私の立てた柱
「医療」
と
「教育」。
「教育」
この4月から妹が中学の数学教師になった。
何故か・・・何故なのか良く分からないが、彼女は数学教師になる事を決めていた。
私は、数字嫌いで、算数も数学も嫌いだったので、今でも彼女がその職を選んだ事に驚いているが、
私が数字が嫌いだった事もあり、その教訓を活かし、母は妹にそろばんを習わせていた。
そんな彼女にとっては、数学教師になる事は、あまり違和感のない事なのかもしれない。
妹は、次女と言う事もあり、自由に伸び伸びと真っ直ぐに育った。言いたい事も躊躇なく言い、やりたい事も自由奔放にやっていた。彼女が羨ましかった。
教育採用試験の勉強は全くしなかったが、非常勤講師として、楽しく毎日を過ごしている。
しかし、「教師」という仕事。私にとって恐ろしくハードルが高すぎる。
だって、生徒の見本。一番身近な大人として、生徒は教師の「人と成り」を見る。
「子供に物事を教えられるほど、私は完璧な大人なのか?」と思った時の答えはNO。
常に正しい事ばかりをやってきたわけではないし、私はまだまだ未熟なのだから。
教師は子供に育てられると言うが、いやー教師をやっている人の覚悟が計り知れない。
妹は・・・恐らくここまで考えていないと思うが。
中学の時の同級生で、中学の教師をやっている子がいるが、彼の事を思い出して、素晴らしい人だなぁ・・・としみじみ思った。
教師という仕事は、多くの人生と向き合わなければいけない仕事だから・・・だからこそ、人生経験豊富な人が、やるといいんじゃないかなーと勝手に思った。
ちなみに、小学校教諭になるには、通信制で2年間のコースをとり、研修等も参加すれば、免許が取れる。
もうちょっと考えてみようと思った。