なぜ自己開示が商品になるのか | なぜか、全部おかしい

なぜか、全部おかしい

SNS、承認、成功、労働、AI。普通に見える社会の中で、なぜか消えない違和感を静かに観測しています。

自分の話をする。

昔はそれだけだった。

日記を書く。

友人に話す。

経験を共有する。

それで終わりだった。

しかし今は違う。

自分の話に価値が付く。

体験が商品になる。

人生がコンテンツになる。

ここに一つの違和感がある。

私は長い間、

この現象を観察していた。

そして思う。

なぜ私たちは、

ここまで自分を見せるようになったのだろう。

ここが重要だ。

例えばSNS。

何を食べたか。

どこへ行ったか。

何を感じたか。

何に悩んだか。

昔なら誰にも話さなかったことが、

今は発信される。

しかも、

反応が返ってくる。

共感される。

応援される。

評価される。

すると、

自分の経験に価値がある気がする。

私は団地を歩きながら考える。

人間は昔から物語が好きだった。

誰かの失敗。

誰かの挑戦。

誰かの苦労。

誰かの成功。

そういう話に惹かれる。

だから自己開示は届く。

数字も伸びる。

共感も集まる。

面白いことに、

現代社会では専門知識だけではなく、

人生そのものが価値になる。

失敗談。

挫折。

病気。

離婚。

転職。

借金。

昔なら隠していたことが、

今はコンテンツになる。

市場から見ると合理的だ。

共感は強い。

知識よりも届く。

広告よりも信じられる。

だから人は、

自分の人生を語る。

そして市場は、

それを価値へ変える。

私は最近、

少し不思議に思う。

本当に売られているのは、

経験なのだろうか。

それとも、

感情なのだろうか。

共感なのだろうか。

安心なのだろうか。

時々分からなくなる。

自己開示は悪くない。

誰かを救うこともある。

勇気になることもある。

しかし、

境界線が曖昧になることがある。

どこまで話すのか。

どこまで見せるのか。

どこまで市場へ渡すのか。

そこは難しい。

私は思う。

自己開示が商品になる時代とは、

人生そのものが市場へ接続された時代なのかもしれない。

昔は商品と人間が分かれていた。

今は違う。

人間そのものが商品になる。

だから強い。

だから苦しい。

だから疲れる。

なぜ自己開示が商品になるのか。

それは人々が、

情報よりも人間を求めるようになったからかもしれない。

そして私たちは今、

人生そのものが価値になる社会で生きている。

問題は、

あなたの発信ではない。

問題は、

人間そのものが市場になった構造なのかもしれない。


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SNS。

承認。

成功。

労働。

AI。

なぜか全部おかしい。

そんな違和感を感じたことはありませんか。

なぜSNSを見るだけで疲れるのか。

なぜ成功しても満たされないのか。

なぜ真面目な人ほど消耗するのか。

私はその違和感を観測し続けています。

ブログでは書けない観測記録は、

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観測者K

なぜか全部おかしい。

その違和感を静かに観測しています。