グレテ・ワイツ(ノルウェイ)
1953年10月1日生れ
'83第1回世界選手権(ヘルシンキ)・・・チャンピォンであり。
'84ロス5輪・・・女子初回大会の銀メダリスト。
マラソンに転向する前には3000mなどの世界記録を打ち立てた。
女子マラソンにスピードを持ち込んだ最初のランナーと
言って良い
世界最高記録4度更新
この間に約9分も世界最高記録を更新
(なかでもNYcityでは'78~'80の3年連続世界最高記録で優勝している)
他の都市マラソンに比べタイムの出にくいNYcityでの
更新だから他のシカゴやロンドンなら2~3分は良かったと
推定される。
4回目の更新は'83ロンドンで2:25:29更新したが
翌日のボストンでベノイトが約3分上回る2:22:43で更新し
僅か一日の世界最高記録だった。
マラソンに適応した彼女はやはりクロカンに強く
'78~'81まで世界クロカン4連覇を含め
5度の世界チャンピォンである。
やはり、クロカンを強くなるということは
マラソンに強くなるということを
彼女も証明している。
また
10K(1979年の31:16、そして30:59)では二度の世界最高記録
15K(48:01)と10マイルの距離の世界最高記録を打ち立てた。
マラソン16戦13勝(15戦と言われる?)
中でもニューヨークでは9回の優勝/10回を誇る(1回はDNF)
一大会で9回の優勝は他に類を見ない。
他ロンドンで2回、世界選手権1回、ストックホルム1回
しかも負けた3回は故障でDNFが2回
うち1回は'88ソウル5輪で18マイル過ぎに膝の故障のためDNF
うち1回は'81NYcity。
1回はロス5輪でベノイトに先行を許し(速すぎるのでつかなかった)
最後は追い込んだが約400mの差までしか詰められなかった
2or3?戦のみである。
20世紀最高の強さを誇ったランナーである。
ほとんどすべて主要マラソンのモタを最高とする評価もあるが
僕は世界最高を4度更新し
女子マラソンにspeedを持ち込んだ功績は大きいと思う
5輪チャンピォンの肩書だけが無いだけである。
少なくとも女子マラソンが'80モスクワで始まっていたら
彼女は間違いなくゴールド・メダリストだったろう
マラソン成績
1)'78 NY city 2:32:30 優勝 世界最高記録
2)'79 NY city 2:27:33 優勝 世界最高記録
3)'80 NY city 2:25:42 優勝 世界最高記録
4)'81 NY city DNF?
5)'82 NY city 2:27:14 優勝
6)'83 ロンドン 2:25:29 優勝 世界最高記録
7)'83 ヘルシンキ世界選手権 2:28:09 優勝
8)'83 NY city 2:27:00 優勝
9)'84 ロス5輪 2:26:18・・・2位(銀メダリスト)
ベノイト2:24:52に敗れる
モタ、クリスチャンセンには勝つ
10)'84 NY city 2:29:30 優勝
11)'85 NY city 2:28:34 優勝
12)'86 ロンドン 2:24:54 優勝・・・PB
13)'86 NY city 2:28:06 優勝
14)'88 ストックホルム 2:28:24 優勝(現在でも大会記録)
15)'88 ソウル5輪 DNF
(18マイル過ぎにリタイア)
膝の悪化(故障)だといわれるが
1月半後のNY cityを走っているし
30kmまで走っている
大きな故障ではなかったと言える
事実、TOPグループから
(モタ、ドーレ、マーチン、ソロビンスカヤからは
大きく遅れていた)
16)'88 NY city 2:28:07 優勝
2005に自分がガンであることを公表した
'88のソウルに参加していないとウキペディ゙ア(日本語版)に
書いているので
古いビデオを持ち出し確認してみた
(フォームも見たかった)
やはり、参加しており
当初はtopグループにいたが
遅れ、18マイル過ぎにDNFが正解だった。
日本代表は
浅井、荒木、宮原
浅井の監督の佐々木功は確かに
この時代は生きていた・・・
1953年10月1日生れ
'83第1回世界選手権(ヘルシンキ)・・・チャンピォンであり。
'84ロス5輪・・・女子初回大会の銀メダリスト。
マラソンに転向する前には3000mなどの世界記録を打ち立てた。
女子マラソンにスピードを持ち込んだ最初のランナーと
言って良い
世界最高記録4度更新
この間に約9分も世界最高記録を更新
(なかでもNYcityでは'78~'80の3年連続世界最高記録で優勝している)
他の都市マラソンに比べタイムの出にくいNYcityでの
更新だから他のシカゴやロンドンなら2~3分は良かったと
推定される。
4回目の更新は'83ロンドンで2:25:29更新したが
翌日のボストンでベノイトが約3分上回る2:22:43で更新し
僅か一日の世界最高記録だった。
マラソンに適応した彼女はやはりクロカンに強く
'78~'81まで世界クロカン4連覇を含め
5度の世界チャンピォンである。
やはり、クロカンを強くなるということは
マラソンに強くなるということを
彼女も証明している。
また
10K(1979年の31:16、そして30:59)では二度の世界最高記録
15K(48:01)と10マイルの距離の世界最高記録を打ち立てた。
マラソン16戦13勝(15戦と言われる?)
中でもニューヨークでは9回の優勝/10回を誇る(1回はDNF)
一大会で9回の優勝は他に類を見ない。
他ロンドンで2回、世界選手権1回、ストックホルム1回
しかも負けた3回は故障でDNFが2回
うち1回は'88ソウル5輪で18マイル過ぎに膝の故障のためDNF
うち1回は'81NYcity。
1回はロス5輪でベノイトに先行を許し(速すぎるのでつかなかった)
最後は追い込んだが約400mの差までしか詰められなかった
2or3?戦のみである。
20世紀最高の強さを誇ったランナーである。
ほとんどすべて主要マラソンのモタを最高とする評価もあるが
僕は世界最高を4度更新し
女子マラソンにspeedを持ち込んだ功績は大きいと思う
5輪チャンピォンの肩書だけが無いだけである。
少なくとも女子マラソンが'80モスクワで始まっていたら
彼女は間違いなくゴールド・メダリストだったろう
マラソン成績
1)'78 NY city 2:32:30 優勝 世界最高記録
2)'79 NY city 2:27:33 優勝 世界最高記録
3)'80 NY city 2:25:42 優勝 世界最高記録
4)'81 NY city DNF?
5)'82 NY city 2:27:14 優勝
6)'83 ロンドン 2:25:29 優勝 世界最高記録
7)'83 ヘルシンキ世界選手権 2:28:09 優勝
8)'83 NY city 2:27:00 優勝
9)'84 ロス5輪 2:26:18・・・2位(銀メダリスト)
ベノイト2:24:52に敗れる
モタ、クリスチャンセンには勝つ
10)'84 NY city 2:29:30 優勝
11)'85 NY city 2:28:34 優勝
12)'86 ロンドン 2:24:54 優勝・・・PB
13)'86 NY city 2:28:06 優勝
14)'88 ストックホルム 2:28:24 優勝(現在でも大会記録)
15)'88 ソウル5輪 DNF
(18マイル過ぎにリタイア)
膝の悪化(故障)だといわれるが
1月半後のNY cityを走っているし
30kmまで走っている
大きな故障ではなかったと言える
事実、TOPグループから
(モタ、ドーレ、マーチン、ソロビンスカヤからは
大きく遅れていた)
16)'88 NY city 2:28:07 優勝
2005に自分がガンであることを公表した
'88のソウルに参加していないとウキペディ゙ア(日本語版)に
書いているので
古いビデオを持ち出し確認してみた
(フォームも見たかった)
やはり、参加しており
当初はtopグループにいたが
遅れ、18マイル過ぎにDNFが正解だった。
日本代表は
浅井、荒木、宮原
浅井の監督の佐々木功は確かに
この時代は生きていた・・・