言葉の成就finish)…つまり、其の最後の問題の解明(秘儀数値を以てのムハンマド昇天年との関連性に対する研究)に決着(今年の6月)した事を以て、更なる、讖緯説の否定的答えをハッキリと明記しておく必要が有ったからで有りました。



 …讖緯説辛酉革命説)】の那珂通世は、紀元前に於ける、「秦(秦始皇帝)の二十六年(前221現行暦は庚辰年で有るが那珂通世の文書は干支の記載無し)にして、我が起元四百四十年なり」(221+440=661那珂通世は数え年の計算をしたとすれば?で有る)と記述し、又…「哀帝元年(紀元前6…乙卯年)在位六年(6年後は紀元前1年…庚申)にして崩ず」…等と有る。乃ち、那珂通世の『支那通史』(全三冊・和田清…訳者)の文面に於ける其の部分の続きは…「太皇太后使を遣して馳せて莽を召す。薫賢自殺す。莽を以て大司馬と爲し、尚書の事を領せしむ。(中略す)」…等と有ります。そして、其の後の記事の内容を要約すれば…「此の年は平帝の元始元年(現行暦・庚申)・我が紀元六百六十一年西洋紀元元年なり」…と記されていますが、干支年は記載して有りません。然るに、此の『支那通史』の紀元前期、及び、後期の節目年に於ける紀元前後の歴年的年数に対し、[兄弟干支では無い)]が、何故か、記載されていない。追記→なのに…「どうして那珂通世は讖緯説に言う辛酉革命が唱えれるのか?」…が疑問で有りますハッキリ言えば、此の[平帝・元始元年]を[辛酉年]と設定しての讖緯説では有るが、原点的考察を以てすれば、此の年の干支年は…現実的に解せば[庚申](此の年の1年間は全くの政治空白の期間と成っているつまり此処は計算的ゼロ地帯と考えられる?)の年に当たる計算(武帝の太元元年に言う現行暦は丁丑然し現実的な紀元前104年は丙子で有ったとされている)で有ります。従って、我が国に於ける讖緯説、乃ち、「辛酉革命説」は、「デツチアゲ説」で有ったと言う説が此処に成り立ちます。(注①から注②迄の行間の文書は「2012年12月14日のブログ記事」の貼り付け文章を用いております)。


 …上記…那珂通世の讖緯説に言う…「秦(秦始皇帝)の二十六年(前221・庚辰年)にして、我が起元四百四十年なり」(221+440=661・数え年方式)…と成す、其の【干支年記入方式】は、我が日本国の歴年的皇統に起元(初代ホツマ国王の起元暦に始まる)を有す、【エト暦兄弟が語元で有る)】が成せれる技術で有ります。然るに中国の漢字表現に言う…【通年的・踰(ユ)年称元法(翌年元年)】で有るからこそ、我が日本国の歴代天皇の歴年に対し、【エト(兄弟)暦】を用いて成す、【国家起元・元年】からの通年式歴年(兄弟暦)数値が合致させれる暦年記入方式で有ったと言う事で有ります。然して、那珂通世は、古来からの中国に於ける歴代王統表に為す…[立年称元法(即年元年)]方式を無視し、我が国の…つまり…「今に言うパクリ方式」…を以て為す歴年に合致させようとするも、何故、「元初的・中国の国家成立年が【甲子年】(干支は甲子に始まる)に設定されていないのか??」等の問題に関し、適切的な答を見出し得ていなかったので有りました。

 
  …我が日本の【ヤマト国家起元元年暦歴年】に関連する数値(日本神話から続く数値)、乃ち、「179萬2470年」(『日本書紀』に記載有り)と記す数値は、【ユダヤ民族暦3760年西暦元年)】、及び、[ムハンマドイスラム教の開祖)]に於ける【ムハマンドの大巡礼ハッジ632年)】。此の【ハッジメッカへの大巡礼)】の時、「ムハンマドの直接指導による五行信仰告白礼拝断食喜捨巡礼)』が定められたとされ、此の年が【ムハンマド昇天(息を引き取る)】とされていますが、此の時の…【ムハンマド・昇天年・数値(秘儀数値・70を含む)】…は、我が国の、【伊勢神宮建立年垂仁天皇26年)】に当たる【ホツマ歴年)・数値】と関連する数値で一致しております。

 
  …然るに、此の上記に言う[秘儀数値]が意味する処の、其の数値が行き着く処は、ダビデ(イスラエル民族国家の初代の王)の数値に有って、其れはJerusalemイェルサレム)・昇天年】(http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11553863181.html)…に集約される数値で有りました。

 …然るに…『秀眞伝(ホツマツタヱ)』文書の[奉呈文書(序章)]に記載されている…乃ち、



 …(前文及び後文を略す)…「キミガヨノ スエノタメシト ナランカト オソレミナガラ ツボメオク コレミンヒトハ シワカミノ ココロホツマト ナルトキハ ハナサクミヨノ ハルヤキヌラン」(オオ タタネコ記す



 …此の『秀眞伝』 の[序章]に記載された文書内容は、[大物主(三輪)]に因る「ノコシフミ(遺文)」(逸文・タケヒト即位以前期)に対し、更に、ミマキイリヒコ(崇神天皇)の時として、追記、編纂された文書として奉呈された事等が記されております。然るに、元来、【元始・ヤマトコトバ】に於ける【フミ】の字義には、【踏む】(ヤマトの語元にも通ず)の意も含まれていて、其れは、我が国家的将来に於いて考えるとすれば、【ヤマト国家】の舵取り、或いは、困難期に於いての【道標的】内容が込められた文書(『秀眞伝』 )とも受け取れるので有ります。

 …然るに、現在(21世紀)に於いて、其の将来的観点、乃ち、「21世紀世界平和・融合の時代」に於いて、我が国の是れからと致しましては、【イスラム社会国家】との友好的戦略を考える時期に有るのではないかと私は思う次第で有ります…然るに、此に先立つ事として、先ず考えねばならない事は、【ハラル】、つまり由来食品の禁止ハラーム・حرا haم‎rām…の語彙は「ハーレム」が語源とか?・禁止を意味する)》 に関する早急的な取り組みで有ります…。