日曜日のことはもうずいぶん書いたので いよいよゼミのことを・・・・・
クルト ヴィートマー教授、とにかくすごい人なのである。
彼の前で歌うと 自分の悪いところがすべてでてしまう、あれ?こんなはずじゃなかったのに~!という歌になってしまう。
そしてかれのレッスン、ものすごい的を得ているのだけれど ものすごい抽象的なので
わけがわからんくなる、例えば・・・・・・
今回わたしがどうもよくわからんのは バイオリンの弓を持ち 左腕をバイオリンにみたて
弓を下ろしながら歌う、という練習法だ。
弓の動きはものすごい微妙で、だけどちゃんと流れている、この動き、この流れが
音楽の、いわば空気の流れ、なのです。
そしてそれと同時に体が開くわけなのですが、この動き、ヴィートマーと一緒にやると
「あれ?なんで?なんでできちゃうわけ?」くらい簡単に歌が歌えてしまうのに
一人でやると動きに集中しすぎてぎこちなくなり 当然歌はへんてこりんな方向へ行ってしまう。
彼の独自の練習法はたくさんあって そのほかにも椅子に座った状態で長い筒を体の前で微妙に前後に動かす、というのや ヨーヨーを手に持ち円を壊さないように歌い続けるとか およそこれが声楽のレッスンなのか?とたぶん普通のレッスンを想像している人たちにはびっくりされるようなアイテムがでてくる。
しかし、それが本当によく歌えるようになるんですよね。
わたしもこの一派に入って早10年~、あいかわらずミステリアスでしかも的確、
歌のレッスンというよりは魂の洗濯をするような彼らのレッスンが大好き。
結局わかったようなわからんようなでゼミが終わってしまい、これじゃあ帰れん!と
6月16日、かえって来る間際にオルガにレッスンをしてもらった。
私が忘れていたことは 自由になること、だった。
うたうぞ!という気持ちさえ 歌を歌うことには邪魔になる。
自分がそこに立っている(楽器)、私の周りで空気が動く(演奏)、そして音楽になる、
たったそれだけのことだった。
あ~、忘れちゃってた、あの感覚、2年って長かった。
しかし 今の私の問題は じゃあどうやって「自由」である状態に自分をすることが出来るの?であ~る。
オルガにレッスンしてもらったときは 「円を描きながら自分が円の中心にあると感じなさい、ほら、あなたはなにもしないのに円が安定してきたでしょ、ほら、今うたってごらんなさい」と彼女に促されうたったけれど それはもう なんとも表現のしようがないくらいに
気持ちがよく、歌った後は わたし、このごろなんてつまらない生活してたんだろう、とか
同じ世界が全く別物になってしまった、たったそれだけで。
自由であるということ、自分を開放すること、開放する、ということは同時に周りを、相手を受け入れるということ、じゃあないのか?
では自由とはなんぞや?
・・・・・・・・・・肉体がないってこういうことなのね。生きるってなんて重いものをいつも持っているんだろう・・・・・・・
一つの自由の形は 軽さ、だろうなぁ。
わたし、またいろいろ持ちすぎてる、本当に必要なものなんてそんなにないのに。
でも今は必要なものがとても重荷・・・・というか 責任を持たないといけないものが増えて
それが私を重くする。
もうその時点で 相手を受け入れてないんだなぁ・・・・・
あ~、これわたしの人生、魂の欠点かもしれん!!!!!!
いいレッスンだった。