…《『現存・日本書紀』は『秀眞伝』文書を下敷きにして書かれている》… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

 ユダヤ神秘思想の系譜』(著者・箱崎総一)より…

 …「精神医学を専攻する人間がなぜユダヤ精神思想を語るのか」…と記す、精神分析の専門医の…《箱崎総一・著『ユダヤ神秘思想の系譜』(青土社・発行)》… の、其の本の冒頭文の説明に因りますと、「基礎医学から臨床医学」の全科目を、もう一度やり直し、【病理学研修医】(ニューヨーク市立病院・研修医時代)となった頃の話として…精神分析の祖、S・フロイトは、「Ashkenazim・東欧系ユダヤ人」であると記されていて、従って…「小脳の活樹体は、エデンの園の中央に生えている命の木】(聖書)からの連想であろうとすぐに気がつくことができる」…と、記されていました。


 …『私の体験記』(『黄槿の花の下で』)から…【三途の川】に付いて…


 …話は、我が自説の話に変わりますが、【三途の川】(我が体験より)とは…「『旧約聖書』に記されているエデンの園の【生命の木】の根に注ぎ込む創造された水」…等、ともされている。然るに、我が国に於ける古代的【埋葬土葬)】を考えるに、【三途の川】と言う言葉が存在する事を、私が子供の頃の叔父と叔母の葬儀のやり方を見て、訊いて、始めて知りました。然るに、叔父(私が小学三年生の時)が、又、其の数年後の、叔母(私が小学六年生の時)の【埋葬山の上の先祖の墓)】の時の話でありすが、其の争議には、私も徒歩にて葬儀の行列に同行(葬送的に)致しました。

…家から徒歩で二十分程の処に【佐代姫神社】が在り、其処から、山手に少し登った処が【埋葬】の現場(先祖代々の墓)です。そして、其の埋葬の直前に行われた儀式(夕暮れ時)には驚きました。後で訊いた事ですが、死人の白装束の着せ方も逆でした。其の…「初七日」…に至る迄の経緯の中で、「人間の死後」に関し、当時の我が思いを、今、改めて思い返せば、彼の、異様な雰囲気の中で行われた埋葬の直前の儀式、つまり…「棺桶を担いで左に3度回る儀式」…や…「白装束の襟あわせを逆にして着せる方式」…の意が、後年における我が身の体験を通じて考えれば、今は解る気が致します。其れは、我が後年に於ける【有体霊魂離脱】(35歳頃)的な体験で在りました。つまり、死後の世界は、【逆の世界観】(【三途の川】的川を渡った)が存在していたと言う事で在りますすを。

 …然るに、私が思うには、古代期に生きていた人が知る[元初的創作神話](【創世記】等)の内容の意が、脳裏に刻み込まれた後、更に…「人の世の太古に於ける【三途の川】的な思想等が無意識下の脳に刻み込まれ」、其の遺伝子を引き継いで行く中に於ける人の、其の、【死の瀬戸際】に於いて、遠い過去の世代に意識されていた其の過去の記憶等が、一瞬的に、走馬燈のように、其の脳内に於いて再現さるのでは無いか?…等と、私は考える次第であります。然るに…「最終的生命の危機的瞬間」…に於いて、其の「古代期的な世界の源に於ける【三途の川】への到達」等と成す意に於ける…「我が体験的内容」…を通し、端的に言い表せば…「死の淵には橋の無い川が存在する」…と言う事で在ります。然るに、其の
有体霊魂離脱】(35歳頃)での体験とは…「橋の無い川」…又、其の橋の無い川の向こう岸の「或館の室内」で見た光景とは…

 …「大勢の白装束を着た死人が綺麗に並べられていた状態」…で在った。

 …此の時の私の体験談等の詳細は後日のブログに記すと致しまして、話を戻せば、【Bereshithベレシト】(創世記)、つまり、『旧約聖書・創世記』に言う…【天地創造開闢神話】の後に記載されている…《【アダム(Adam)】&【エブァ(Eva)】》…に関連する…《【知恵の木/Wisdom Tree】&【命の木/ Arbor() Vitae()】》…の意の事で在るが…此の【知恵・生命】的思想は、我が国の【ヒノモト(日本)・建国神話】(『秀眞伝』文書)の中に取り込まれていたので在りました。然し、其の後年に於ける漢字導入後、【神代文字・文書】を漢字に書き換えた事(欽明天皇の頃・『日本書紀』に記載在り)等に起因し、それらの思想等は、段々と、刪定(削除)されていったのであります。

…我が国に於ける『ヒノモト日本神話』創作の、其の創作起点は、ユダヤ教の【エゼキエル書】等の【東方思考・思想】で在ります。尚、【磐余彦→後の神武天皇】の【東征物語】の創作原案は、『死海遺跡文書』(1947年発見)中に存在(2005年3月頃・筆者は見出した)していました。

 …然るに…《【知恵の木/Wisdom Tree】&【命の木/ Arbor() Vitae()】》…に言う、其の【知恵の木】の語元は、『秀眞伝・ホツマツタヱ』文書に記述されております。然るに、其の…《『秀眞伝』 の【千木の語元】》…に対し、其の【考古学的資料】と致しましては、【クムラン遺跡→聖書写本・文字】(2世紀頃の遺跡文書・クムラン付近から見つかっている)の中に、其の…「【千木の語元】と一致するアルファベット文字」…を発見しております。従って…現存日本書紀景行天皇期迄の記述内容は、秀眞伝文書内用を漢字に書き替えた内用を以て成す逸書日本紀】(720年を下敷きとして、書き替えられた文書で在る… (此の意は、此のブログの表題として用いています)…と成す説(自説)は、古代西洋に於ける【考古学的資料】に基づいた説をを以て、此処に記す次第であります。

『秀眞伝』 の『日本開闢&神話』に始まる神代の系譜…とは… →【原初神・クニノトコタチ】(八降り子常世の花橘植て)→【クニサツチ】(四方八降各々二組の神を生国君の始り)→【ヤミコカミ】(八皇子神各々皇子を五人生む)→【トヨクンヌ】(タカミムスビ)→【オオトノチ・オオトマエ】(殿大戸後ツノクヰ殿大戸前イククイ)→【オモタル・カシコネ】(重タル八方巡り国を治む)→【イザナキ・イザナミ】→【ウホウヒルキ・12后在り】(天照大神の正室はセオリツヒメ)→【アマテラシマスオシホミミ】(ミカド世継ぎ皇子は双方㊤兄と㊦弟に分る・『秀眞伝24章359行を参照)→【㊤兄》クシタマホノアカリ】(諱テルヒコ父自らの告文をカクヤマシカに奉
➉ホノアカリは世継ぎ子無し)。

…此の時…【
㊤兄》・ホノアカリ】は、自分の弟(㊦弟瓊々杵尊)の子供(クニテル)を養子と成す以前、「タカクラシタ」(高倉下←アメミチネヒメの兄の子供)を猶子(ナオコ・契約的養子)とする計画で在ったが、「タカクラシタ」(後の弥彦・後年は越後に移り住む)は拒否した。従って、「クニテル←ニギハヤヒ」(瓊々杵尊の皇子)が猶子(ナオコ・契約的養子←)と成って、「ウマシマシヂ(ジ・では無く【ヂ】で在るニギハヤヒ命)が誕生した事に成っている。

→【㊦弟・瓊々杵尊の3皇子の一人》クニテル←ニギハヤヒ】(㊦弟瓊々杵尊の皇子クニテルが猶子と成った)→【《》ウマシマチ】(秀眞27章フトタマの孫ミカシヤ媛の子長髄彦の妹)の子供。

…以上、これは、【原初神】から【タケヒト】←「神代13代目・神日本磐余彦(後の神武天皇)」迄の、『日本神話』(『秀真伝』記載の系譜)に於ける、神代時代の、皇族系譜の繋がりを簡略的に記したものであります。然し、『日本書紀』には、【タカクラシタ】の系譜に関する事は記載されておりません。

…而して、【タケヒト】(神武天皇)の東征とは、つまり、
神日本磐余彦(後の神武天皇)の戦いの相手は、【ニギハヤヒ】(ナガスネヒコの妹を娶る)では無く、フトタマ]の孫とされる[ナガスネヒコとの戦で在ったと言う事で在り、【ニギハヤヒ】との戦いでは在りません。然るに、此処に記した【タカクラシタ】(後の弥彦←越後・弥彦神社の祭神)の系譜が、【海部氏・系図】(昭和53年に国宝指定)の中に取り込まれています。…然し、偽書で在る処の『日本書紀』と『古事記』の双方は、此の【タカクラシタ】の系図に関する記述は無い。だが、『先代旧事本紀』には記載していたので在る。而して、言うには及ばずでは在るが、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書には詳細的に【タカクラシタ】の出自を記載しているので在りました…。




…以上…「此の系図の流れ」的…其の子細的な解説は、後日、此の系図を以て、別の表題を授けたブログを以て書くつもりであります事、宜しく…。

 …然るに、此の、上記の皇位継承系図の流れは、途中から、双方(兄と弟)に別れた系譜として『秀眞伝』 文書は記載して在り、此処、つまり、『秀真伝』 (ホツマツタヱ)文書の皇族の系図は…【㊤1》】(クシタマホノアカリ)…と、【㊦1》】(瓊々杵尊)との双方に分かれ、最終的には、弟の【瓊々杵尊】の系譜の人が、天皇の位に就くと言うストーリーを以て、皇位継承の流れが記されております。

 …『日本書紀』が編纂される以前、聖徳太子(推古・紀)が編纂したとされる『先代舊本紀大成經』(72巻本)には、『旧約聖書』の…「劈頭文焼直版的語句」…の記載は在りません。然るに、何故、【日本)】(現在の『日本書紀』とは別の本で在る)が編纂された時、其の…「
創世記劈頭文焼き直版的聖句」…が…《『日本紀』(ニホンギ)・巻頭(『旧約聖書』の書式を真似ている)に記載されたのか?》…。尚、其の原案は何処に在ったのか?。と言えば…《中大兄(後の天智天皇)に因るクーデター的【近江オオキミ政権簒奪】(斉明6年・西暦660~661年)に因って、崩壊した【先史時代・近江国】にあったので在る。然るに、此の時、時刻が発せられた。而して、此の時刻が発せられた事の意味する処は、其の翌年に、近江遷都が決行(『如是院年代記に記載在り)される事を示唆する合図》…だった可能性が考えられるので在る…。

…従って、其のクーデター的【近江遷都】を以て入手されたのが【創世記/Berashith】の劈頭文で在って、後年、此の書式に習って、『日本紀(ギ)』(『逸書・日本紀』)の巻頭文として取り込まれたと筆者は考えます。然るに、【日本)】(『現存・日本書紀』以前の文書)の巻頭文として、
創世記/Berashith】の劈頭文の聖句が、取り込まれたと言う事が想定できます。

…『秀眞伝』 記述の神話に於いて、【個々の神代歴年数値】(天照大神~神武天皇東征開始迄の総合計数値179萬2470年)が意味する処は、尚、『現存・日本書紀』(偽書)に至っては、其の、【個々の神代歴年数値】が抹消された形式を以て、然し、其の最後の数値(
179萬2470年)だけを記載した内容の文書が写本として伝わっていますが、其の『日本書紀』(偽書)の原本と考えられる『日本紀』(ニホンギ)には、抹消された数値が記載された書式を以て、其の部分に限り保存(【名文抄】・続群書類従書)されていたので在ります。
     
 …《「古代イスラエル民族(古代・南ユダ国)の人」の中の【クムラン・秘儀宗団思想】の人達が、地中海方面から見た場合に於ける極東方面の島(現在の日本列島)へ移住し、【元初・ヤマト国家】を創建(建国)した。》…と成す私説の根拠と致しますのは、「我が国固有の民族宗教」(神道)に基づく【伊勢神宮千木】の建築様式が、【幾何学的形状】を以て建立されている事実に対し、筆者は、其の根拠と致しております。従って、【千木の語元】を、『死海遺跡文書』(1947年発見)中に見出しております。

…然るに、現在、【ホツマ文字】(伊豫文字)とも呼ばれている、其の文字に対し、私は、【創造神社儘文字】と命名した次第で在ります。尚、其の命名(神社儘文字)に至った理由は、【唯一神明様式】(伊勢神宮)の建築様式自体が、此の【秀眞(ホツマ)文字】の形状、乃ち…「幾何学的形状文字」…の形状を取り込み、其の、或る文字の合致を以て、【幾何学的形状・神社様式】と成っていると定義するからで在りました。

 …此のブロクの表題(最初のカバラに関する表題は抹消して現行の表題に書き替えました)に言う【カバラ】に関して…【ユダヤ神秘思想】…を以て成す…【ゲマトリア/Gematria 】…つまり…【文字数値転換解読方式】…を以て為す意味言葉が、『秀眞伝(ホツマツタヱ)』 文書の処々に記述が在ります。尚、其の【秘密語】を解く方式も、其の、『秀眞伝』文書の中に記載されている文書を考察すれば、簡単に見出す事が出来るので在ります。つまり、「其の「謎解きの糸口」的、聖句等が解る人には、直ぐに解るような語句が用いられていると言う事で在ります。つまり…『現存・日本書紀』を以ての『日本神話』で言い表せば、【元初的・天皇系譜】の始まりとする【日本開闢・神話】に言う【含牙】(訓読・フクメリキザシ)の語意に至っては、『旧約聖書』の【創世記/ Berashith】に書かれている【命の木/Arbor Vitae/アルボールブイタエ】に始まる【命の木】が伝えられている意を意味表していると言う事で在ります。

…【日本開闢・神話】に於ける、其の、元初神に付された【】(尊)の意とは、【Berashith】の語意(語根に関連する)が秘められていると言う事であります。つまり、【ミコト//】の語元とは、【知恵の木】と同じ処(エデン)に存在するとされる【生命の木】の語意を以て、【ミコト)】と造語(元始・ヤマト言葉)されているので在りました。又、【伊勢神宮角刺千木】、及び、【置千木】に言う【チギ】(元始・ヤマト言葉)の語元も然りであります。

 …此のブログの表題(表題は現行の表題に書き替えました)に言う『カバラ』に関しては、[Ashkenazim(アシュケナジム)](ドイツ語とヘブライ語の混合したイディッシュ語を用いるユダヤ民族の事)等の言語を為し、当時(西洋史・中世期頃)としては、自分の母国語が使いにくい状況(亡国の民)の時代にあって、然し、[ゲルショムGショーレム(1897~1982)]の出現によって、現在は、【初期カバラ思想】(紀元前・クムラン宗団思想)の研究が始まったので在るが、彼ら、つまり、[ショウレム]に始まる【カバラの本】が、現代訳を以て、尚、日本語版を読む事を以て、詳細的な【カバラ】文献を読み込む事が出来るのであります。以て、私は、『死海文書』を隠し残した【クムランセクト/QumranSect】時代に於ける【カバラ思想】を知る事に因って、『現存・日本書紀』に記載されている【日本・開闢神話】の巻頭文書(聖句)は、『旧約聖書』の劈頭聖句で在ると言う事を認識する事が出来た次第であります。従って、其処を起点として考察すれば、『秀眞伝』の【幾何学的形状文字】を以て、【千木】の語元は【クムラン遺跡・文字】に、其の糸口を発見した次第で在ります。而して、[ゲルショムGショーレム]に因って、再発見、再評価される事と成った、其の、【カバラ】は、然る後(1949年頃から)、[CGユング]主催(年に1回)の…「宗教学研究者の学術発表の場」(エノラス・カンファランス)…に於いて、定期的に論文が発表(17年間)されたとされています。然るに…[パルデスリモニム」(ゴルドベロ著…『石榴の楽園』)…に関連する…「ユングの深層心理」…の中には、【カバラ思想】の影響があるとされ、【瞳の中の小人/ホムンクルス】に言う【/瞳孔/Latin;pupilla】の単語は、【少女女の子人形】等を意味する語意から出来ているとされています。つまり…「其の瞳をのぞきこみ…其処に映る【小人】(ホムンクルス覗き込む貴方の姿)を発見して」…神秘的発想、乃ち、【カバラ神秘思想】、【錬金術】、【グノーシス思想】への糸口(神秘思想)となったのかも知れないと、其の本の著者である処の[箱崎総一氏]は、其の本の中に記しておられますが、私に於ける【神秘体験/閏1988昭和63年4月26日に遭遇】に於ける、其の、予言的な内容は、正に…「ユングの自伝(石榴の楽園の老婦人)の如き」…で在りました。

…私が体験した【有体・離脱】の内容とは、宇宙空間浮遊】、及び、【若い巫女の神託/oracle】に起因して成る【ウラコロビ】(死と瀬戸際の交通事故に遭う)と成す、神託の場面でありました。然るに…我が人生に於いて成る【若い巫女の神託】(【有体・離脱】からの体現)に至っては、つまり、其の【神託的予言】から五ヶ月後(昭和63年9月23日・ウラコロビに遭遇す)の、此の日(昭和63年9月23日)、正に、其の神託(ウラコロビ)は的中(死んでいたかもしれない程の交通事故に遭遇)したので在りました。(約1ヶ月入院・其の後1年程通院)。

…其の【ウラコロビ・神託】に言う、其の、不思議な体験談と致しましては、薄暗い林の中に次々現れては或る、或方向へ、誰もが、ゆっくりと歩いて行くのでありました。それで、自分も、それらの後ろに付いて歩いていると、【橋の無い川】(後で思えば三途の川だった)が在り、其の川を渡った処の岸の淵に、或館が建っていて、其の閉ざされた戸の前には順番待ちの人が数人いた。尚、私の後ろにも大勢の人達が並んで順番待ちをしていた。此処に辿り着く迄に於いて…「此処の皆さん達は、何処へ、又、なんの目的があって、ひたすらに歩いているのだろうか?」…等と思いながら、私は列に並んでいた訳であるが、1人ずつ戸を開けて入って行き、 遂に自分の前の人が、其の戸が明けられたので入って行きかけた時、其の人の肩越しに、興味本位に私は館の中を
くと、其処に見た光景は…「ズラリと綺麗に、仰向けに並べられた多くの白装束の人達の寝姿」…で在った。其の状態を察知した私は、其の瞬間…「みんな死んでいるー」…等と大きな声で叫ぶと同時に、思いっきり、其の戸を閉めつけて、そして、何時しかあたりは暗闇に成ってたが、其の館の外側から館の裏側(暗いので見付かりにくいと考えた)の森林の中へがむしゃらに逃げた。真っ暗闇で何も見えなかったが、森林みたいな処を逃げている感覚から抜け出した感じがして、ヤット、落ち着きを取り戻した。そして辺りを見回すと、少し薄暗い参道の処に私は立っていた。それで、其処にあった松明の火を、其の森林に放つと、森林は瞬く間に燃え広がり、彼の【死人の館】も燃えてしまった。而して、気が付けば病院のベッドの上で在ったので在りました。

…其の日(病院の中)の午前中、警察の人が我が病室来て、ベッドに寝ている私に向かって言うには…「よう生きとったな!!今頃アンタは死んでいるかと思とったぞ」…等の言葉で有りました。而して、我が生命の危機を脱した経緯(四週間の入院片目失明の危機に遭うが治療して今は完治)等は、又、機会が有れば別のブログに詳しく書こうと思っていますが、而して、其の数年前に於ける若い巫女の神託】で知った、彼の…【在る数値】(【秘儀数値】に当っていた)が…《後年に於ける秀眞伝ホツマツタヱ)』 文書の謎を解く】(迷界からの脱出)》…と成っていたのだった。


 …此のブログ内容は…「2012年2月17日のブログ」(http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=11168033317 ・「【創造・神社文字】に付いて」)…の内容を少し修正し、更に、『秀眞伝(ホツマツタヱ)』 文書の謎解きに関連する【元始・カバラ思想】(クムラン秘儀宗団思想)を知る上に於いて、現在的解釈を以て書かれている『カバラ』の本の内容を少し記すと同時に、其の…《『秀眞伝(ホツマツタヱ)』 文書の謎解きの【】と成っていた【神秘数値】の存在を【pesher学術用語】(注解)的事実に因って知らされた経緯等を、簡単ながら、此処に書き加え、尚、【表題】を現行に書き替え、其の書き替えた【表題】に添った内用を少し書き加えたりして再投稿(2013/12/26/木曜)した内用と成っています…。