〇瀬古氏は最強ランナーだった。
マラソン15(16)戦 10勝
1)1977.2.13 京都マラソン 2:26:00・・・10位(優勝はビル・ロジャース2:14:25)
2)1977.12.4 福岡国際 2:15:01 ・・・5位(優勝はビル・ロジャース2:10:55)
3)1978.7.3 英選手権マラソン2:53:17・・・69位
???(この記録は?である陸上競技マガジンに記載)
4)1978.12.3 福岡国際 2:10:21・・・優勝
5)79.4.18 Boston 2:10:12・・・2位(ビル・ロジャース2:09:25に敗れる)
6)79.12.2 福岡国際 2:10:35・・・優勝
宗兄弟とともにモスクワ5輪代表となるが・・・日本のボイコットにより
出場できず。
レスリング高田裕二さんや柔道の山下さんのように
出場できなかったことに悔しさは表現しなかった。
次もある・・・と
7)80.12.7 福岡国際 2:09:45・・・優勝・・・初めて10分をきる
8)81.4.20 Boston 2:09:26・・・優勝
・・・ビル・ロジャースの4連覇を阻む
負け続けたビル・ロジャースついに破る
9)83.2.13 東京国際 2:08:38・・・優勝
・・・イカンガーを振り切り日本最高
10)83.12.4 福岡国際 2:08:52・・・優勝
・・・ロス5輪選考会、イカンガーをラスト100mで振り切る
ラスト100mは一説では12秒台だったとか
・・・かみそりスパート瀬古の真骨頂のレース
日本人宗兄弟、伊藤国光の4人の中で最初に落ちたのは宗茂だった。
しかし宗茂は脅威の粘りで伊藤国光、宗猛を抜き返し、日本人2位。
伊藤国光は初のサブテンながら日本人4位と敗れる。
無冠の帝王と呼ばれるゆえんである。
初マラソンの中山はこのとき30kmくらいまでtopグループに存在した
11)84.8.12 ロス5輪 2:14:13・・・14位(調整失敗といわれる)
・・・夏マラソンを走った経験が無かったのが敗因か
・・・・これ以降も気温の高かったマラソンはtimeが悪い
12)86.4.20 ロンドンマラソン 2:10:01・・・優勝
13)86.10.26 シカゴマラソン 2:08:27・・・自己最高・・前半飛ばすものの失速。。。
脱、コバンザメ走法だった。自己最高を唯一狙ったレース
中村監督が他界し、中山を意識したレース?
アーメード・サラ(ジプチ:ソウル銅メダリスト、広島W杯で中山を破る)との
一騎打ちを制し自己ベスト更新
サラと一騎打ち(当時サラは勝負強かった
アーメード・サラ
1985 広島W杯2:08:07で優勝(中山、宗兄弟を破る)
1987 ローマ世界選手権 銀メダリスト
1988 ソウル5輪 銅メダリスト
1991 東京世界選手権 銀メダリスト
自己ベストは
2:07:07(1988ロッテルダム)
瀬古は賞金4万$と出場料3万$を得たと言われる
14)87.4.20 ボストンマラソン 2:11:50・・・優勝
ワンウェイコースで逆風だったためtimeは悪いものの
スティーブジョーンズ(マラソン元世界最高記録保持者2:07:13)
イカンガー、キャステラを
ハートブレークヒルで振り切り強さを見せ付けた
ソウルに向け強さを見せつけたレースだった。
3位の位置にいるのがS.ジョーンズ
2位の位置はスミス
優勝賞品のベンツをどうするか
話題になった。
15)88.3.13 びわこ毎日マラソン 2:12:41・・・優勝 ソウル予備選考会・・・瀬古救済
18.5度と高温だった
文句なく選ばれるためには2時間8分台で走らなければ
ならなかった。
前半から独走で中間点1時間3分45秒で通過 したものの、
30km以降はスタミナ切れが顕著に見られ、
瀬古の後半強いというマラソンのイメージから言えば、
スタミナ切れで惨めにあがく姿は見たくは無 かった。
30kmからは16:00-17:01-7:56
レース前2時間8分台じゃないという印象があったので
レース後”これで選んでもらえる”・・・という表現をした
のは僕は残念に思った
この一連の選考会の出来事は
結局、彼にとって彼の評価を落とす結果となったかもしれない
16)88.10.2 ソウル5輪 2:13:41・・・9位
S&Bの同僚だったワキウリよりも先に遅れたのはショックだった。
SB時代ワキウリは瀬古の格下のイメージ
瀬古の最盛期は’83年だったと思う。とにかく最後までもつれれば勝ちだった。
しかし、5輪を除けば、78年福岡以降
78年にビル・ロジャースに敗れた以外 負けはない。
78年以降、彼に土をつけた日本人ランナーは
ロス5輪の宗猛 2:10:55・・・ 4位、
ソウル5輪の中山2:11:05・・・4位しかいない。
マラソンの強さはtimeよりも誰に勝ったかが
重要であり、日本および海外の強敵を
退けた彼は紛れも無く、日本史上最強ランナーだ。
ただ、気温20度以上のレースでの活躍は今ひとつで、
夏マラソン対策が不足していたのかもしれない。
5輪には縁が無かったとか言うしかない。不運だ。
80年モスクワ5輪の時は世界に瀬古の敵はいなかった。
ボイコットが生んだ悲しい運命だ。
84年以降ソウル選考びわこ以外日本のマラソンは走っていない
・・・84以降、台頭した中山との直接対決を見たかった。
(瀬古サイドが直接対決を避けたように思う)
千葉国際駅伝は瀬古の引退レースとして始まった。
そのレースは 1区10kmで新鋭早田俊幸(カネボウ)27分台で走り、
全国区へデビューしたレースでもあった。
