6ケ月準備した初マラソン
‘87/3篠山ABCマラソンで、

2:54:25

で狙ったサブ3を達成爆笑

コレで私のマラソン人生は終わる予定だった


ところが、公認記録にならないと言う事が
分かったガーンガーンガーン
つまりど素人だった私は陸連登録を知らなかった
のであるチューチューチュー
陸連登録し、陸連登録の部に参加して
サブ3しないと公認記録にならない事を
指摘により知ったのである

よーし 
もう一度走ろう
12月の【防府読売マラソン】を目標としたウインク

当時の防府読売マラソンの参加資格は
【陸連登録】し【3時間を切れる者】

【3時間を切れる者】は記録は要らず
自己申告で良い

ただし、関門が有り
ハーフ1:30:00
25km 1:50:00
30km 2:10:00
35km 2:30:00
ゴール3:00:00

つまり
3時間を切るペースで走ってないと関門アウトとなるものだった。

関門を全く気にしないで良い篠山ABCマラソンと
は全く違うので

私はキロ4分で走る練習を徹底的に行なった
基本は昼休みに4.8kmを19分以内[60回ぐらい実施]
12km(たまにハーフぐらい)48分以内「20回ぐらい実施」

防府読売マラソン前には
4.8kmのベストは16:54
12kmのベストは45:43
レースでは10km 34:15
ハーフ 1:20:49
まで実力は向上していたウインクウインクウインク

また、42.2kmもタフなコースで
9月、10月、11月と各1回
3回ほど3:22〜3:06ぐらいで個人練習して
スタミナ練習も実行した。

防府読売マラソンは
この頃は右田中学校をスタート(ゴール)に
佐波川沿いを上流方向に進んで折り返す
自己ベストが出やすい 魔法のコース
だった。


この頃は公認記録が取れるマラソン大会は

かなり少なかったし、記録が出易いので

全国から1000名以上の陸連登録者のランナーが

挑んだウインク


名簿を見ると[敬称略]

小島成久(ウルトラ100kmの猛者)

牟田口泰秀

長谷川和正[兵庫で有名人]

滝田久蔵(直方有名人)

境義幸(のちに朝日駅伝、毎日駅伝で対戦)

石倉勝(のちにマイトレ掲載)

池上雅信(のちにマイトレ掲載)

寺根秀幸(のちにマイトレ掲載)

上杉嘉孝(あっちこっちの大会入賞)

泉忠彦(友人)

小川博(マイトレ掲載?現マスターズ長距離日本記録保持者?この時は関西大)

戸崎さん(松江ではお世話になりました)

西内研二(友人)


小川さん以外は皆さん還暦超えか?


この頃は 年齢、県、所属も掲載されている


因みに私は507番だった


レースは11:00スタート


5km 19:10

20:00を少し切るつもりだったが周りに釣られて

少し速い、ペースを落とす

10km 38:46(19:38)

かなり落としたつもりだったがまだ速い

更に落とす

15km 58:36(19:49)

丁度狙いのペースになって来たウインク

ここで一緒に走っていた西内さんが

先に行ってくださいとの事で

遅れ出す


20km 1:18:13(19:37)


折り返し1:22:34


ここでふと

別大マラソンの参加資格が当時

2:45:00以内

だったのでひょっとしたら届くかも?

とど素人考えが出る(笑)

防府読売マラソンは当時TV中継は無かったが

TV中継の有る別大マラソンに出れるかも

しれない口笛口笛口笛


ペースを上げる

コース後半は見た目は平坦だが、下流に向けて若干下っている


25km 1:37:40(19:27)

折り返してから、ペースが上がっているので

ドンドン前を捉えて行く


30km 1:56:51(19:11)

別大マラソンが見えて来た?

この頃から、【別大、別大】と口ずさむ口笛口笛口笛

ドンドン抜い行く 単独走だウインク

たまに自分の後ろに付く人がいるが

100mぐらいで離れて行く


35km 2:16:00(19:09)


折り返してから200人は抜いたウインク

相変わらず単独走ウインクウインク

抜く一方で1人も抜かれないおねがいおねがい


40km 2:35:07(19:07)

僅かずつだがペースは上がっているので

更に抜く一方だウインクウインクウインク


2:45:00切れる事を確信ウインクウインク



佐波川沿いを終え、堤防からやや下って

ペースを上げてゴール


2:43:12(8:05)



別大マラソン参加資格を手にしたグラサングラサングラサン


前半 1:22:34

後半 1:20:49


2回目のマラソンにして

ネガティブスプリットウインクウインクウインク

会心の出来だった照れ照れ照れ


結局

後半 1人も抜かれる事無く

300人ぐらい抜いて気持ち良いレースだった爆笑


当初の予定ではコレでマラソンは終わる予定だったが道は別大マラソンへと続く事となったおねがい


しかしながら、別大マラソンの関門は

30kmのみだが1:52:00と厳しいので


この後、練習に気合いを入れすぎ

故障してしまい

翌年の申し込みしたものの別大マラソンには結局、出場出来なかった


(2007に東京マラソンが始まる前までは

申し込み〆切は大会の約1ケ月前が当たり前だった→今のように半年も前から申し込みしなきゃならなくなったのは東京マラソンが始まってからだチューチューチュー)




それで

翌々年の別大マラソンに向けて

(思い出のマラソン1で記述)

更にマラソン人生が続く事となった(笑)

ウインクウインクウインク


そう言う意味で

2回目の防府読売マラソンは運命を変えた

マラソンだと思うウインクウインクウインク