遠藤正敬『犬神家の戸籍』。
とても面白い本でした。
NHKBSで横溝正史の原作を読み解いていく「深読み読書会」というのを前にやってましたが、あれを"戸籍"というものに特化し、それを通して、さらに深読み追求しているような感のある面白さの本でした。
横溝正史の代表作「犬神家の一族」は、戦後の転換期である敗戦から民主化へと向かう新旧の制度や慣習が錯綜していた時期に書かれた探偵小説です。
犬神家の複雑で血みどろのおどろおどろしき人間模様を描いた、もはやミステリというだけでは済まないような怪奇小説でもあり、おぞましき家族小説にして血まみれのヒューマンドラマでもある奇怪な作品ですが、そのおぞましさを紙の上で規定していたのは「戸籍」だったわけです。
故にこの本は、この犬神家の戸籍を精緻に読み解き、検証していくことで、日本社会の根底にある「血」や「家」の秩序と価値観というものを明確にすると同時に、それが最もおどろおどろしき血まみれの様相を呈した"犬神家の一族"というものの根本に肉薄していく迫力のある本になっています。
犬神家で巻き起こった複雑怪奇な連続殺人事件には、戸籍によって成り立っている"家族"というもののおぞましき側面がダイレクトに関係しています。
つまりこの本は、日本の社会に根強く残る「血」や「家」の秩序と価値観という近代日本の暗部が、あの血で血を洗う犬神一族の系譜と殺戮の数々といかに密接に関係しているかを、"戸籍"という根本を丹念に辿り直して炙り出しているわけですな。
本の構成は、
序章 『犬神家の一族』の読み方
第1章 「犬神家」とは誰か―家族制度の転換期の物語
第2章 犬神佐兵衛の戸籍―孤児に始まり、家長に終わる
第3章 婚外子がいっぱい―犬神佐兵衛の落とし種
第4章 養子たちの命運―日本ならではの「家族」
第5章 戦争と個人の戸籍―事件捜査を左右したものは
終章 犬神家の戸籍が映し出す「日本」―愛憎入り混じった一族の“系譜”
という風に分かれています。
横溝正史氏は金田一耕助を“結婚させなかった”と前に語っていましたが、それは婚姻から始まるこの日本の家、血族のおぞましき因習の外で、金田一には自由に生きてもらいたかったからではないかと著者は言われていますが、たぶん横溝さんもそう思っていたんではないかと思いますね。
何故なら横溝正史氏こそが、この日本の家と血の秩序にがんじがらめにされた、おぞましいまでに複雑な家族関係や戸籍の呪縛の渦中で苦悩した、当のご本人だからです。
以下は、横溝家のリアルな家系図なのですが、
あの横溝作品における複雑怪奇な家族関係を描いたおどろおどろしき探偵小説の世界というのは、まさにリアルでこうした複雑極まる家族関係の中にいて、苦悩していた人間だからこそ描けた作品ではないかというのはどうしても思いますね。
そしてこの本は、「犬神家の一族」が他のおどろおどろしき家族関係を描いた横溝作品といかに一線を画して違うかという点についても明確に分析しています。
それは他の横溝作品は、所謂、伝統的な日本の旧家というものの複雑でおどろおどろしき家族関係の暗部が描かれているお話なのに対し、「犬神家の一族」は孤児から這い上がって一代で犬神財閥を築いた犬神佐兵衛という成り上がり者の一族の話であるという違いです。
しかもその成り上がりは前近代的な旧家とは正反対の、寧ろ近代的な欲望自然主義の無秩序なまでの欲望の発散によって成立したものです。
つまり犬神家というのは、近代の欲望自然主義の象徴のようなものであり、前近代的な日本の旧家のおどろおどろしき因習ではなく、極めて近代的な欲望自然主義の結果生み出された、おぞましくも複雑な家族関係の一族ということです。
この指摘は個人的にはかなり重要なものではないかと思いますね。
それは1976年に「犬神家の一族」が映画化されて、その大ヒットによって、その後同じ市川崑監督により「悪魔の手毬唄」「獄門島」「女王蜂」「病院坂の首縊りの家」と横溝作品が映画化されていくわけですが、やはり未だに最初の「犬神家の一族」だけが決定的に別格の生々しさを発散させているわけです。
「犬神家の一族」だけは、生々しさにおいて、何か全く違う次元のことを描いているのではないかという感触がずっとあったわけです。
最初に見た中学生の頃からそんな感触があるんですよね。
その理由は、これではないかと思うんですよね。
つまり他の横溝作品は昔のおぞましき旧家の暗部の事情を今の時代に顧みて、「昔は大変だったなぁ、ヤバかったな」と思わせるおどろおどろしき横溝世界なのに対して、「犬神家の一族」は今の近代的な時代の欲望自然主義が過度に発散されて巨大な一族を形成し、それが戸籍制度という古めかしいものと合体してしまった場合、さらにおぞましい奇怪なものになってしまう、今の時代(1976年当時から今に至るまで)にいつでも巻き起こる、極めて現代的なおどろおどろしき一族の生々しい惨劇を、大一族、戸籍制度という古めかしいものを通して見た世界だという違いがあると思うんですね。
だってね、この犬神家の大一族を作り上げ、率いてきた犬神佐兵衛さん、この人、法律上は独身なんですよ。
娘の松子、梅子、竹子の三姉妹は皆別々の妾に産ませた子供で、婚外子なんです。
斧琴菊の犬神家の三種の神器の家宝なんてのが出てきて、いかにも伝統的な旧家のように思われがちですが、犬神家は佐兵衛が一代で築いたただの成り上がり者の一族であり、そんな家宝なんて伝統的なものでも何でもないんです。
だけどそんな近代的な欲望自然主義の象徴のようなものが複雑な家族関係を形成し、戸籍制度という古めかしいものにがんじがらめにされて大一族を形成してしまうと、更なる奇怪な世界になってしまうという、謂わば、現代的なおぞましさを描いていた作品でもあるわけですよね、「犬神家の一族」って。
そりゃ別格で生々しいわけです。
そんなことを色々と洞察させてくれる、中々にラディカルで面白い好著です。