【彼女の母の秘密の言葉】成就(finish) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

★「平成23年=2012年10月17日に投稿」~最投稿は「令和3年=2021年09月13日・月曜」~


本文はここから……【元始・日本語の起元解明を我は此処に成功せり】

 

…此処に言う、『黄槿の花の下で』(昭和62年12月31日・夜…執筆完了)とは、昭和時代の終わり頃の投稿募集雑誌中に見出した「大賞」(昭和62年度投稿募集)に、当時、私が投稿した文書の表題の名称で在ります。其の中で、松村和美さんとの 際会byChance)に至る部分を少し抜粋しながら、私が過去に辿った道中(インナートリップの旅)での出来事等を、再度、此処で思い返しながら、今日に至る迄の出来事を簡単ながらも書き残しておきたいと言う思いを以て…つまり、「思い付いたが吉日(2012年平成24年10月25日木曜現在)」…と言う次第です。従って、私が死ぬ迄に、これ迄の経緯、つまり、やっと、此処に辿り着いた、其の経緯等を書き残しておこうと思った次第で在ります。

…然るに、私が高齢(現在65歳)に達するに連れ、自分の過去の出来事の記憶が段々と失われていく…。其のような事を自覚する事が多くなる今、未だ、少しでも我が気力が残っている内に、彼の事だけは書き残しておかなければ成らないと強く思う次第であります。

 …其の話しの始まりとは、つまり、私が、始めて、『ホツマツタヱ』文書に出会った年(昭和60年・38歳の時)より、更に、もう少し前(昭和51年・29歳の時)の奇妙な出来事に起因します…つまり…「昭和511976年5月頃の或日の不思議な夢29歳の時の中」での出来事でした。然し、其れは、夢と言うよりは、現実的な、真に迫った状況を体感したので在りました。其れは、或【不思議な夢の出来事】(朝夢)に始まりました…此の事は、「平成元年1月末締切」の投稿募集(まなびすと大賞)に投稿した文章(標題『ハマボウ(黄)の花の下で』)と標題した文章の中に取り込みました。それで、其の部分を抜粋して次に記す事と致します。

 …(前文略す)…「鬼が棲息していると言う噂の廃寺に辿り着いた時」、自分は、今、夢の中に存在していると言う事を、ハッキリと自覚していた。従って、自ら、自分が意識して目を覚まそうと思えば目を開けたら直ぐに現実の世界に戻れる状況に在った。従って、そのような状態の中に在って、私は始めて体験する恍惚的状況を楽しむ事と致しました。それで…其の、「奇妙な夢の中の出来事」とは…「私は夢の中に存在している」…と言う事を、其の夢の中で、私はハッキリと自覚して、尚、怖い者見たさの心理も手伝って、然し、イザ、廃寺の戸(如何にも古そうな引戸であった)に指を当て、思いっきり力を入れて戸を開けて廃寺の中に入ろうと思った時、一瞬では在るが恐怖感が襲いました。然し、咄嗟に目を閉じ、ウワーと大声を上げて中に踏み込みました。そして、ゆっくり目を開けると、外は明るかったにも拘わらず、何故か、其の廃寺の中は真っ暗闇であった。暫くその場にたたずんでいると、闇に少し目が慣れてきました。屋内を見渡せば、在る部屋みたいな処に私は1人、唯、立っていて、周りの状態を確かめようとしたときの事でした。其の屋内はガランとして、人や等の気配は全く感じません。誰もいないと思った時、フト、気が付くと、唯、一つだけ、私の背丈程の縦長で、底辺は楕円形的でも在り円筒形をした、真っ黒な石碑が据えられていました。其の石碑に近づいて良く見ると、石碑全体には色々な記号(例えば、版的形状)、つまり、【】等の記号的形状や、其の他にも奇妙な形状の記号が刻まれていました。而して、何時の間にか、私は、其の石に刻まれている奇妙記号が文字で在ると言う事を何時しか認識していて、何故か、スラスラと其の記号文字を目線で追いながら、文字の文章に従って石の後ろに回り込み、更に、其の文字の続きをも読むので在ったが、殆ど読み終えた、と、思った時、最初に読み込んだ記憶が、順次に我が記憶から消えて行くのを憶えました。従って、其の記号文字で書かれていた内容を、瞬時にストリー的に捉え直し、更に、イメージとしても記憶の中に止めようと考えました。

 …そして、其の中での出来事を私の脳裏に記憶し、我に返れば、何時の間にか私の目の前に…「1人の着物姿の女性」…が立っていました。それで、其の…「石碑に刻まれていた内用を、此の寺の由緒を世間の人達に知らせる」等の事を、咄嗟に私は其の女性に語りかけていました。然して、其の時の我が話の内容等は、自分が全く意識もしていない内容の事で在り、何故、自分自身も全く知らない内容の事が、自分の口からスラスラと出てくるのか、其の不思議さを、自分が語っている間も、実際の自分が存在しながら不思議がっている状態を認識しておりました。其れは全く別の人格者が乗り移っていると言う感覚でありました。

…其の着物姿の女性に語り終えると…其の「着物姿の女性は消え」、フト、気が付けば、私は廃寺の外の、村に通じる道を唯ひたすら元来た道を歩いている自分に気が付きました。外は明るくて長閑な昔の田園風景が広がる景色を眺めつつ、其の足で、麓の村に行き…「鬼は存在しない故」…を…村の人達に伝えました。そして、又、更に、何故か、唯、ひたすら何の目的が在ってかは解らないまま、旅を続けて行く途中で、其の足を動かしている感覚の自分に気が付いた時、ハッと、自分は目を開けた次第で在りました。然るに、目が覚めたのでは無く、単に、目を開けただけの事で、其の、目を閉じていた間は、既に眠りからは覚めていたと言うのが実情で在りました。(以上…抜粋的文書内容の事は終わります

 …其の時の私の脳裏に刻み込まれたイメージ的内容とは…「其の昔は由緒在る寺であった其の由緒に従って繁栄していた当時頃のように、寺の再興を図って頂きたい」(目を開け其の中のイメージを読み起こして成す我が脳裏に焼き付けられた事に対しての翻訳)…等の意で在りますが、この時の、「廃寺の由緒」が書かれていた【黒石・記号文字】(碑文)が、現実的に、存在していた事を、其の後年に至って確認する事成った次第て在ります

 …『ハマボウ(黄槿)の花の下で』と標題し投稿した記事の中の、其の、不思議な出来事に於ける【石碑・記号文字】の記述内容に続き、更に、【応神天皇陵】の話へと続けた意味は、つまり、其の後、奇妙な同じ事を幾つも体験した事を受け、部分的につなぎ合わせた記述内容でしたが、其れは、投稿記事のページ数に制約(文字数の制約)が在ったからで、文書内容を短くする必要が在ったからでした。然るに、其の【応神天皇陵】の話を繋いだ結果(原文)…「其の夢から覚める寸前は、何時の間にか、私は、見慣れた景観の近くを歩いている自分に気が付き、当たりを見渡すと、其処は何時しか、【応神天皇陵羽曳野市誉田八幡宮の近くに私は住んでいました)」の側で在る事に気が付き、更に、段々、夢から覚めていく中で、瞬間的(此の時は完全に現実の世界を認識していた)に、パッと私は意識して其の自分意思で思いっきり目を開いた次第でありました。此の時の「思いっきり」の意は、「金縛り状態」に置かれていたからで、気合いを込めて自分の手足を動かす動作をすれば「金縛り状態」を脱する事を、体験的経験から知っていたからで在りました。

…【応神天皇陵】の事を投稿記事の締め括りとした意は何かと言えば、此の投稿記事の主題は【まなびすと】(大賞)だったからでした。此処に、其の主題を置いて文書を構成する為、話しを別の体験談に繋いでいたのでありました。然るに、其の前年(昭和時代最後に当たる63年目)に、【羽曳野市市史編纂室】(田中美子市議会議員を通じ)に入室させてもらい、其処に保存されている資料等を閲覧し…《【応神天皇陵】実測寸法》…が記載されている資料(我が帳面に書き取りました)の実測寸法に対し、在るヒントを見出しました。従って、其の…「【応神天皇陵】学術調査の重要性」…を訴える処に私は主眼を置いていた次第で、投稿文書の締め括りに其の主眼的題材を持ち込んだ次第で在りました。

 此の続きは、後日、時間の合間を見て、又、記して行く次第であります…。

上記文書の続き文此の下記の文書内容は、上記の夢の話しから、4年程も昔の出来事の話しです


 …昭和47年12月31晦日の夜…「九州の母が交通事故重傷以後寝たっきりの生活と成る)に遭遇」していた事を知ったのは、此の上記に言う…【奇妙な夢の話】…より、[4年程前]の出来事で有りました。

 …「昭和48年1月17日付の速達手紙母の交通事故遭遇の件を受け取った」。然る後、其の年(昭和48年6月)、私が其れ迄(約7年)に務めていた天王寺区の画材店の本社(土井画材KK尚、東京の武蔵野美術大学内にも販売部を設置していた)の小売り部である処の…其の[土井福応堂画材店](約7年勤務)…から独立開店した荒井氏(番頭的存在で有った人)の店(【ホース画材店】・店名の名称の由来は競馬が好きだった事)…へ、私も、ついて行き、其の、新しく独立された【ホース画材店大阪市北区)】で私は仕事をする決心をして、[土井福応堂画材店]に辞職願いを提出しました。然し、私は、其の1年後、其の荒井氏の店(大阪市北区・ホース画材店)を辞め、今度は、八尾市の「野村クリーニング会社」(20歳頃一度務めていた会社)へ転職しました。然し、其の[ノムラクリーニング会社]も、「昭和50年12月末」を以て、つまり、1年後に辞めました。つまり、「クリーニング業」の営業専門(歩合制)で以て、つまり、其の、自営業(営業用として中古自動車を買った)で以て、「自分の生活(誰にも束縛されずに済む)を確保」するのが、先ず、其の第一歩と決めていました。乃ち、「自分は本当に何をしなければならないのか」と言う事を探し出さねば成らない運命を、我が幼年(7歳頃)の時に背負い込んでいたからで在りました。従って、二年前に決めていた「我がインナートリップの旅」は、此処で、ヤットスタートした次第で在りました。

 …《「我がインナートリップ昭和51年27歳の時)・つまり【自分探しの旅】》…を思い付き、其れを決行したのは…「我が心の中の蟠正体不明)」…を探すのが目的で在った。会社を辞めた理由は…「会社的な組織や時間に縛られず、自分の自由な時間を確保するには、先ず、会社等の時間に縛られる仕事から解放されなければならない」…と、私は考えたからであった。従って、自由業(当時の脱サラ行動の走り的な感覚でも有りました)に突入するも、其の収入の乏しさに因る辛さは、最初に私が思っていた以上の辛さでありました!!…

 …「節約しながらも貯金も食いつぶし」…以て、迎えた、其の翌年の正月(昭和52年元旦)。此の年の正月元旦の、「NHKテレビ教育番組夜9時」の…【オーケストラの少女】…を見ました。其のテレビ放送の中での…《ピアノと管弦楽のためのリスト作曲)…ハンガリー狂詩曲第二番2011-12-06 22:58:00 erusaremu464の投稿) 」》…は、其の当時の貧窮していた事の思い出等(手乗り文鳥の死あらゆる生命の尊さを実感しました)の事が、沢山凝縮されて為す当時の記憶が、今の私の脳裏や体内には染み込んでいる。其の意を、其の【オーケストラの少女】の映画の各場面を思い起こす事に因って、改めて、其の当時に於ける【】に対する思いを、その音楽、メロディーを聴くと、何時も思い起こさせてくれます…。

 …本格的な…「私のインナートリップの旅」…は、此の、「昭和52年正月」から始まった。あれから8年後昭和60年秋の在日)の事、何故か急に図書館へ行きたくなった。イザ、羽曳野市立図書館(綾南の森)に着いたものの、探す目的の本がある訳でもなく、【組曲展覧会の絵】(ムソルグスキー作曲)の「プロムナード」のリズムを思い出し、其のリズム感覚で、図書館の本棚の最初から最後迄を順次、それぞれの本のタイトルを見ながら、ユックリ歩いていると、フト、【奇妙な本のタイトル】が目に止まった。其れは、彼の、何年も前に見た、「朝夢の中の記号文と、そっくりな文字」であった。其の瞬間…「有ったー」(彼の夢の中の文字と同じだ…直感したと感じた)…と、我が心の中で叫んでいました。其の本のタイトル文字は、【幾何学的形状】を有し、其の本の説明に因ると、『ホツマツタヘ(ヱ)』(著者松本義之助毎日新聞社発行)と読む意の事が記されていた。…然し、其の『ホツマツタヘ』(此の本は、其の書の発見や其れ以前等の事に多くのページが費やされていた)を読む限りに於いては、夢の中に顕れた【奇妙記号文字】が意図するような部分(昔の、彼の夢の中に顕た記号文字は、私に何を訴えていたのか?)的な、彼の訴え的な意が全く伝わって来ない。それで、自分なりに、其の本の文字に関し「日本古代史」の世界を想像したり、感を働かせたりしての思案を重ねる毎日が続きく。然るに、【記号文字・〇Π△弓囗に因る5母音】を以て為す『ホツマツタヱ』との存在を此処に、ようやく知った次第であった。其して迎えた翌年(昭和61年)の春頃の事。以前は、八尾市の知人のクリーニング工場に仕事を委託していたが、1年前に結婚された和美さん夫婦(新婚)に偶然的或飲食店で出会った事を契機或メッセージを受け取りました)と私は捉え、心機一転し、大阪市内の工場に、私の仕事の委託先を替えていました。そして、或、喫茶店で新聞を見ていると、小さな広告欄に『限定版秀真伝』(吾郷清全訳)の本が[3万円]で販売されている事を見付けました。それで、急いで郵便局に行き、郵便為替を以て『秀真伝ホツマツタヱ)』の本を手に入れる事と成った。尚、「私は難しい漢字が読めない」事を痛感し「近鉄線・山本駅前の西川書店」で『広辞苑』(武蔵野美術大学卒業の進藤達彦氏の推薦)を買った。

 …《「此の昭和61年(1986年)の8月22日(金)付け、毎日新聞夕刊(文化欄・展望)」》…に、「柱と鳥について哲学者梅原猛氏説)」、と、表題された文書が掲載されていて、其の記事の文頭には…《「日本の神社には、必ず、鳥居がある。鳥居は神社の門であろうが、なぜ鳥居があのような形をし、そして、それがトリイとよばれているのか、それを十分、説明してくれる学説に私は寡聞にしていまだおめにかかっていない。後文略す」》…と言う文頭記事を読んだ瞬間…「私のインナートリップの旅は此処で終った」…と直感し、以後、此の日を以て、私は【鳥居の語元究明】に対し全力を注ぐ決意をした次第であった。従って、其の[毎日新聞・夕刊記事]を読んだ時を一区切と為し、私は『鳥居の語源究明』に取り組む事を決意した。其の翌年(昭和62年5月)、鳥居千木の語源究明】に成功致。そして、翌月6月から10月迄の五回だけ、松本義之助氏主宰の…【古文研ホツマ研究会の略称)】(大阪会毎月1回)に出席したが、其れ以後、其の【古文研】の[ホツマ研究方式]は、私が意図する研究方式とは相違する事を痛感し、出席(四回出席)を辞めました。

 …「私のインナートリップの旅自分探し)」は…《「昭和51年元旦・テレビ放送映画オーケストラの少女】》…を見ての感動を憶えた時より・約二年程前に決断し、其の一年後(昭和50年)に決行(サラリーマン)した次第であった。其れから約10年後…【梅原猛氏哲学者】が記載された【毎日新聞・夕刊記事】の表題、乃ち、柱と鳥についての、其の文頭記事…《日本の神社には…(後文は略す)》…に言う【梅原孟】に接する迄(約10年間)がが、「我がインナートリップの旅自分探し)」(終止符が打たれた)の期間で在った。…此の続きは、後の、『秀真太郎のブログ』の中で、時間を見付けて書き込んでいこうと思っていました。然し…《【2013/6/15/ 土曜定例会ホツマツタヱを知る会)・当日のナウを以て投稿】》…。尚、其の翌日(6/16/日曜)の私のブログ記事内容を、乃ち…そのナウに言う…《秀真 太郎[6/24 16:26]『【伊勢神宮式年遷宮秘儀教義】の起元』http://amba.to/15xbnPE …と成す此の表題に基づくブログ記事…(【伊勢神宮式年遷宮秘儀教義】の起元を究明(解明)致しました)…又、今日の、私のブログ投稿(前文書に追記する)を以て…以下、下記に記す「文書内容に於ける経緯の中に登場する」…「彼女の母の言葉の意秘密)・昭和53年」に対する答えを、私は、およそ35年を経過した今年平成25年6月16日の「ブログ記事」を以て、「此処に成就finish)した」意を、明記(追記)する次第でありますし…。


 …「彼女の母の秘密の言葉」の意は、乃ち…《此処に私は元始日本語の起元解明に成功せり】(2011/3/11・追記2013/628/金曜)》…の表題を以て、此処に其の【彼女の母の秘密の言葉】が成就finish)致しました事を報告致します。
…以下、上記の宣言に言う、其の経緯等は、私の【http://w01.tp1.jp/~a098477294/】に既に記載済みでありますが、敢えて、其の経緯等を簡単ながら下記に記します。…因みに、其の[毎日新聞・夕刊記事]、乃ち…《「梅原猛・説鳥居の語元に定説無し」》…と言う語意の深意に触れた瞬間、私は、我が運命的予感を感じ取り、以て、以後に於ける我が運命は、其の梅原猛氏(哲学者)の記事に喫する事と成った。つまり、【梅原猛氏・説】に遭遇する事が出来た経緯は、「我が人生に於ける運命的な出来事」、乃ち、彼女との【byChance際会】に起因していたので在りました。…其の出会いは…「昭和53(1978)年夏」、諸々の厄介な出来事に見舞われていた時であるが、其れは【自分が撰んだ道】であった。而して、羽曳野市から八尾市へ、我が住居を移す決断をした事が、我が人生的運命の岐路と私は捉えた」。其れが契機となり【松村和美さん】との【byChance際会】と成った次第で在りました。従って…《我が運命的な、新たなる道は、此処松村和美さんの母の在る言葉)》…に始まったので在りました。

 …「八尾市への移住」(羽曳野市の公団住宅からの転居)。貸し工場の契約破棄的トラブル。新たに我が住居を、八尾市志紀町の知人の工場(社長・野村辰雄氏)の二階(間借り)へ移す。そして、我が1人生きるだけの仕事を確保。以て、其の余った時間を何に活用すべきかを全く探し得ず儘、又、過去の「引っ越しに関連する別のトラブル(詐欺的・貸工場の契約問題)」に遭う。「其の解決の糸口も見出せず」、尚、諸々の問題を抱え、悩んでいた時、我が間借りしていた工場の工場長である処の「進藤達彦氏武蔵野美大卒小説家志望)」が、贔屓(ヒイキ)にしていた喫茶店に、仕事を終えた帰り、私も連れて行ってもらった事が、【我が運命の契機】と成った。つまり、始めて行った、其の【喫茶ラブリー】。其の喫茶店の娘(長女19歳和美さん)さんに、此の時【際会(byChance)】した事で…「我が人生の運命的道が此処に敷かれる事と成った」…と言っても過言ではありません。

 …其れは…《運命は、私が最初に其の喫茶店行った、其の当日の、其の店の閉店間際に起きた。其処が我が人生に於ける運命的道の第一歩》…と成った…然るに、此の時、其の店(喫茶ラブリー)の客は、私、唯1人だけになっていた…然して…「【我が人生に於ける運命的道の始まり」と成す、其の訳は…「此の店の閉店間際、此処の店の娘(松村和美さん)さんが行った行動に対し、此の店の奥から出てこられた娘さんのお母さんが私に言うには、「…秘密…」とさせて頂きますが、此の時の私は、其のお母さん言葉に対し、何の返事も出来なかった。然して、此の時の…「彼女の母が、私に、其の出来事の説明をしながら肝心なる事を言われた意味言葉」(秘密)…其の言葉にズーット、今日迄も突き動かされ、ヤット、今、此の私のブログの表題を以て、「其の返事と致します事」、何とぞ宜しく御願い致します。

 …因みに、其の出来事から約4年程が過ぎた頃、つまり【松村和美さん】との繋がりが切れた年の、其の年の終り頃、フト、彼女(喫茶ラブリーは、其の1年前に娘さんが結婚した為、廃業されました)が客さん達との会話の中言っていた【蕎麦処】の店名が、我が頭の中に思い出され、何故か気になり、其の[蕎麦処]に始めて行ってみた。すると、奇遇にも、【松村和美此の年の初め頃に結婚されていた)】さんが、夫婦で、私が店に入って程なくして入って来られたので有りました。食事を終え、彼女が店を出る、其の時のすれ違い際、「密かなメッセージ」を私に送ってくれました。其れが「再びの契機」と成りました。心機一転、其の意を以て、更に、其れ迄の4年程の間、仕事の委託をしていた知人の工場から、大阪市内の某工場に仕事の委託を鞍替えし、尚、仕事の帰りには、私独り、何時も、其の蕎麦処大阪府八尾市都塚外環状線通りに有ったが現在は八尾市高見町に移転…八尾道明寺線で夕食を取るのが習慣(朝刊・夕刊を読む)と成っていた。そんな或日の事、其の蕎麦店の夕刊を読んでいて、彼の…【梅原猛氏】(毎日新聞夕刊記事)…に遭遇する事と成った次第で有りました。

 …私のインナートリップの旅自分探し)」…に終止符が打たれたのは、其の、[松村和美]さんとの…【byChance際会】(毎日新聞朝刊・夕刊を読む習慣)…が、あったればこそ、で、在りました

…又…《【鳥居千木の語源究明の研究》…に関しましては…【黄槿ハマボウの花】(沖縄のユウナの花と同種とされます)…との因果関係に於いて、我が幼年期に於ける、其の説明を要しますが、其の事に付いては…《私のHome page【http://w01.tp1.jp/~a098477294/】》…に記していますので、此処での記述は控えさせて頂きます事、宜しく御願い致します…。


…【追加画像(大阪府八尾市五月橋と桜並木)】…「今から約35年前の思い出の場所」…我が昔の良き思い出に付いての【記事(下記に記す)】を、此処に追記致します。

 

…此の画像(平成24年・今年の春に撮影)、乃ち、「大阪府八尾市五月橋交叉点(四つ辻)の角に有った「喫茶ブリー既に廃業されておられ、今は別の店に成っています)」の、其の駐車場での、彼女との写真は、高野山への登山(昭和5410月10日国民的休日)から帰った直後の事で在りました。尚、此の、五月橋(玉串川旧ヤマト川に架かる橋)の川沿いに並ぶ、高級住宅の中の【在る一画】に住んで居られた、兵頭きみゑさん(老女)は、私(筆者・小島,宏)が十六歳頃から三五歳頃迄の間、全くの「赤の他人」(我が中卒集団就職での最初の仕事に於いて私だけが懇意にして頂いた関係でした)に在ったにも拘わらず、一方ならぬお世話(中卒世間知らずの田舎者の私ですが大阪市内に存在する土井画材センターKK土井福応堂に入社させて頂きました)に成りました事、「有り難う御座いました」(大阪市内の画材会社への入社も此の兵頭さんのお世話で在りました)、脱サラ(インナートリップの旅)を果たし、イザ、と言う時に起こした「我がトラブル」の時も、其の、兵頭さんに話しをした処、此の事件も、又、其の、兵頭さんの紹介で知る事となった、「某氏(八尾市在住・当時の大阪府警本部の刑事さん)」が、我がトラブルの相手に対し、直接的(公的仕事の休みの時を以て)な働きかけをして下さった陰さまで、解決する事が出来ました。而して、彼女との【高野山
登山】の写真撮影年の、其の翌年(昭和55年)を以て、我がトラブル問題(貸工場策士的人との契約問題)に於いても、決着(裁判に持ち込めた)に至った次第で有りました。今は亡き…《「兵頭おばさんさんの家の庭(八尾市山本町南五丁目?)に沢山咲いていた【水仙の花】》…も、我が、懐かしい思い出の一つに成っております事、此処に記しておきます…。

 

《『秀眞伝・ホツマツタヱ』&其の姉妹書『三笠文・ミカサフミ』)は「日本人の聖書で在る」》…此の書の歴年は【日本・AL(神)の数式】で構成されている。然るに【日本・開闢神話】の元初神の【ミコト】とは【創世記・Berashith】の語根が語元で在る。

…此の記事の最初から中程の記事に対し、誤字、脱字の修正を兼ね、更に書き直した文書を、此の標題は同じくして…【№②】として投稿しました…

 

…文字数が規定よりオーバーした為に…別のページに移動しています…此のURLは… ↓↓↓                                                            
…若しくは→ http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11866004465.html  ← 【記事の中程から下の部分を修正記事】です…【ドラッグして検索】の事…宜しく…

 

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