5/15の夜、母が息を引き取った。
遠方にいた私は、父の連絡をうけてすぐに準備して新幹線に飛び乗って実家に向かった。
深夜の新幹線、終電は終わっていて、出来るだけ近くの駅まで電車で行って、そこからタクシーに乗った。
タクシーを呼んで待っている間、コンビニでコーヒーを買って飲んだ。
よく知っているはずの道は、深夜でいつもと全く違う雰囲気だった。
夢の中にいるような、現実感がなくてなんとなくふわふわしていた。
実家について、ドアを開けたら、お線香の香りがふわっと漂った。
まさにその日の朝に父がベッドを一階に持って降りていて、母は、準備ありがとうとばかりにそのベッドに寝ていた。
そういえば祖母もなくなる直前に新品の布団一式を買っていて、そこに寝ることになったのだった。
父は、息を引き取ったときのこととか、色々話してくれた。
ふと母を見たら、詰め物をしてる母の口から液体が流れ出てきていて、父が、穏やかな顔で拭き取りながら額をなでて「ごはん食べるの辛かったな。今朝も吐いてたもんな。もう嫌なもの全部吐き出したいよな。頑張ったな。根性あるから痛いも辛いも言わなかったな。なんでこれ止まらないの?お父さんに言いたいことあるの?もう一度目あけるの?もう一度目開けてみてよ。」って話しかけてた。
横で聞いていて泣きそうになったけど、私が泣いてはいけないと思って堪えた。
一番辛くて悲しいのは、最後まで隣で頑張って支えた父だ。
一通り父と話して、父が寝て、それで部屋に母と二人きりになった。
死んだあとも少しだけは音が聞こえるっていう話を思い出して、もう聞こえないとはわかっていつつも、
お母さん。
って話しかけてみた。
久しぶりに2人になったね。
昔から私がつやぷるって愛でてはそんなことないよって否定してたほっぺたは、冷たかったけどつやぷる健在だった。
お疲れ様。痛かったし辛かったね。
もうゆっくりしていいよ。
父がいなくなって気が緩んで泣いてしまいそうになったけど、心配性の母の前で泣いたら心配させてしまうと思ってただただ無表情で過ごした。
最後のふたりきりの時間が終わるのが惜しくて、ちゃんと寝ないとこの後もたないと思いながらも朝方まで寝られなかった。
朝起きて、事務手続きの段取りなんかをしていたら、すぐに葬儀社が母を迎えに来た。
母はあっという間に連れて行かれて、代わりに祭壇が設置されていて、「ついにお母さんがいなくなっちゃった」という気持ちになった。
湯灌を見届けますかって聞かれたけど、痩せ細って腹水でお腹だけが膨れ上がった弱っていく姿を見せたくないと、ゴールデンウィークに会いに来るのを拒否した母が、そんなもの見られたいはずがないと思って、見ないことにした。
それからお通夜に行って、父と私は泣いていなかったのにそんなに仲の良くなかった叔父が号泣していて、なんともいえない気持ちになった。
私だって声をあげて泣きたかった。
それで、寝ずの番はせずに父と二人で帰ってきた。
父は「あんなに泣かれてもなぁ」って言っていた。
それから、「辛くてあそこには居たくなかった」とも言っていた。
私も全く同じ気持ちだった。
駅からの道で、もう病院にいけなくなる直前ぐらいは、駅までの距離でさえ休み休みじゃないと行けなかったという話を聞いた。
それでも絶対車椅子は乗ろうとしなかったらしい。弱ったところを見せたくない。迷惑かけたくない。頑固。
そう考えると、母は父に迷惑かけることなく、父は母がホスピスに行って離れてしまうことなく家で看取ることができて、母は一番良いタイミングを見計らったんだろうなと思った。
祭壇には、せっかく買ったのに咲いたところを見られなかった紫陽花を飾った。
本当は一番好きだったスイートピーが良かったけど、時期的に売っていなかった。
そうして長い一日が終わった。