こんにちは。
久しぶりにブログを書きます。
「創造主を知ること」
というテーマで私が日々感じていること、思っている事を
ブログに書きたいと思います。
イエス・キリストを知る前の私は
ずっと暗闇の中に彷徨っている状態でした。
自殺したいと思えるほどのつらいものもありました。
しかし、イエス・キリストを知って、今、
私は、神とともに生きるということを決断しました。
これは今も変わらずに続いていることです。
創造主を知らずに、この世に生きていると言うことは、
暗闇の中にいる状態です。
私たちは神とつながっている者なのです。
神は私たち人間を造っておられ、愛しておられるのです。
神から背向け、逆らって歩む私たち人間を
忍耐を持って、愛しておられるのです。
神の御子であるイエス・キリストがこの世に生まれ、
十字架に導かれ、死にてよみがえられました。
この十字架とよみがえりは、私たちの神から逆らったという
その自己中心の罪を全て負い、釘づけられたのです。
そして、その血を流し、罪を清められたのです。
十字架によってそのイエス・キリストを信じる事によって、
私たち人間に救いの道を与えてくれたのです。
信じるというその決断は簡単なようで難しいものです。
だけれど、私は、創造主を知ってこそ、信じる事ができたのです。
創造主を知ることによって、私たちの成り立ちや生き方を知り、
私たちの犯した罪をも全て創造主が知っておられる。
私の気持ちさえも知っておられる。
だからこそ、神の御子であるイエス・キリストがこの世に
与えてくれたのです。
十字架に死に渡され、よみがえられたというその御業は、
これまでにない残酷なものだけれど、
”救い”という素晴らしいことをなさったからです。
それを通して、世界中の人々の”救い”の道を示されたのです。
創造主の思いは、私たちが思う以上に、
測り知れないものなのです。
”愛”またより広く、より深いものなのです。
創造主が一番求めていることは何か。
それは、私たち人間と共に永遠のいのちである
天の御国で共に平和で過ごしていくこと。
創造主は、”悪”を嫌っています。
だからこそ、”罪”は嫌っています。
しかし、私たち人間を愛しておられるこそ、
神の御子イエス・キリストを通して、救いの道を与えたのです。
”イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません。
(ヨハネ14章6節)”
この言葉があるほど、
イエス・キリストは、愛を持って私たちに優しく語りかけているのです。
イエス・キリストが偽りであるなら、
”真理である”とは言わないのです。
”真理である”と言っているからこそ、
真実であることがわかるのです。
創造主の思い、御子をこの世に与えたその思い。
それを知ることによって、私たちは、
生きるべき道はそこにあると示してくれているのです。
創造主の思いは全て、
聖書に書かれていることですから、
聖書を読み、求めて、祈る。
そうすることによって、
私たちは、神にあって生きるという
素晴らしいものとなるのです。
創造主を知らずに生きて行くこの世は
創造主によって裁かれるという恐ろしい道を
開かれることになるのです。
創造主を知って欲しい。
その方を知ることによって、
創造主によって裁かれる裁きから救われるのです。
多くの人々が創造主を知り、
救いがあるように、
私はそう思って、心から祈っております。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3章16節)