このほど、10年振りに「広辞苑」第6版が発売されました。


我家では、その新版の広辞苑を購入しようかどうしようか。。思案中です。(笑)
今や電子辞書の時代ですから、買うか買わないかなんて迷っているのは我家くらいなものかもしれませんが、でも、我家は辞典家族なんですよ。^^
実は、家中、あっちこっちに国語辞典、漢和辞典、机上辞典など何冊か置いてあるのです。
その辞典は本を読んだり、調べ物をしたり、TVを見たりしているときに、よく活用されてます。^^
その辞典は本を読んだり、調べ物をしたり、TVを見たりしているときに、よく活用されてます。^^
勿論、更に詳しく知りたい時は、広辞苑の出番です。
(我家には、第5版があります)
(我家には、第5版があります)
と言いましても、殆ど、夫が広辞苑を引いているのですが。。
私が思うに夫にとっては辞典というよりバイブルのようなものです。(笑)
私が思うに夫にとっては辞典というよりバイブルのようなものです。(笑)
そして、家族の中で不思議な行動をとっているのは娘です。
何故か、、家の中で、携帯電話と国語辞典を移動するたびに持ち歩いているのですから。
なんの為なのか、未だ謎です。
何故か、、家の中で、携帯電話と国語辞典を移動するたびに持ち歩いているのですから。
なんの為なのか、未だ謎です。
そんな娘は、高校生になってから電子辞書を使うようになりましたが、以前は辞典をずっと
使っていたのでその癖が取れないと言います。
使っていたのでその癖が取れないと言います。
引いたそのページに未知の言葉がたくさん並んでいますからそれが面白いそうです。
小学生の頃は、辞典を引くのが面倒だと私に駄々をこねてベソかいていましたのにね。(笑)
次第に引くようになりましたら、それを機に、辞典一筋になりました。(笑)
次第に引くようになりましたら、それを機に、辞典一筋になりました。(笑)
そう言えば。。
「広辞苑」の編纂者として知られる言語学者、新村出(しんむら・いづる)氏が 女優の高峰秀子さんの大ファンだったことご存知ですか。 高峰さんの著書「わたしの渡世日記」(文春文庫)に、晩年の新村出氏の話が出ています。 その前に高峰秀子さんという女優さんをご存知かどうかが問題でしたね。(笑)高嶺秀子 ~大正13年北海道生まれ。(83歳)5歳の頃から子役として映画界に入り以来、400本以上の作品に出演。演技の幅は実に多彩。 監督松山善三と結婚し、現在は女優業を退き現在はエッセイストとして活躍。 「葉っぱのフレディ」では、朗読を担当している。 谷崎潤一郎 ~明治末期から第2次世界大戦後にかけて活動した小説家。 耽美主義とされる作風で、[痴人の愛][細雪]など多くの秀作を残し、 文豪と称された。) その高峰さんは「新村博士にお目にかかったのも、京都滞在中の谷崎潤一郎夫妻に招かれ、 出かけて行ったときのこと」と書いています。 そして、そのお招きで「私より五十歳もお年上の、新村博士を訪問することになった」と。。 (当時、高峰さんは34歳、新村氏は83歳。その事が谷崎潤一郎の著書にも記述されてます。) 「広辞苑」すら知らなかった高峰さんが、谷崎潤一郎が新村博士の前で畏まっている姿を見て、 「新村出という人は、こりゃ余程の大人物なんだな、ライオン(谷崎の事をそう呼んでいた ようです。)が借りてきた猫みたいになっちゃったんだから」と思ったそうです。(笑) そういう当の本人、高峰さんでさえ極度に緊張し、一時間程の訪問で何を話したのか全く覚えて なかったそうです。(笑) 一番可笑しいのは、帰り際に、新村氏の書斎を見せてもらって仰天した場面です。 新村氏は「ナショナル」(松下電器)のファン?だったのでしょうか。。 新村宅の玄関に大きなナショナルの垂れ幕のようなものが掲げられていて、驚いたそうなのですが、 更に「書斎のふすまが開かれたとき、私たち四人は茫然として立ちつくした。」とまさにその驚きは 頂点に達したよう。。(笑) 実は、書斎には、ナショナルのありとあらゆる種類のポスターがブラ下がっていたり、立てかけられ てあったり、あるいはベッタリと貼りつけられていたのだそうです。 そして、、、 「博士は、ヒヨヒヨヒヨッ、と書斎へ足を運ぶと、私の写真の谷間に埋もれたような書きものの 机の前に、チンと座ってエヘヘと笑ってみせた。 冷汗三斗、私は早々に尻に帆かけて退散した」と書かれています。(爆) 高峰さんは後に、「京都は寒いから」という理由だけで、新村氏に、グリーンと赤と黄色でチロル 風のモヘヤの赤ん坊みたいな「正チャン帽」を贈ったそうですがそれをとても後悔したそうです。 それは、孫娘の五十嵐櫻さんが「祖父・新村出の想い出」で回想しているそうです (高峰さんが新村氏に面会したときの事や正ちゃん帽の事、高峰さんのファンになるまでの経緯も)
とまぁ~~。
広辞苑を購入するのかどうか、からの長~~い下りから新村氏のエピソードまで脱線してしまい
ましたが、あの重厚な広辞苑の新村氏の人物像が意外だったと思いませんか。^^
広辞苑を購入するのかどうか、からの長~~い下りから新村氏のエピソードまで脱線してしまい
ましたが、あの重厚な広辞苑の新村氏の人物像が意外だったと思いませんか。^^
え?
購入の件ですか。
さて、どうしたものでしょう。(爆)
購入の件ですか。
さて、どうしたものでしょう。(爆)
高嶺秀子 ~大正13年北海道生まれ。(83歳)5歳の頃から子役として映画界に入り以来、400本以上の作品に出演。演技の幅は実に多彩。
監督松山善三と結婚し、現在は女優業を退き現在はエッセイストとして活躍。
「葉っぱのフレディ」では、朗読を担当している。
谷崎潤一郎 ~明治末期から第2次世界大戦後にかけて活動した小説家。
耽美主義とされる作風で、[痴人の愛][細雪]など多くの秀作を残し、
文豪と称された。)
その高峰さんは「新村博士にお目にかかったのも、京都滞在中の谷崎潤一郎夫妻に招かれ、
出かけて行ったときのこと」と書いています。
そして、そのお招きで「私より五十歳もお年上の、新村博士を訪問することになった」と。。
(当時、高峰さんは34歳、新村氏は83歳。その事が谷崎潤一郎の著書にも記述されてます。)
「広辞苑」すら知らなかった高峰さんが、谷崎潤一郎が新村博士の前で畏まっている姿を見て、
「新村出という人は、こりゃ余程の大人物なんだな、ライオン(谷崎の事をそう呼んでいた
ようです。)が借りてきた猫みたいになっちゃったんだから」と思ったそうです。(笑)
そういう当の本人、高峰さんでさえ極度に緊張し、一時間程の訪問で何を話したのか全く覚えて
なかったそうです。(笑)
一番可笑しいのは、帰り際に、新村氏の書斎を見せてもらって仰天した場面です。
新村氏は「ナショナル」(松下電器)のファン?だったのでしょうか。。
新村宅の玄関に大きなナショナルの垂れ幕のようなものが掲げられていて、驚いたそうなのですが、
更に「書斎のふすまが開かれたとき、私たち四人は茫然として立ちつくした。」とまさにその驚きは
頂点に達したよう。。(笑)
実は、書斎には、ナショナルのありとあらゆる種類のポスターがブラ下がっていたり、立てかけられ
てあったり、あるいはベッタリと貼りつけられていたのだそうです。
そして、、、
「博士は、ヒヨヒヨヒヨッ、と書斎へ足を運ぶと、私の写真の谷間に埋もれたような書きものの
机の前に、チンと座ってエヘヘと笑ってみせた。
冷汗三斗、私は早々に尻に帆かけて退散した」と書かれています。(爆)
高峰さんは後に、「京都は寒いから」という理由だけで、新村氏に、グリーンと赤と黄色でチロル
風のモヘヤの赤ん坊みたいな「正チャン帽」を贈ったそうですがそれをとても後悔したそうです。
それは、孫娘の五十嵐櫻さんが「祖父・新村出の想い出」で回想しているそうです
(高峰さんが新村氏に面会したときの事や正ちゃん帽の事、高峰さんのファンになるまでの経緯も)