SNSを閉じる。
スマホを置く。
通知も消す。
本来なら、
少し楽になるはずだった。
しかし現実は違う。
SNSを見ていないのに疲れている。
何もしていないのに落ち着かない。
休んでいるはずなのに、
なぜか神経が重い。
ここに一つの違和感がある。
私は長い間、
この現象を観察していた。
そして気づいた。
疲れているのは、
SNSそのものではないのかもしれない。
ここが重要だ。
例えばSNSを見る。
比較する。
反応する。
情報を受信する。
当然疲れる。
しかし、
SNSを閉じても疲れが残ることがある。
なぜだろう。
私は団地を歩きながら考える。
人間の神経は、
スイッチのようには止まらない。
見たもの。
聞いたもの。
感じたもの。
全部が残る。
誰かの成功。
誰かの生活。
誰かの意見。
誰かの怒り。
誰かの不安。
SNSを閉じても、
情報は頭の中に残る。
そして考え続ける。
面白いことに、
現代人は情報を消費しているようで、
情報に消費されていることがある。
見た瞬間は終わっている。
しかし脳は終わっていない。
比較している。
分析している。
不安になっている。
未来を想像している。
だから疲れる。
私は最近、
SNS疲れという言葉に少し違和感がある。
本当に疲れているのは、
SNSではないのかもしれない。
情報社会そのものかもしれない。
ここが重要だ。
SNSを閉じる。
しかしニュースがある。
動画がある。
広告がある。
AIがある。
検索がある。
常に何かが流れている。
つまり、
神経が休まらない。
市場から見ると合理的だ。
見てもらう。
反応してもらう。
利用してもらう。
その方が利益になる。
だから情報は止まらない。
だから接続も止まらない。
私は思う。
疲れている人は、
怠けているわけではない。
弱いわけでもない。
むしろ、
受信し過ぎているだけかもしれない。
現代社会は、
情報を受け取る能力を求める。
しかし、
情報を止める能力は教えてくれない。
だから疲れる。
だから休めない。
だからSNSを閉じても疲れている。
なぜSNSを閉じても疲れているのか。
それはSNSだけが原因ではない。
私たちは今、
常に何かと接続された社会で生きているからだ。
問題は、
あなたの回復力ではない。
問題は、
神経が休みにくい構造なのかもしれない。
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▼ 静かな生存インフラ通信
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SNS。
承認。
成功。
労働。
AI。
なぜか全部おかしい。
そんな違和感を感じたことはありませんか。
なぜSNSを見るだけで疲れるのか。
なぜ成功しても満たされないのか。
なぜ真面目な人ほど消耗するのか。
私はその違和感を観測し続けています。
ブログでは書けない観測記録は、
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観測者K
なぜか全部おかしい。
その違和感を静かに観測しています。