在籍していた渋谷中央支店の支店長は傑物だった。そのうえ気に食わないことがあると鉄拳も辞さないという男。今の時代なら確実にパワハラで訴えられるだろう。しかし仕事には常に真剣で顧客からの評判は抜群だった。2階に支店長室があったのだが、机に脚を乗せ、提出された稟議書を融資課長に放り投げている場面を見たこともあった。そのせいもあって、俺はこの支店長に恐怖を覚えていた。支店長の前では、常に直立不動、反論などせずすべて命じられたことを忠実にこなしていたのだ。そんな俺を買ってくれていたのかもしれない。青天の霹靂、まさにその言葉がぴったりの部署へ俺は転勤することになった。

「経営統括部」企画担当グループ、通称MOF担である。バルブ華やかりしころ大いにもてはやされた部署で、バブル崩壊後不祥事が続出し、名称も人員も一掃されたが、今でも綿々と続いていることは一般の人は知らないだろうね。

 初めて当時の大蔵省に行った時のことは忘れることができない。二階に続く広い階段を背広をびしりと決めた二人の男性が下りてきており、「地銀の頭取は」とか「今度あの人が行く信託銀行は」という言葉が聞こえた。俺は脇にでもよければいいものをまっすぐ昇って行ってしまいその二人とぶつかりそうになった。一人の男が俺の襟の行員バッチをチラッと見て、むっとした表情を見せたものだ。もう一つ驚いたこともあった。銀行局と黒板消しの様な看板の掲げられた部屋の前には粗末な椅子がいくつか置いてあって、そこに年寄りが何人も座っていたこともあった。接待(過剰接待だな)を通じて仲の良くなった銀行局の事務員が教えてくれたものだ。「あれは陳情に来た銀行の頭取ですよ」とね。都市銀行の頭取はさすがにそんなことはしなかったようだが大蔵省の威力、おそるべし、と思えた。

 俺の最初の仕事も鮮明に覚えている。我が班の班長、女性の戸田課長殿が俺を別室に呼び、大蔵省の〇〇さんが明後日から欧州出張なので餞別を渡してくるように、とのこと。俺が持っていく相手なので小物なのだろうが、それにしても厚さから推察するに、30万円以上だったと思う(毎日毎日金を数えていれば札の厚さでその金額はわかるね)。相手も軽く頭を下げた程度でごく普通にポケットにしまい込んだ。無税の金をね。とにかく、俺はMOF担の下っ端として色々な局面に立ち会ったのだった。

 その大蔵省の人々。巷言われるような、ふんぞり返って、出入り業者の下っ端の俺をこき使う、などという人はごく一部の者だった。宴会の後送っていく車、それもハイヤーではなく銀行自前の車であった場合、政治家連中の爆笑ネタも教えてくれたし、地方銀行の頭取の宴席での失態などにも言及し、俺も一緒に大笑いしたものだ。そんな中で、彼らはわからないねぇ、おかしい奴らばかりですよ、と、大蔵省の人たちが口をそろえて話したのは外務省のことだった。ニヤついた公家連中でね、あんな奴らが諸外国にいる邦人のために働いているというのはどうしても信じられない、という人もいた。また俺の接した大蔵省の面々の大部分の者は、真剣に国を憂い、真面目に財政、金融を通じて日本をよくしよう、という気概を持っていたことは、声を大にして、特に記しておきたい。ただし、それ、本当ですか?と俺は何度も聞きなおしたのだが、ごく一部を除いて、政治家はほとんどが勉強不足の格好つけ野郎だ、と彼らは言うのだった。票にならないことは一切興味を持っていない、ともね。

 ドル円の解説で始終テレビに出ていた某審議官は「内村、お前な、国会議員百名に『ドル安円高』の意味を聞いてみろ。ほとんどの連中が、1ドル100円が120円になったら、円高だ、と答えるぜ」と呵々大笑したものだ。

 MOF担の中ではとびぬけて低能の俺ではあったが、生来の調子の良さを出して俺は泳ぎ回っていた。特に男女の機微については敏感であった俺は、優秀な連中は学級委員タイプの美女に弱い、の例え通り、うまく上司の戸田を説得して大蔵省のお偉いさんとの飲み会に引っ張り出したものだ。そのおかげで俺と戸田は大ホームランを放ったことがある。ちょっとした不祥事でわが行に「大蔵省検査」、通称クラ検が入ると予想された時のこと。経営陣は何とかその時期がわからないかと総動員で情報を取っていたのだが、我が上司、戸田女史のタイトスカートがめくりあがって露になった太腿に幻惑された某氏がその時期を、チラッと漏らしたのだ。メモなどできない。必死に頭に刻み付け戸田女史は俺の進言に従って経営陣に報告して大いに褒められた、というわけ。戸田女史の評価はさらに高まり、俺も戸田女史から珍しく感謝されたのだった。 

 そんなこんなで俺は日本社会の中枢部で、時には肝を冷やしながら経験を積んでいた。もちろん、「女道」、その探求にも驀進していたのである。

 

「内村慎也とは?」

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