こんにちは!!
夜遅くまでTwitterで交わりをしていました。
それで教会の掃除はちょっと遅く来たが、手助けもあり、
無事に時間通りに終わりました。
人に会って御言葉を分かち合う、
Twitterで御言葉の分かち合う。
それはどちらも神にある交わりなので、
素晴らしい交わりであることに感謝です。
耳が聞こえない人が描くアニメーション動画を
簡単な英単語が多くあり、英語の勉強にと見ています。
その中で、素晴らしい動画がありました。
それがこれです。
クリスチャンでも、一般人でも、
いのちの書という存在を知らない人が多くいる。
だから、今朝、別のテーマでブログを書こうと思ったところ、
神がこのことを話してくださいと示されました。
神から示されていたことを一度忘れるなんて・・・。(^0^;)
でも、祈って、聖書を探して、示されました。
それで思い出すことが出来たのです。
”いのち”の書という言葉が聖書に書かれているのは、
9箇所あり、そのなかで、大半は黙示録に占められています。
そのいのちの書が出てくるのは、
この世にいる間ではないのです。
千年王国の後の裁きによって、はじめて出てくる書物です。
だから、その書物があることを知らない人が多いのです。
他の宗教の本などをみていても、
いのちの書というその存在は書かれていません。
書かれているのは”聖書”だけなのです。
”いのちの書”は、
私たちが魂の行き先を決定される重要な書物です。
魂の行き先というのは、
永遠の命のある天国(新しい天)
永遠の火が燃えさがる地獄(滅び)
というその二つの行き先なのです。
聖書に書かれているいのちの書は、
”いのちの書に名のしるされていない者はみな、
この火の池に投げ込まれた。”
(黙示録20章15節)
いのちの書に名前が書かれていない者は
”火の池”つまり、地獄へいくことになるのです。
では、名前が書かれている者はどうなっているのか。
”しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと
偽りを行う者は、決して都(新しい天)に入れない。
小羊のいのちの書に書いてある者だけが、入ることができる”
(黙示録21章27節)
名前が書かれている者は永遠のいのちがある天国へいけることができるのです。
しかし、私たち人間は神に対して罪を持っています。
初めからいのちの書に書かれていない者なのです。
それが、神は、私たち人間を愛し、
一人の御子をお与えになりました。
それが、イエス・キリストなのです。
聖書にこう書かれているのです。
”神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”
(ヨハネ 3章16節)
イエス・キリストは十字架により、
私たちの汚れや罪をその血によって清められたのです。
そして、十字架上で死に渡され、よみがえられました。
天に昇りました。
イエス・キリストは、神の右の座に座り、
裁きを父なる神からキリストに渡されたのです。
イエス・キリストが裁きの座に着かれるのです。
ですから、このいのちの書は、
イエス・キリストを信じる者がその名を記されることが
できるようになったのです。
”いのちの書”には、本当にイエス・キリストを
信じるそのものだけが記されているのです。
しかし、自称クリスチャン、自称牧師、自称宣教師などは、
偽預言者として、悪魔の手先として裁かれ、いのちの書には
名が記されていません。
『良い行いをすれば、天国へ行ける。』
『罪を犯さなければ天国に行ける。』
『努力すれば、天国に行ける。』
と言ったような話がある宗教がありますが、
その宗教は”偽り”であって、悪魔の手先です。
人は誰でも罪を持っているのです。
罪があるままでは、清くて美しい天国へ行けることは出来ません。
ですから、その宗教に入った者はたとえ欺されていても、
裁かれるのです。
罪の解放と赦しがなければ、天国へ行けません。
それが出来るのは、イエス・キリストだけです。
何回も繰り返すが、
十字架の御業によってその血によって、
罪が清められた。
犠牲によって罪の代価(血の価)を支払ったのです。
イエス・キリストを通してでなければ、
罪からの解放と赦しはありません。
イエス・キリストを信じる者が
このいのちの書に名を刻まれるのです。
イエス・キリストを知らずに、死んだ者については、
生きている間に、行動に応じて、
いのちの書に名を書かれるか神が決められるのです。
裁きには小さい者も大きい者も誰もが裁くのです。
この世の状況を見て、
イエス・キリストの再臨の日は近づいているのです。
信じていても、信じなくても、
裁きの日はやってきます。
しかし、イエス・キリストを信じる者は、
すでにいのちの書に名前が刻まれているので、
裁きから免れて天国へ行けることが出来るのです。
イエス・キリストははっきりと言っている。
”イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません。”
(ヨハネ14章6節)
イエス・キリストが救いの道であるのです。
イエス・キリストの
十字架の御業を信じ、
罪を赦し、
御名を呼び求めていこうではありませんか。
いのちの書にその名が刻まれるには、
イエス・キリストを信じるしか他はありません。
イエス・キリストが戻ってくる日が
近づいているのです。
救われるには今しかありません。
イエス・キリストの御名を
呼び求めるか、
呼び求めないのか、
それはあなたの次第です。
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また私は、死んだ人々が、大きい者も、
小さい者も御座の前に立っているのを見た。
そして、数々の書物が開かれた。
また、別の一つの書物も開かれたが、
それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に
書きしるされているところに従って、
自分の行いに応じてさばかれた。
(黙示録 20章12節)
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