[二中歴(ニチュウレキ)]と元号[朱鳥(アカミドリ)]に付いて | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…元号[朱鳥(アカミドリ)]に付いて…

 …『日本紀()』(『日本書紀』以前の文献名称)は、天武天皇14年(丙戌)を[朱鳥アカミドリ)]元年(686年)と成すも、其の元年だけで終わっています。然し、『万葉集…雑歌』の歌には…[朱鳥4年(庚寅)・6年(壬辰)・7年(癸巳)・8年(甲午)
](此の元号は『日本紀』に対し1年先にズレている)…等の記述(左注)が有ります。然るに、[二中歴(ニチュウレキ)]に於いては、[朱雀2年](685年)の次ぎの年を[朱鳥元年]と記しています。

 …又、[参考熱田大神縁起・サンコウアツタダイジンエンギ](「群書類従24所収」とほぼ同文の縁起に校訂・割注を加えた書とされています)には、「天渟中原瀛真人天皇(第40代・天武天皇…アマノヌナハラオキノマヒトノスメラミコト)・朱雀元年丙戌」に対し、[朱雀]は[朱鳥]の間違いの元号名称で有り、其れは「天武天皇15年(丙戌)と成す事と記されている。つまり、此の文書が意味する事は、天武天皇の時代に於いて、元号の[朱雀]が存在していたと言う事を証明していると言う事、つまり、[二中歴(ニチュウレキ)]に記す元号の[朱雀]と[朱鳥]の存在を証明していると言う事に成ります。

 …尚、『万葉集…巻一&巻二雑歌』には、朱鳥四年庚寅]、[朱鳥五年辛卯]、[朱鳥六年壬辰]、[朱鳥七年癸巳]、[朱鳥八年甲午]、[朱鳥十年丙申として[左注]に記すが、[朱鳥庚寅(4年)に対しては1年前の己丑]。[朱鳥辛卯(5年)に対しては1年前の庚寅]。[朱鳥壬辰(6年)に対しては1年前の辛卯]、 [朱鳥癸巳(7年)に対しては1年前の壬辰]。[朱鳥甲午(8年)に対してはは1年前の癸己]、[朱鳥丙申(10年)に対しては1年前の乙未]の間違いで有り、従って、『霊異記』に於いては、[朱鳥七年壬辰]と有る事(-1年前の干支年)を正しいと成せ等とされています

 …上記の事を考察すれば、既に存在していた[二中歴(ニチュウレキ)]に言う元号(此の歴の元号は継体から始まっている)が廃止され、新たなる歴代史としての文書の作成を、持統女帝か、其れ以降の天皇が支持した事が示唆されます。此れと似た事が、つまり、系譜の書き替えが、過去にも起こっております。其れは、[蘇我氏(聖徳太子が加勢している)]と、[物部氏・春日氏]との権力争いに有って、物部氏が亡ぼされた後に、我が国の歴史書が書き替えられた事で有ります。

 …此れらの事は、私の作成した[創世記起元・日本歴代史…図表]とを照らし合わせれば、其の実態があぶり出されてきて、写本伝承の『現存・日本書紀』に於ける其の部分、乃ち、「推古天皇(聖徳太子)」頃(欽明元年問題)の年代の食い違い。そして、其の「天武天皇(持統期を含)」頃の元号の食い違いが、何故、生じているのかが良く解ります…。