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「歌のゆくえ」
テレサ・テンをご存知の方でしたら、「何日君再来」を
一度は、聴いた事があるのではないでしょうか。。

その歌によって、物語の主人公は、友人一家の
抗日戦争の背景とその運命を知ることになります。

李霞(レイハ)は、中国から日本語学校生として来日し、
大阪に来たが、北新地のクラブで4年ほど働き、上京した。

その後、銀座の酒場に落ち着いたレイハは、深町と知り合う。

深町は、その頃、仕事で香港、台湾へ行くとたいていカラオケ店に
連れて行かれるので、中国語の歌の1つでも覚えておきたいと思い、
レイハに中国音の「何日君再来」を習っていた。

80年代、テレサ・テンの中国語で歌う「何日君再来」が日本でヒット
したが、日本では、戦前から戦後も長く唄われていた曲だったので、
深町は、日本の歌だとばかり思っていた。

それが、もとは中国の歌だったと知り、中国語で唄ってこそ、その歌の
本来の情感が表現できるのだと感じた。

そんなある日、台湾の仕事相手でもあり友人でもある江太坤(愛称TK)
が、東京へ来た。
深町は、レイハのいる酒場へ案内し、「何日君再来」を唄ってもらった。

TKは、「何日君再来」は、上海で制作された抗日戦争映画で、その中で
酒場の踊り子が戦地に赴く恋人に唄った別れの歌だと説明した。
そして。
この映画は、「日本軍をやっつけろ!」という戦意高揚の映画であるのに、
日本で、愛唱されたとはなんて皮肉なことだと。。話す。

実は、その映画がつくられた頃、抗日戦争の歴史上で、もっとも重要な年で
あったのと、TKの両親が大陸で味わった日本軍による辛い戦争体験とそれに
翻弄された一家の生活苦の記憶が蘇りTKの気持を酒の酔いも手伝って、日本人
ぎらいの口吻を漏らすのだった。

その年の冬にレイラは、中国へ一時帰国し、もう、その酒場にはいなかった。

その後、深町は、TKが催した春節を祝うパーティーへ出席するために香港へ向かう。
香港が中国への返還まであと5年の年だった。

翌日、TKが経営する工場見学のために中山市(中国)へ。
そこは、レイラの故郷でもあった。

そして、深町は、中山市のカラオケ店で「何日君再来」を唄った。

しかし、この「何日君再来」を唄うことで、大きな波紋を投げかけた事を深町は気が付かなかった。
この物語は、とても読み応えがありました。
と、同時に筆者の体験もあっての事かと、、
勝手な解釈をしてしまいました。

好きな作品です。

歌に国境はないとよく云いますが、
私たちは、何処の国の歌でも好きならば関係なく歌っています。

それが、商用で外国に行く事があれば、そこの国の歌でも、
1つ覚えておこうと抵抗なく思うでしょう。

本書では、深町がそのつもりで「何日君再来」を中国語で練習し、
中国で唄うことになります。
しかし、その唄を歌ったことでTKの思いがけない言葉で対立
する事に。。

そういえば、TKが日本に来た時も深町と「何日君再来」の話をし、
傍にいたレイラは、困惑した顔付でその話を聞いていましたが、
それは、英語が苦手だったからではなく、、同じような想いがあった
からではなかったのでしょうか。。

そして、TKは、深町の言動に対していつも曖昧にニヤッとします。
何か「時」を待っているかのように潜めている感じがしました。

ですから、深町がTKに詫びた時、
彼のわだかまりはそこで解けたと思われましたが、
本当に解けたのでしょうか。。

数年後、TKが70歳近くなった母親を連れて日本に寄った時、
(46年振りの母の南京への里帰りの為)
酒をたしなむ母のために、深町は二人をいつもの酒場に誘います。
そこでTKの母が何のためらいもなく、返って懐かしみながら
「何日君再来」をテンポよく唄います。

もしかすると、その時がTK、彼の本当の「時」だったのでは
ないでしょうか。

母親の歌声が彼の心のつかえをようやっと、とかしたのでは
ないかと思いました。

私は、「何日君再来」を通して日中戦争を見据える筆者の
目線とその先に現在の日本、そして日中関係のありようが
見えた気がしました。

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抗日戦争
*中国北京郊外の盧溝橋で、日中間の衝突が起き(盧溝橋事件)
 日中両国は軍隊を派遣、8年に及ぶ日中戦争の始まりとなる。
 この戦いの中、南京虐殺事件などで日本は孤立を深め、
 太平洋戦争への道を突き進んでいく事になった。