★谷口浩美さんは最も賢さが目立ったランナーだと思う★

高校は小林、エース格だった。
学生時代は山下りの谷口で有名だったが
旭化成に入り、将来の不安のため教員試験を受けた
ほどである(採用には至らなかった・・・旭化成という企業の影響力かも?)

220歩/分の常人離れしたハイピッチで首をかしげて走るのが特徴だった。

何度か大会で会ったことがある、
印象としては骨と皮だけの感じで凄く細かった。
しかし
体重が僕と同じくらいで細身の割に重いと驚いたことがある。


1)1985.2  別大マラソン 2:13:16 初マラソン初優勝

2)1985.12 福岡国際   2:10:01 2位

3)1986.2  東京国際   2:11:42 7位

4)1986.10 ソウルアジア大会 2:10:08 2位
  中山選手に彼は10分台の選手と言われたレース
  彼の本領はここから発揮される

5)1987.2  東京国際  2:10:06 優勝 中山、アベベメコネンに勝利
  故障を抱えていたとは言え、中山に初勝利
  給水でスパートするなど
  相手が嫌がるレース(頭を使った)するようになる

6)1987.5 ロンドン  2:0950 優勝 
  ロンドンを制した日本人は瀬古氏と谷口氏の2人だけだ
  今や世界一決定戦の舞台

7)1987.12 福岡  2:12:14 6位
ソウル5輪選考会
  中山選手のハイペース付き、新宅選手と2位争いをするが
  潰れ気味となり工藤選手にも敗れまさかの日本人4位。
  中山と新宅を意識しすぎたかもしれない。

  宗茂氏はスタートラインにつかず引退を決意
  前年日本最高をだした児玉氏や同じく北京で7分台を出した
  伊藤国光氏や宗猛氏も勝負させてもらえず。


8)1988.2 東京  2:13:16  9位
  瀬古さんが救済されるならと2度目の選考に臨む
  しかし30kmから明らかにスタミナ切れ
 ・・・当時、食生活を指導した先生がレース直前に
   肉ばかり食べることを推奨したという
   グリコーゲンが必要なマラソンに肉は無いだろう・・・と思った
  このマラソンは2度目の転機
  さらに進化する。

9)1988.10 北京 2:07:40 2位 ・・・自己ベスト
  ソウルをエチオピアがボイコットしたため、エチオピアの一流選手も集結
   アベベメコネンとの一騎打ちに5秒くらい及ばず
  しかし一気にサブ8ランナーとなる。
  同時期にソウル5輪だっただけに
  ソウルを逃したのは惜しまれる
 

10)1989.2 東京 2:09:34 優勝
敵がいなく独走

11)1989.8 北海道 2:13:16 優勝
  当時の大会記録
  一流ランナーがこの大会に出るのは珍しかった
  暑さに強いことも証明した

12)1990.4 ロッテルダム 2:10:56 優勝
  ロッテルダムを制した男子は彼しかいない。

13)1991.2 東京  2:11:55 9位
  世界選手権代表が決まって心が緩んだせいか
  まさかの惨敗

14)1991.9.1  東京世界選手権 2:14:57 優勝
  タイムは平凡だが、真夏の東京でのこの記録は凄い

  このときも36kmすぎの坂でスパートし
  逃げきる。
  中山は30km過ぎリタイア、篠原は5位

  オリンピックを経験したことのある中山が30km過ぎ
これ以上ダメージを残すとバルセロナ5輪(or選考会)に出れないと
判断したくらいの酷暑だった。

Eランナーズのブログ
腿の盛り上がりが走り込んだ脚を思わせる。
36kmすぎの上り坂でのスパートは見事だった

世界選手権金メダリストは男子は谷口氏しかいない。

15)1992.8 バルセロナ5輪 2:14:42 8位

順位は8位だがゴール後のインタビューで
”こけちゃいました”と言ったさわやかさがあった。

Eランナーズのブログ
20km過ぎ給水のTOP集団
後方に 裸足の谷口選手が見える
日本ではおなじみの、アベベメコネン、
セロン(1990別大大会記録で優勝:ゴールドメダリストの黄を破る)
中山の後ろに、黄、イカンガーもいる。

シューズを踏まれ、シューズが脱げた上に転倒
再びシューズを履き
TOP集団を追い上げたが、ここで森下がスパートし
たためTOPに追いつくことはできなかった

タイムを計った記者によるとシューズを履き直してから
どの選手よりも速かったという・・・

(後々、バルセロナ5輪前に疲労骨折し
プールで心肺機能を落とさないように毎日数時間トレーニング
走る練習は1月ほどしか練習出来なかったという)
明らかにこれ以降の彼のレースは全盛期を過ぎた感があった。

宗監督は ”谷口は100点満点””森下は95点”と評価した。
(森下選手には相当自信があったのだろう)

マラソン直後のTVのインタビューに
”こけちゃいました”とさわやかにコメントしたことにより
”フェアプレー賞”を受賞した。
(有森さんも受賞)


16)1993.4 ボストン 2:11:02 4位 
 僕が彼と同じスタートラインに初めてたてたレース
 当日はあいにくのフェーン現象で暑かった
 
 僕は果敢に前年バルセロナ5輪女子優勝のエゴロワに挑み
 2kmすぎに追いつくが、6km過ぎに置いていかれる(苦笑) 
 ちなみに僕は101位(2:37:37)

17)1993.12 福岡 2:22:28  38位

 大惨敗・・・ここまでリタイアしたことがなかった彼は
 完走の美学を追い・・・大きなダメージを残した
 
 僕は彼の姿を見て・・・体調悪い時はスパット止めることに
 している。完走の美学は時として大きなダメージを残す。

18)1994.4 ロッテルダム 2:10:56 5位

19)1995.2 東京  棄権
  前回の福岡の失敗でこのときはすんなり棄権できた

20)1995.3 びわこ 2:11:42 4位

21)1995.12 福岡 2:10:42 7位
  7位の成績だったがベテランの安定感を買われ
  アトランタ代表に

22)1996.8  アトランタ5輪 2:17:26  17位
  日本選手では最上位
  が勝負にはならなかった。

23)1997.2  東京 2:11:26 4位
 引退レースとなる
 しぶとく粘って4位まで上がる
 僕と2度目のリンク 僕は2:29:09 55位

7勝/23戦はやはりマラソンランナーとして多くの
栄光を得ている

人柄も良い方で
1991年9月世界チャンピォンになったときの9月
阿蘇市民ロードレースに来ていた時
娘を抱っこしてくれ気軽に写真に応じてくれたそうだ。

でも、選手には厳しいかも知れない(笑)

福岡国際での優勝がなかったのは残念
東京電力での選手の育成が楽しみ

一線を退いてからのマラソン追記
24)1997 ホノルルマラソン 2:19:17 8位

25)1998 ロックンロールマラソン 2:1712 8位

26)1998 シドニーマラソン  2:27:28 20位

27)1999 長野  2:22:08 14位

28)1999 北海道 2:20:13 10位

29)2000 東亜マラソン 2:18:28 12位

30)2000 シドニーマラソン 2:25:08 17位

  最後に2000シドニー5輪と同じコース?を走っているのは
  やはり5輪へのこだわり?かなぁ