【藤田史学…真実探究精神】継承宣言 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

  …彼の有名な…「天ハ人ノ上ニ人ヲツクラズ、人ノ下ニ人ヲツクラズト云ヘリ」(『總輯東日流(ツガル)六郡誌』の『日之本将軍安部安国状』)…より。

 …其のト云ヘリに注目し、其の研究をなされた人が、[藤田友治先生]で有りました。此の…ト云ヘリ…に於ける哲学的思考と、歴史学に於ける持論(藤田史学【真実探究精神】)を以て、彼の[東日流(ツガル)外三郡誌・裁判]の最高裁判決は、当方(藤田友治先生)の勝利を勝ち得たので有ります。 

 …乃ち、[藤田友治先生]は、此の時点で、[古田史学]を凌駕(当…古代史研究会筆頭・茅ヶ崎氏説)したので有ります。而して、筆者(秀真 太郎)は、此処(2013/1月以降)に来て、[日本・古代史]は勿論の事、其れ以前に於ける[上代史(奈良時代以前)]に於いても然り、而して、鑑みるに於いて、我が国に於いての[文献史学]に言う[古代史研究]に於いては、我が国の戦後(1951年9月8日調印…1952年4月28日正式終結)の、其の、[文献史学者]達は…、事、[日本古代史・研究]に関しては…「何の力も有しない人達の集まり」…と成っている事等を憂い、従って、[藤田(友治先生)・史学]を継承する等との、私の、過去のブログに於いて、宣言致しましたが…「古代史(日本史の歴(学の何たるか」…等に関する問題に於ける、先師的(藤田友治先生に関しての意)な、[古田(武彦氏)・史学]等には遠くに有りて、及ばずとも、「一歩も引けを取らない」等と、私自身は自負しております。

 …而して…「 如何にせよとの この頃か…[早春賦]の歌詞」…
 
…私の【来年】(鬼が笑っているかも…)に向かっては、八尾市(大阪府・古代は河内と呼ばれていました)を拠点として…「八尾は日本国家建国起点地で有る」(神武町の存在)…等の、【自説・日本史歴(暦)学】の発信地と成す事に向かって、行動を開始しようと思っています。 

 …【ヤヲ)】(現在の八尾市の意)の、其の名称(呼称)の初出]は、[ホツマツタヱ(『秀眞伝』)]文書の、[第29アヤ]で有ります。[八尾市史編纂書]に因りますと、[八尾(ヤオ)]の語源は定かでないが、[ユゲ(弓削)](道鏡の出身地・其れ以前の昔は[物部氏族]の拠点地の一つで有る)も、其の候補の一つ等とされていますが、其の根元は、「ユゲ(弓削弓の製作の意)に基づいての説で有ります。然し、『秀眞伝』(ホツマツタヱ)文書に因りますと、[ヤマト(日本)国家成立・以前]に於ける[神武東征・物語]に於いては、未だ、[ユゲ(弓削…弓の作成)]的、其のの語彙に於ける由緒等が派生する以前、既に、[ヤオ)]、乃ち、現在の八尾市の名称(呼称)が記されていたので有ります

 …『日本書紀』の[神武東征物語]の文中に於いては、[カワチ河内]、[クサカ日下]、[タテツ楯津]、[チヌ・魚の名称チヌ鯛に通ず]等の呼称等が、『日本書紀』文献を以て記されていて、其の記述の名称が其の儘、現在に言う地名、及び、魚等の固有名詞と成っています。而して、『日本書紀』の編纂者達が、[ヤオ)]の地名を、漢字文書(「逸書・日本紀」)に書き替える作業に於いて、忠実的に、普通に、其の[ホツマツタヱ]に記載されている[ヤオ]の地名、若しくは地域的呼称としての[ヤオ)]と言う文字を削除されなかったとすれば、今より、もう少し、我が国の歴史の本質を探り出す事への勉強の仕方が変っていたのではなかろうか、等と思う次第の、今日この頃で有ります…。