荒れ野で叫ぶ声~主の道をまっすぐにせよ~ -3ページ目

荒れ野で叫ぶ声~主の道をまっすぐにせよ~

タイトルは会場名、サブタイトルは想いが関連しています。

『「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。』(ヨハネによる福音書/ 15章 01~02節)

 

イエス様と繋がるということは何でしょうか。信仰でしょうか、愛でしょうか。もちろんそれらはそうなのですが、ここでは、やはり聖霊様によって繋がっているということかと思います。しかし、洗礼を受けた人には聖霊様は内在しています。

 

しかし、聖霊様の導きよりも、自分の経験や周りの環境をみて判断しているような人は、主を愛していない人かもしれません。その場合が、主と繋がっていながら実を結ばない人ということでしょう。洗礼を受け、主を愛し、信仰により繋がっていれば、それは聖霊様で繋がっているとも言えるでしょう。

 

さて、そのように繋がっている人は、『実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる』のです。では、自然と整えてもらえるのでしょうか。私は以前、信仰と愛によりイエス様と繋がっていれば、自然と地位も名誉も、経済も健康も安定し、人からの誉れも受けられるようになると思っていました。

 

霊的には、奇跡の賜物なども順調にいただけるのではと思っていました。しかし、そのままでは、私は主と繋がりながらも実を結ぶ見込みはなかったのです。世での自分の安全と栄誉と財産こそが善いもの、と見ていたのです。因みにそういうものは、一旦すべてなくなりました。

 

これこそが『豊かに実を結ぶように手入れをなさる。』ということかと思います。もし私が、そのままの価値観であればどういうことかと言えば、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。

 

あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。』(:マタイによる福音書/ 06章 31~32節)私はここで言う、異邦人となんら変わりがなかったのです。さらにそのままで、神が祝福されたならこのような状態です。

 

『わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。』(フィリピの信徒への手紙/ 03章 07~08節)神から見れば、塵芥のみをかき集めて詰め込んだゴミ屋敷ということです。

 

神は、ゴミを取り除き、しかも世で有利であるこれらのことも、キリストを知る上では実はゴミであるとさえ教えてくださいました。ただし、神と繋がり神から来る祝福にそれらが含まれないわけではありません。しかし、それは、父の手入れが進み、我々が準備できてからなのではと思います。

 

豊かに実を結ぶとは、霊・経済・健康・人生すべてに及びます。なぜなら『地とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものは、主のもの。』(詩編/ 024編 001節)すべては主のものですから、豊かさに、量も種類も限定されることはないのです。 次回に続きます。

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☆次回の祈り会は、5月4日18:00~です。是非どうぞ!会場は、栃木県足利市通6丁目3229(P有り)

※お問い合わせは:携帯:080-5462-5243(ヨセフ原田)又はE-mail:yosafato12@yahoo.co.jp

 

関連リンク:

・『聖書分かち合い~+α時々毎日のミサ~』https://ameblo.jp/pahl/

再犯防止と元受刑者支援のNPO法人マザーハウス http://motherhouse-jp.org/

人員安定のお手伝いをします!人員安定&マネジメントアドバイザー:ヨセフ原田まで