あっという間に半月すぎ…。
不調の多いワタシですが、
なんとかやっています。
夜に
自由にお酒を愉しむシュジンをみては
キャベツの千切りや味噌汁などを
仇のように食べております。
ワタシはあちこち体に問題がありまして。
あげるとキリがないので
記事の必要性に応じてのみ
都度、書いております。
アルコールなんかは、
遠い昔は
なんともなかったんですよね。
顔にも出ないし。
お腹も痛くなることは稀で。
気分が悪くなったことすら
ほぼ、ありません。
30過ぎた頃からだったか。
過敏性の内臓疾患とやらが
発動されたのは。
ーーあれから十数年間。
まあ、やたらとお腹にきます。
とくに辛味と冷たいものには
即効性があります。(殺虫剤か)
ストレスとかね。
(何がストレスなんだか、
もはや わかりません…)
気をつけて、そんなものを食べたり
飲んだりしないようにしていても
理由も大してわからないまま
何故?ということもあります。
今はコロナのせいで
中々
友人と出かけることもありません。
それまで、ワタシと出かける友人は
長年のあいだに
「バニラはこんなかんじよね」と
思ってくれております。
「水筒にお湯持参」
これ、ワタシの場合は
「美」は全く関係無く
「お腹の安定」の為。
取り出して飲むのには
気を使う場所もあり。
ある友人などは
(私よりも先に)
「あ、この人は常温のお水で」
などと、まるで普通の事のように
水の交換まで申し出てくれたりします。
なんてありがたいんだろう。
内視鏡の時の下剤でさえ、
通常の回数なんかに収まらず。
看護師の方にまで心配され、
トイレ扉の前から
「大丈夫ですか??!」と
何度も尋ね続けられるという始末。
そんなこんなを
繰り返すからなのかストレスか、
たまに腸壁が本当に傷ついていたりして。
腹痛というものは
ワタシの意思とは関係なく
いきなり攻撃してくる。
「腸」は「脳」と繋がっている。
などと聞いたことがあるが、
それならば、大人しく
言うこときいてくれよー、と
しばしば思う。
「飲む席」があるとして。
この人ならば、こんな私でも
許してくれるかも…と判断後、
もう腹痛覚悟で愉しむんだぞ、と
いう時や
腹痛の心配を極力減らしたい場合には
八代亜紀で。
“え。最初から?“
と不審がる他人を振り切って
「しみじみ、ぬるめの燗で」
梅酒の湯割などを選んでは
チビチビとのみ、
『冷えたビールや洒落たものがのみたい…』
という願望を押しやっていました。
ビールのCMなどは
みているものとしては
「嗚呼、美味しそうー!」が
正解なのだろう。
ワタシがぼんやり思うことと言ったら
(お腹が強くて、いいなあ…)
(あんなに冷たいものを
ゴクゴクと飲んでみたいものだ)
という、羨望である。
こんなわたしですが、なにか。
さて。
どうでもよいことはこのあたりで。
前回記事からのつづき、
バニラの絵封筒。
不安な事を忘れるかのように。
あれから
あの方、あの方にも、と
手紙が増えていきました。
だんだん、
「押し売りわらしべ」なのでは…。と、
面白、こわく(?)なってゆく。
(送ったもの以上に
すてきな手紙が返ってくるのデス…)
バニラの気まぐれな手紙により
始まってしまった
(ワタシが)嬉しい
「交換会」や
頼み事への御礼の代わり。
「あの時」の真心への「お返し」
のつもりに送ったもの。
始めてみると、
こんなに「手紙」を送りたいひとが
居たんだなあ、と
しみじみ思ふ。
「どんなの描いたか」の記録として。
撮り忘れないように、自分を励ましつつ。
3通は
同じシリーズの切手と
同じレースペーパーを使った絵封筒に
なりました。
こちらは
前回記事のつぐみさんへのもの。
こちらが
ー写真家スイさんへ。
エドワード・ゴーリー風
展示会のフライヤーと
マスキングテープでコラージュを。
足りないところは、ペンで描く。
お皿まで食べてしまう、ウロンが来た来た。
フライヤーの切り抜き。
手書きの階段。
スイさんに、今更ながら
頼んでしまった個展の折のDM。
あのとき。
こちらの世界から
遠く、離れていたバニラの
目を奪っていった一枚を、と。
突然の願い事に
応えて下さった、スイさんへ。
手持ちのカードに
バニラの蝶をコラージュして。
スイさんにとんでいった、青い蝶。
ある、空想家への絵封筒。
すてきな茶会の栞とカードのお礼に。
赤い薔薇と絵封筒を。
キツネの紳士。
音鳴る、サロン。
隣の窓辺のマダム。
シルク糸の薔薇を、おくります。
絵封筒、
窓辺のマダムとスイーツが切手です。
やり取りをして下さった方は、
まだまだ、たくさん。
バニラが勝手に
気まぐれに。
送りたくて、送った手紙。
バニラとあのひと。
手紙の記事はつづく。
(「腸」のはなしから始めちゃって。
ちゃんと
「蝶」になって、よかったデス。)
では。