【大東亜戦争】後の【国学】には【日本建国史学】は存在しない | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…【大東亜戦争】(第二次世界大戦)終了(1945年…昭和20年8月15日)後に於ける、我が日本の国には、江戸後期に始まる【日本建国史学】的な【歴史学的・国学】は壊滅(アメリカの意向)させられた。従って、戦後(大東亜戦争後)以降に言う、我が日本国の【国学】の意味は、【母国語学】(言語学)の意味で在る。然して、尚、其の基本とする処の言語の対照は、奈良時代以降に始まる【万葉仮名】で在り、其の、奈良時代以前に言う【元始・ヤマトコトバ】に対しては、「全く解らない」と成すのが現状で在る。然して、尚、「我が国の言語の起元を解明する」と言う姿勢は、現在の【国語・学】に在っては、全く持ち合わせておりません。と、言うか、戦後(大東亜戦争後)に始まる新たな国策(アメリカ進駐軍の意向)を以て、アメリカの意向に添う人間ばかりが集められての【国学】だとすれば、当時としては仕方がないとしても、今も、其の、戦後当時の思想体系者が居残って、【国語学】体系を支配しているのかと考えれば、情けない思いが致します。然し、そんな中に在って、大野晋(オオノ・ススム)氏は例外(『日本語の起源』の著者)で在りました。然して、戦後(大東亜戦争後)の日本に於ける国語学者達は、大野晋氏(国語学者)を批判(例・小松英夫『日本語はなぜ変化するか』の著者)するが、其の、小松英夫氏(国語学者に至っては、「奈良時代以前の言語(元始ヤマトコトバ)に関しては解らない」と記している。「解らなければ批判するな」と私は思いますが…。因みに、漢字表記に言う処の【大和オオワ言葉】の意味は、「奈良時代頃以後(以降)の漢字言葉」(例・万葉仮名)の意で在りる。従って、「奈良時代以前(ヤマト建国起元・言語)に言う【文字言葉】」に対し、私は、【元始ヤマトコトバ】と定義するもので在ります。

…①【ピジン語・pidgin language】(接触語の簡略言語)…②【クレオール語・Creole language】(接触語・ピジン語が風化し現地語と成る…中南米のハイチ語)。其の双方に言う処の【外部族言語との接触言語】は、どちらにしても、【耳・吸収言語】等の意味で在り、【文字・言語】の意では在りません。


…然るに、現在に言う処の日本語とは、つまり、学校の教育課程に於ける日本語とは、【大和(オオワ)語…母国語学】(倭語では在りません)の意で在り、元始ヤマトコトバ】の意でも在りません。然るに…律令、つまり、奈良時代頃以降の『現存・日本書紀』(古事記は歴史書では無いので此処では言及致しません)に記載された漢字や、【万葉仮名】等を対照としている学問で在る。従って、戦後(大東亜戦争後)教育に於ける【国学】の意味は…「我が国の建国起元(源では在りません)を研究する学問では無い」と言う事で在ります。

…我が国の戦後に於ける【文献史学者】達に言う処の、【日本・古代史研究】に至っては、『古事記』(本居宣長・訳)を第一的文献資料と為し、『日本書紀』の歴史的紀年方式に対しては…「最もらしく見せるが爲の 嘘 の紀年表記で在る」…等と始めから決め込んでの…《『古事記』第一主義》…方式の研究で在った。従って、『古事記』に対する偽書説(江戸時代に論議在り)を無視して進められて行った戦後のアカデミー的【古代史・研究】の行き着く先は、【砂上の楼閣】と化してしまったので在る。つまり、後年に於いて、【稲荷山古墳】埼玉県)出土の【鉄剣文字】(金石文)他、各地から出土する【木簡】
(大宝律令以前の白鳳年号等・干支)等の、遺跡文字の研究が進められた結果(考古学)、『日本書紀』に記述されている【紀年数値】(歴史的年代)の、其の、大方の【歴年数値】は正しかった事が、考古学から認められる事と成った。従って…「当時に於ける、我が国の【文献史学者】達が定義する処の、【文献史学者説・古代史論】は、崩壊、つまり、【砂上の楼閣】と化したので在る。

…尚、津田左右吉説に従った説によって為す…「謎…継体天皇の崩御年」…に関し…「元初的『百済本記』(百済人が日本に持ち込んだ)説」…を否定するかの如く、『三国史記』(新羅高句麗百済統一新羅迄1143年執筆~1145年完成捏造の朝鮮史)の文献を用いての解釈を成すに至ってしては、【本末転倒…方式】で在る事、然りで在る。つまり、『日本書紀』(720年奏上)が編纂された時代には、未だ、朝鮮の『三国史記』(1145年完成)は存在していないので在る。ハッキリ言えば、「支那史の文献」(『前・後漢書』及び『三国志』等)の記事内容をバクリ
盗む、そして、はたまた、『逸書・日本紀()』が奏上(720年)された後、「425年をも経た年」に作成された処の…バクリ文書三国史記』(捏造朝鮮史を、参考文献と成しての…《日本史【古代史研究】方式》…は、「素人の研究方式で在る」と言っても過言ではありません。

…然して…此処で言いたい事とは…【継体天皇・崩御年】、及び、【空位】の存在に関し、現在の【文献史学者】達の、誰もが、其の答えを見出せずに居る事で在ります。其の答えの【ヒント】を言えば…「?何故、推古(女帝)天皇(紀)には、【30年条】だけが抜けいるのか」…に在る。然るに、其の、【継体天皇・紀】に於ける、先述の問題提起に関する【謎解】に対し、其の答えをも、未だ、提示する総べを知らずに在って、必至に、砂上の楼閣】(文献史学者達説古代史研究方式の、現状維持を謀って居るのが、現在に於ける、我が国の【文献史学者】達に因る…【日本史…古代史学】(アカデミー)…で在ります。

下記【追記】平成26年・2014/12/31/水)…

…此のブログの標題に言う処の…《戦後の【日本建国史学】は存在しない》…の意は、今後、
【日本建国史学】を立ち上げる必要が在ると言う事への問いかけで在ります。然るに、【柳田国男】は、此処に言う処の…《【日本建国史学】の立ち上げ》…が、究極的、目標で在ったと考えられます。従って、其の前提としての研究が、【民俗学】(柳田国男)だったと私は思います。

…日本語は、【ピジン語・pidgin language】、及び、【クレオール語・Creole language】等に属するのかと言えば、原初的には、其の【接触語】(ピジン語&クレオール語)に属する言語も、存在していたと考えられる。然し、其の時点では、未だ、此の、日本列島の住民(縄文・弥生前期)に於いては、現在に言う処の【国家】を意味する体系化には至っていなかったと私は考えます。つまり、現在に言う【日本国】(日之本国)の前身、即ち、【ホツマクニ】、及び、其の同義語で在る処の【ヤマトクニ】と言う【クニ】(国)に於ける言語体系は存在していなかったと考えるのが妥当で在る。従って、此処に言う処の、【接触語】(ピジン語&クレオール語)は、厳格的言えば、【日本語】(ヤマトコトバ)とは言えません。あくまでも【日本語】と定義するならば、【日本国家】に準ずる国々の体系化が成されていて、且つ、各々の国々に於ける共通語で在って、こそ、始めて【日本語】(ヤマトコトバ)と定義するに至るので在る。従って、【日本語の起元】言うならば、先ず、【日本国家・建国起元】を特定してからの事で無ければ成らないので在る。其の、「日本、建国起元説を抜きにしての、【日本語の起元】を論ずるのは、此れも、【本末転倒】で在ります事、然りで在ります。

…此の続きは後日と致します…。