
昨夜、娘が1週間の予定で東京へ出かけました。
札幌は、朝から霙のような雪が降り続き、気温の低い寒い日でした。
千歳空港まで、車で(高速)40分ほどですが、最終便(22時40分)という事もあり、
(決して夫の運転技術が不安、という訳ではなく、話し相手として^^)
私も車に同乗して娘を見送ってきました。^^
彼女の今回の目的は、美術館巡り。
(出来ることなら、私も同行したいくらい。笑)
ほぼ、1年振りに会う、親友との再会に心も弾んでいたようです。
危うく、お土産を忘れるところでした。(笑)

娘の手荷物検査を遠くから見守り、小さく手を振って別れた私たちは、自他ともに認める親バカ
を再確認。(笑)
今生の別れでもあるまいに(笑)娘の姿が見えなくなると、どうか無事に羽田に着陸しますように、、
と、心でじっと祈っている。(笑)
そんな過保護?な自分と過保護を微塵も感じさせた事のない祖母をふと思い出しました。
私にとっては、とても優しい祖母でしたが、明治生まれの高知生まれのハチキン、それは、
それは、父の子ども時代は気の強い怖い母親だったようです。
私が、小学1年生の頃、母が入院することになり、祖父母の家に弟と一緒に
暫く預けられた事がありました。
当時、釧路から十勝まで列車で2時間半強かかる距離を休みを利用して、朝一番で
やってくる父を祖父母が畑で(家庭菜園)採れた新鮮な野菜をその日、夜行で帰る
時に必ず持たせていました。
(勿論、泊まるときもありましたが。。^^)
ある日、父が帰りにつく頃、いつも寝入っているはずの私が、その時に限って目を覚まし、
父の後姿を祖母の後ろ姿に隠れて見送ったことがありました。(なぜ、隠れていたのか。??)
夜道を野菜の入った大きな風呂敷包みを2つ、両手に下げて駅に向かって歩く父の後ろ姿を、
見えなくなるまで、玄関先で祖母が祈るように両手を合わせて立っていました。
その祖母の姿に、7歳ながらも、鼻の奥がツ~ンと痛くなったことを思い出します。
ふと、ひょっとした切っ掛けで記憶の過去帳をめくり、忘れられない何かを思い出す。。
それがその時の祖母の姿でした。^^
たとえようもない優しい気持ちを伝えることの出来る年になるには、いつの日のことなのでしょう。。^^