こんばんは!!
今日は久しぶりにブログを書きます。
聖書通読や英語勉強などで色々大変なことがあって、
ずっとブログを書くことができずにいます。
ブログを書いていない間に、
聖書通読などを通して、
自分が何を求めているのか、
それをふと考えていた。
この世には
求めているものはたくさんある。
一般的に思う求めているものは
成功、栄誉、栄華、名声ですね。
誰よりもすごい人になりたいと思う人が
特に多いかと思う。
求めているもの。
本当に求めているものはあるのか。
そう思っていたら、
この世にある求めているものと
違うことを求めている自分がいるのだ。
聖書にはこの世にあるものは
一時的で、むなしく消えていものであると
書かれている。
"ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。
私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。
まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。セラ
まことに、人は幻のように歩き回り、
まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。
人は、積みたくわえるが、
だれがそれを集めるのかを知りません。
(詩編39編5-6節)"
"どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、
何の労苦もしなかった者に、
自分の分け前を譲らなければならない。
これもまた、むなしく、非常に悪いことだ。
実に、日の下で骨折った
いっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。
その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、
その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。
(伝道者の書2章1節)"
などと幾つか聖句があります。
神から見て、この世にあるものは
いかにはかなく、むなしいことであるか、
聖書を通して、知ることができます。
楽しみを求めていても、
その楽しみは一時的であり、長くはないのです。
この世にあるものを求めても、
求めるものが多くなり、多くは捨てられるのです。
本当に求めているものは何か。
永遠のいのちを求めているのです。
このいのちこそが、
希望であり、失われることはありません。
しかし、私たち人間は
”罪”によって、その永遠のいのちが失われています。
そのために、イエス・キリストは
私たち人間のために、この世に来られて、
十字架につけられ、死にてよみがえられました。
これによって、信じる者に、
”永遠のいのち”を与えることができたのです。
イエス・キリストがこう言っておられるのです。
” イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません。
(ヨハネ14章6節) ”
イエス・キリストが
道であり、真理であり、いのちなのです。
この方を通してなければ、
”永遠のいのち”を与えることができません。
地震などの災害や
恐ろしい病気があったり、
思いかげない事故や事件があったりする
命を脅かす
この世にとどまっているのですか。
イエス・キリストは、
あなたの心のドアを開けてくれるのを待っています。
イエス・キリストは
あなたの為に、愛して、犠牲にまでなさいました。
そして、天で、神の元に帰るようにと
いつでもとりなしのお祈りしておられるのです。
どうか、”永遠のいのち”にある神の元に
帰って行こうではありませんか。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3章16節)