ご無沙汰しておりました。
3月21日、祖母の体調の悪化の連絡を受け、22日急遽日本へ飛びました。
母が祖母の主治医と話をしてくれたところ
「そういうことでしたら(ドイツから戻ってこようということでしたら)
まだ元気だけど、 話ができるうちに戻ってきていただいたほうがいいかもしれませんね」
10年ぶりの日本の春の日差し。
着いた頃はちょうど桜もチラホラし始めてていました。
見舞った祖母は酸素マスクをつけていて呼吸は苦しそうなものの 見た目は
「本当に病気?」
と思うほど顔色もよく元気そう。
一応4月4日にドイツに戻ることにしていた私は、とにかく 納得して帰るために
主治医と直接話をすることにしました。
病気が発覚した当初からの体内のレントゲンやほかの機材による写真をみさられての説明。
あの元気な祖母の体の内側は こんなになってしまっているのか?
腹水、胸水もすでに溜まっていて、呼吸が苦しいのは 肺全体がすでに癌に犯され
硬化してしまっているため。
「入院当初からすでにモルヒネ・・・ではないけれど 同じ作用をする薬を投与しているので
だんだん ぼーっとしている時間が長くなる、なので できるだけ早く会ったほうがいいと
判断しました」
と主治医。
そして
「お帰りになられる4月4日頃が 山だと思われます」
3月31日までぼーっとしている時間は増えてはいたものの、笑いながら3人のひ孫と一緒に笑っていたおばあちゃんの体調は 次の日 4月1日に急激に悪化。
4月3日深夜、永眠しました。
甘いものが大好きだったおばあちゃんに 桜餅や柏餅を小さく切って食べさせてあげたり、おおよそ 彼女が喜ぶであろう、また 望むであろうと想像できることは
すべてやってあげることができました。
4月12日、ドイツに戻ってきました。
ドイツは一気に春になっていました。
ドイツの景色を見た途端、祖母が亡くなったという実感がわいて来ました。
自宅でピアノを弾いた途端、祖母が永久にこの地上からいなくなってしまったことを
実感しました。
私の人生を支えてくれ 愛でていてくれた祖母は もうどこにもいない・・・・・・