幸せは何だろうか。
ふと問いかけることがある。
何が幸せで、何が不幸なのだろうか。
そうやって自分は何度も問いかけるだろう。
幸せって色んな形がある。
色んな幸せがあるその中に一つがあれば、
それでいいかと思う。
幸せは、人生で必要なものであることは、間違ってはいない。
人は一人で生まれて、一人で死ぬ。
だけど、その間にはたくさんの人に囲まれて生きていく。
私の周りに支えてくれているその人たちが
恵まれているからこそ、
幸せっていうものを感じることができる。
人は一人では生きていけない。
その言葉がある。
私はその言葉を聞いて、思う。
きっと「幸せ」は一人ではできることではない。
一人、二人でも支えあってこそ、「幸せ」ということができる。
色んな幸せがある中で、
私は人生で「幸せ」ということはどんなものだろうか。
今でも、その答えはまだ見つかっていない。
でも、一つだけ、わかる。
私がこの地球で生まれて生きているということ。
神が私を造られたこと。
わたしという命があるということ。
いつかは消えて失っていくかもしれないけれど、
ここに生きている私は、きっと「幸せ」なのかもしれない。
生きているこの命がある。
ただそれだけで素晴らしいし、生きていないと感じることのないそのものが
たくさんあること。
たった一つでも小さな幸せがこんなに近くに、こんなにそばにあるってこと。
気づかなかったのかもしれない。
私がクリスチャンになって10年もたつけれど、幸せは案外と近くにあるなんて
いまさら気づいている自分がいる。
毎日、朝起きてから「生きてくれてありがとう」って神に感謝している。
それが私の「幸せ」の一つであろう。
どんなものをすべて見ても、
自然の美しさとかいろんなことを感じていられる。
その今を感じて生きていられる。
その時間があるということ。
その時間、その今を感じていられること。
私は星の明かりを見て、月の光、青空の美しさを見たりして、
そして、呼吸している。
私はここで生きている。
そう生きているって感じている。
この地球という星の中でこの命があるっていうこと。
どんなものよりもたった一つ。
わたしという命がある。
素晴らしさがあるじゃないですか。
私は自殺しようとおもったその日に
神の声で私はすべての自然を見てみた。
その呼吸で私は感じた。
「生きている」
っていうこと。
私はここで生きているべきだってそう思えたんだ。
世の流れ、周りの流行などにとらわれずに、
すべてのものを造った神とともに生きていこうと思ったんだ。
だから、私は、クリスチャンになった一つのきっかけなんだ。
幸せは案外と近くてすぐにそばにあるってこと。
よく考えてたら気づいていた。
私はどんなふうに生きていこうとしても、
私は、生きているその時だけを一生懸命生きていこうと思う。
いつか誰かと出会うにしても、
どんなふうになろうとしても、
生きているその自分が「幸せ」であるということ。
どんなにつらい過去さえも、どんなに恥ずかしいことさえも、
消えることはないけれども、
自分が「生きている」っていうことを感じていて
前へと進んでいこうと思う。
前に進んでいくことができる。
だからこそ、「生きる」っていうことは「幸せ」なんだよね。きっと。
「何したら幸せになるよ。」というその迷うような言葉が存在しているけれど、
私は、その言葉につられても、迷うことはない。
私は「今が幸せです。」と言える。
なぜなら、ここに生きているから。
ここで笑顔でいられるし、悲しんでいられる。
どんな気持ちで表すことだってできる。
それって生きていなきゃなにもできないでしょう。
結婚はしていないけれど、私は「今が幸せです。」と言える。
そんな気持ちになれるのは、
すべて造った神を信じているから、そう言えること。
クリスチャンになって今はよかったと思える。
私があの日の決心は間違っていなかったと思える。
クリスチャンになってつらいことはあるけれど、
すべてを造られた神からいろんなことを教えてもらい、
支えてくれて、いろんなことを乗り越えていく。
クリスチャンである自分が今、「クリスチャンじゃなかったらどうなっていたんだろうか。」
とそう思って感謝している。
はっきりいって、後悔はしていない。
クリスチャンになってよかったっと。
それが今、「幸せ」であること。
私は今、とても幸せです。
とそう言える自分がここにいるってこと。