葬儀が終わってすぐ、父と各種手続きに着手した。

 

仕事の出来る父主導でタスクを一覧化して更にブレークダウン、無駄の無いよう一番効率の良いルートでテキパキと片付けていった。

 

私はしばらく実家に滞在して、リモートワークをしながら手続きを片付けていった。

 

銀行に行ったときには、

銀行員「お辛いときに、書類を揃えるのも大変でしょうからまだ先で大丈夫です…」

父「もう揃えてあります」

という会話があり、(えっ??)という顔をされて面白かった。

その日は、母とよく行ったというカフェでランチをして帰った。

 

肺がんが発覚する2ヶ月前ぐらいに母が唐突に保険に入ったらしく、保険料数万円払っただけなのに保険金が100万円とか支払われて、色々疑われて調べられたという話を聞いて、勘の良い母らしいなって笑った。

 

遺品も整理しないといけなかったけど、何よりも先に、嫌な思い出の薬を処分した。

オピオイドを薬局に返しに行ったら薬剤師さんが言葉を失って涙ぐんでいて、悲しい気持ちが舞い戻ってきた。

 

滞在中は、母が毎日していたソリティアのデイリーチャレンジを命じられてずっとこなしていた。

なかなか難しくて、解けなくて父に泣きつくと、父は相当先まで手を読んでアドバイスしてくれた。

頭じゃ一生勝てないなって思ったけど、父は母には頭で勝てないって言っていた。

 

父も私も「悲しい」って気持ちを表に出す方じゃないから普通に暮らして、それでたまに「寂しいね」なんて言い合った。

「これはお母さんが咲くのを楽しみにしていたお花。」

「めざましじゃんけん毎日やって勝ったら嬉しそうに叫んでた。別に面白くはなかったけどお母さんが喜ぶから一緒にやってた。」

「毎日筋トレするのを見てくれて、OKサイン出してくれてた。」

「何も食べれなくなっていって、とにかく食べれそうなものを買ってきて一口だけ食べさせて残りを食べてた。だから自分の食べたいものを食べるの久しぶり」

「気持ちよく過ごしてほしくて毎日せっせと掃除してた」

「ホスピスなんて入ったら知らないところで死んじゃうかもしれないから絶対嫌だった、希望のホスピス入れなくて残念だったけど自宅で看取れてよかった」

「最後は何も食べれなくて、ミルミルでお薬飲むのがやっとだった」

「ポケモンするのが好きで、ポケモンを口実に散歩に誘い出してた」

父と何かを見ては、ことあるごとに、母とのエピソードが飛び出してきた。

 

実家にいる間は、私が食事の準備をした。

「なんか食欲ないなぁ」と言う割に、気を遣って少なめに出したら「なんか少ないなぁ…まぁいい、お菓子食べる」って言うし

ありあわせでチャーハン作ったら「肉入ってないの?物足りないなぁ」って文句言うし

野菜室に残った野菜のレスキューでおかず作ったら「まぁまぁだな」って言うし

改めて(お母さんおつかれさま…)って思った。

 

そんなこんなで、不動産の相続だけがめちゃくちゃ厄介で数年残りそうではあるものの、その他はあっと言う間に出来るところまでは終わった。

 

それで一旦自宅に戻ることにした。

 

自宅に戻る日、父は「今ならポケモンでコインもらえるけど行く?」「あっちの公園変わったの知ってる?行く?」「この資料見せたっけ?見る?」と、珍しく名残惜しそうにしていた。

 

それから、「明日からは1人か…」って呟いていた。

 

思い返すと父は一人暮らしをしたことがなかった。

単身赴任していた頃は毎週土日には帰ってきて、また出て行く時いつも「寂しいなぁ」って言ってた。

 

「こっち来る?」

って言おうかと思ったけど、建築士だった父が母と一緒に建てた思い出の家。

母は「お父さんの設計した家に住むのが夢」と言っていた。

家を建てたときは、父がまだ現役で、業者の担当建築士がまだ新米で、こっぴどく指摘してたって母が笑ってた。

母がお膳立てしたシニアスポーツの繋がりだってあるし、手放すのはまだ早いかもしれない。

そう思って今は言うのをやめた。

 

代わりに、「またすぐ帰ってくるね、身体に気をつけてね」と言って、家を出た。