付き合って1ヶ月記念日に、


私はプロポーズされました。





プロポーズされた場所は


とてもエモかったです。






中野区の

道端です。




というのは置いといて、




まぁその、


高円寺駅と野方駅の間くらいの道端で


いきなり彼は私の両肩を掴んで



「結婚しよ」



と言ったわけです。






夫は気が効くし優しいから


「良い旦那さんになりそう」と思ったので


ふつうに嬉しかった。






でも私には



結婚するなら

これだけは譲れない



という条件を2つ、提示しました物申す





一つは、


「私は子供を産まないよ?」


ということで


産まない理由とか、夫の反応について


こちらの記事で話しました。




1年前のやつですが、


コストコ飯を食いながら語ってる


夫の本音動画も貼っておきます凝視





もう一つの条件は、


これです。




私は好きなことを

仕事にして生きたい人です。


だから、

夫にもそうであってほしい。


家計が安定しなかったとしても、

やりたくない仕事はしないこと。



・・・という条件でした。





この価値観が生まれた理由にも


私の生い立ちが関係するかもしれません。





私の両親は、私が3歳の時に離婚しました。


父のDVが原因でした。




父が暴力を振るうようになったのは、


以下の通りだと聞かされました。




母が私を妊娠してしまい、


できちゃった結婚をしたそうです。


そこで父は留学の夢を諦め、


好きでもない仕事に就いて、


何度も過労で倒れて、


母に暴力を振るうようになったそうです。





私も覚えてます。


母が作った夜ごはんを、怒鳴りながら全部ひっくり返すのが


父のナイトルーティンだったことを。




「昭和のガンコ親父がちゃぶ台ひっくり返す」


的なあれは、


アニメやドラマの世界ではありません。


実話です。





3歳までの短い間だったけど、


「夢を諦めると、自暴自棄になる男もいる」


という記憶が深くインプットされました。





たぶんそういう経験もあってか、


旦那さんには好きなことやってほしい。


私も好きなこともやっていたい。




「家族のせいで我慢をする」


となってしまうのであれば、


そうなってしまう可能性があるタスクを


ぜんぶ根こそぎ潰していきたい。




私は、そんな価値観を持っていたので


プロポーズ時にそれを話したら、


夫はむしろ喜んでくれました。



ハロウィンの日。夫は耳だけ炭治郎。




これが結婚の条件2つでした。


今年で結婚5周年になります。




時が経てば価値観も変わるかもしれないけど、


その都度夫婦でしっかり話し合いしながら


仲良くしていけたらいいなと思いますにっこり




「子供いないのに老後はどうするの?」

ということについては、

次の記事に書きました↓↓