
少々日が経ちましたが終戦の日の前日、朝日新聞夕刊に↑
詩人茨木いのり子さん(1926~2006)の作品
「根府川の海」が掲載されていました。
しばらく、本棚の片隅に置き去りにされていた茨木のり子さん(詩集)が
この新聞で取り上げられたことで改めて「詩」の素晴らしさを見直す
きっかけとなりました。^^
(私が大学生になった頃、家の事情で志望の大学に行けなかったことを
悲観し、入学当初、様々なことにとんがって大人ぶっていたときがありました。
その頃、茨木のり子さんの詩集に出会い随分と正され(笑)励まされたものです。)
紙面には
「小田原市の根府川(ねぶかわ)駅はJR東海道線にある無人駅だ。
線路脇でカンナの花が揺れ、眼下に相模湾がきらめく」
「そんな情景に戦争で失った青春への万感を込めた」とあります。
戦争への怒りを女性としてうたい上げた
『私が一番きれいだったとき』は、
多くの教科書に掲載され、ご存知の方も多いことでしょう。
『わたしが一番きれいだったとき』
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
米国では反ベトナム戦争運動の中でフォーク歌手ピート・シーガーが
『When I Was Most Beautiful』として曲もつけています。
茨木のり子さんは1926年大阪で生まれました。
東邦大学薬学部に入学し、その在学中に空襲や
勤労動員(海軍系の薬品工場)を体験し、
19歳で終戦を迎えました。
戦時下で体験した飢餓と空襲の恐怖が、
命を大切にする茨木さんの感受性を育んだのです。
24歳で結婚し、この頃から詩を書き始め、27歳の時、
詩人仲間と同人誌『櫂』(かい)を創刊しました。
(同誌は谷川俊太郎、大岡信など多くの新鋭詩人を輩出しています。)
彼女は代表作のひとつとなる
『自分の感受性くらい』を世に出しました。
それは、戦争のために無くなってしまったものたちへの
胸中をうたいあげたものです。
『自分の感受性くらい』
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
『自分の感受性くらい』
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
人生を明るく、そして清々しくうたう茨木さんの詩は、
没後も多くの人を魅了し、晩年の『倚(よ)りかからず』は
詩集としては異例となる15万部のベストセラーになっています。
『倚(よ)りかからず』 (73歳の作品)
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
2006年、茨木さんは、自宅で脳動脈瘤破裂によって急逝しました。
「私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、
一切お送り下さいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
“あの人も逝ったか”と一瞬、たったの一瞬思い出して下されば
それで十分でございます」
と、遺書が用意されていました。(享年79歳)