自分らしく生きよう。
そんな言葉をよく聞く。
本屋にも並んでいる。
SNSにも流れてくる。
動画でも語られている。
自分らしさ。
個性。
本当の自分。
どれも魅力的な言葉だ。
しかし私は、
ここに一つの違和感を感じている。
自分らしく生きようと言われるほど、
自分らしさが分からなくなる。
なぜだろう。
私は長い間、
この現象を観察していた。
そして気づいた。
私たちは、
自分を探しているようで、
他人を見過ぎている。
ここが重要だ。
例えばSNS。
誰かの生き方を見る。
自由そうだ。
楽しそうだ。
成功している。
魅力的だ。
すると考える。
自分もこうなりたい。
自分もこうあるべきだ。
そしてまた別の人を見る。
今度は別の理想が現れる。
すると迷う。
本当の自分はどれなのだろう。
私は団地を歩きながら考える。
昔は、
今ほど他人の人生が見えなかった。
比較対象も少なかった。
だから自分の感覚で決めるしかなかった。
好きか。
嫌いか。
やりたいか。
やりたくないか。
それで良かった。
しかし今は違う。
情報が多すぎる。
理想像が多すぎる。
人生モデルが多すぎる。
だから迷う。
面白いことに、
現代社会は個性を求める。
自分らしく。
唯一無二で。
好きなことで。
そう言う。
しかし同時に、
大量の見本を見せてくる。
理想の働き方。
理想の暮らし。
理想の成功。
理想の人生。
すると人は、
自分らしさを探しながら、
他人らしさを集め始める。
少し不思議だ。
自分を探しているはずなのに、
頭の中は他人でいっぱいになる。
市場から見ると合理的だ。
悩む人は探す。
探す人は見る。
見る人は消費する。
だから理想像は増え続ける。
私は最近、
自分らしさとは、
見つけるものではない気がしている。
削るものだ。
他人の期待。
他人の理想。
他人の評価。
そういうものを少しずつ外していく。
すると残るものがある。
好きなもの。
落ち着くもの。
自然に続くもの。
無理をしないもの。
それが自分らしさに近い気がする。
なぜ「自分らしさ」が分からなくなるのか。
それは自分がないからではない。
他人の情報が多すぎるからかもしれない。
そして私たちは今、
自分を探しながら、
他人の人生を見続ける社会で生きている。
問題は、
あなたの個性ではない。
問題は、
自分の声が聞こえにくい構造なのかもしれない。
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▼ 静かな生存インフラ通信
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SNS。
承認。
成功。
労働。
AI。
なぜか全部おかしい。
そんな違和感を感じたことはありませんか。
なぜSNSを見るだけで疲れるのか。
なぜ成功しても満たされないのか。
なぜ真面目な人ほど消耗するのか。
私はその違和感を観測し続けています。
ブログでは書けない観測記録は、
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観測者K
なぜか全部おかしい。
その違和感を静かに観測しています。