尖閣(センカク)諸島に付いて | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…与那国より東に当たる海域(含・魚釣島)諸島は日本神話に関連する。そして、近代史を調べれば…西洋の、コロンブスがアジア入りした以降、オランダが[イラ・フォルモサ(ila・forumosa…現在の台湾の意)を占領した当時は、未だ、中国(明王朝)の領地では無く、其の、[イラ・フォルモサ(台湾)]の或1部分の地域は、[倭寇]、その他の海賊の住処でも有ったとされています。そして、オランダが占領し、以後、日本人の女性を妻とする鄭芝竜(海賊)一族の支配から、日本の領土(先住民…高砂族)と成るも、其の戦後(第二次世界大戦)に於いて、中国の進出を、アメリカが拒んだ事(朝鮮戦争勃発)に因って、中国本土から独立し、新たに建国されたのが現在の台湾で有ります。従って、歴史的史実に照らし合わせても、尖閣諸島は我が日本国の固有の領土で有ります。

 【記事の追加文(筆者・自説文書)】…[魚釣島]は、別名…[クバ(ビロウ)]とも称されていて、其の名称は琉球(現在の沖縄)の人達の呼称で有る。又、其の[クバ(枇榔)]は、【秘儀的・大嘗祭】に於いて、「百子帳(ひゃくしちょう)の屋根の材料」にも用いられています。…日本(倭国時代)が、台湾(其の当時は台湾の名称は無く、当時に言う、会稽の東冶の東に当たる)を経由しての中国大陸行き南海路は、[卑弥呼](倭人の男子は自ら太白の後裔と言っている)の時、既に、開発済(久米一族の海路で有った)であった。そして、其の【稲・米政策】に必要な稲種を確保しての帰りも、南海路の[クバ(枇榔)島]を目印として帰国しました。つまり、其の[クバ島(枇榔)](異国は魚釣島とも言う)経由の南海路は、乃ち、日本建国に於ける…【米食・政策(米食政策は日本独自の政策で有り、中国には無い)実地】…を目的とし、越(倭…wo)へ渡航したが、其の南海路は、ヤマト国家創建以前(起元前後頃)、『死海文書・秘儀宗団』者達が極東へ移動して来た時の海路で有りました。そして、其の後に於いては、[魏]の建国以前に於ける[呉国]との交易にも利用されました。従って、「隋の大業3年~4年(遣隋使・小野妹子の時)の記事」に言う…「夷邪久人(琉球人)の布甲」の件以後に、隋の人達が琉球国を訪れた渡航経緯や、其れ以降の明朝(15世紀)に於ける[クバ(魚釣)島]経由等の海路の件を以て、中国が領土権を主張する以前、乃ち、我が日本の、いにしえの[倭国]の人達が、既に開発済みで有った海路で有り、[クバ(枇榔)島](魚釣島)は、れっきとした我が日本国の領土で有ります。