本質にフォーカスし、ガイドする|アドバイザーの独り言 -3ページ目

本質にフォーカスし、ガイドする|アドバイザーの独り言

世界は大きな変化の時代を迎え、生活様式や価値観も大きく変化する中、
自分自身を生ききることがより大事になってきています。
その為に人類に残されたBG5®の情報について、BG5®研修生の視点で、
他者の潜在能力を認識するアドバイザーとして、感じたことを綴ります。

またまた硬い話題ですが。

 

 

知覧特攻平和会館を訪ねて以来

頭から離れず

ずっと考え続けていたのですが、

 

RAS※のおかげで

一昨日昨日と

こんな言葉を見つけました。

 

 

※RAS(Reticular Activating System)

=網様体賦活系

瞬間瞬間五感から入る膨大な情報の中から

自分にとって重要な情報を選別する脳のフィルター。

反面、重要視していない情報は目にとまらず

盲点=スコトーマとなる。

 

 

死んでしまえば何にもならん。

幸せはな、心と体で感じるものなんだ。

 

ー漫画家 水木しげるさん

 

(前略)

代表作「ゲゲゲの鬼太郎」の原点は、

自身の過酷な従軍体験。

戦闘や飢え、玉砕命令への怒りや

戦死した仲間への思いだった。

言葉は、小学校でいじめに遭った

次女に語りかけたもの。

 

東京新聞 2018.11.30 朝刊

 

 

さらに、

 

東京新聞本日付朝刊の

インタビュー あの人に迫る で

 

「お互い違いを認め合おう」と

LGBTをテーマにした

ドキュメンタリー映画

「私はワタシ over the rainbow」

をプロデュースした東ちづるさんが

 

こんなことを話されているのが

目に留まりました。

 

私たちは国や社会に奉仕するために

生きているわけではありません。

生まれたから生きているんです。

 

映画に出てくる人たちは

「自分を大事にしていいんだよ」

という当たり前のことを

身をもって教えてくれているようです。

 

ー東ちづるさん

東京新聞 2018.12.1 朝刊

 

 

さらにさらに、

 

昨日何気なくYouTubeで観た

知ってるつもり(TBS)の

ジョンレノン(1990年)の回で

目に留まったテロップ。

 

想像してごらん

みんなが今日のために生きてるって

想像してごらん

国境なんかないって

むずかしくなんかないよ

殺したり死んだりする理由なんかない

 

ーImagine(1971)

John Lennon - Yoko Ono

 

 

21世紀になった今も

世界のどこかで戦争は起きていて

(戦争を起こしたい連中がいて)

 

罪のない多くの人々が

家を追われ、国を追われ、

家族を失い、命を奪われている。

 

 

生まれて一度も

平和がどういうものかを知らずに

死んでゆく子どもたちも無数にいる。

 

 

たとえ戦勝国になったとしても、

 

たとえ兵士が

戦死せず無事帰還できたとしても、

 

戦場での過酷な体験により

PTSDに苦しんだり、精神を病んだり

ドラッグで身を滅ぼしたり

ホームレスになったり

酒浸りになったり、自殺したり。

 

 

 

人間を人間でなくする戦争。

 

 

戦争とは一体誰のためのものなのか?

 

戦争で利益を得るのは誰なのか?

 

 

 

有史以来の長い長い

殺し合いの歴史を振り返りながら

 

地球人も(自分も含めて)

もういい加減

 

身体だったり言葉だったりの

暴力的な手段に訴えることなく

問題を解決する術を学ばなければと

つくづく思います。

 

 

 

特攻は二度とあってはならないし

だから、決して美化したくない。

 

 

だからこそ

この事実をありのまま後世に

伝えてゆくことは大切なことと思うし

 

 

隊員たちが

生きたくても生きられなかった人生を

こうして生きていられる私は

 

生かされている自分の命も

身近な人の命も

もっと大切にしなければ、

 

平和な世界は、そんな

身近で小さな平和の積み重ねなんだと

 

あらためて思わされたのでした。

 

 

 

とりとめがなくなりましたが、

 

知覧特攻平和会館を見学して

死を前にした極限状態に置かれながら

己と向き合った隊員の姿に

いろんなことを考えさせられ

多くを教えられました。

 

 

末筆になりましたが

亡くなられた特攻隊員のご冥福を

心よりお祈りします。

 

当初、九州の旅日記に一緒に書いたのですが

後からちょっと思ったことがあり

加筆訂正し、別記事にしました。

 

 

 

さて、二泊三日の九州旅行。

 

最終日の水曜日は

知覧特攻平和会館を訪ねました。

 

 

鹿児島市から南へクルマで約1時間。

 

雨模様だったので

残念ながら開聞岳は見えず。

 

 

そろそろかな…という頃、

道沿いに鎮魂の石灯籠が

建立されているのが目に入り、

ほどなく到着。

 

 

友達から

ハンカチが絶対に必要だよ!

とは聞いてましたが…えーん

 

 

そういえば、

写真のことをすっかり忘れていたので

一切ありませんが悪しからずあせる

 

 

 

私事で恐縮ですが、

 

母が昭和20年の東京下町の空襲で

家を焼かれているのですが、

(合格した文京区の女学校も

入学一週間ほどで

焼けてしまったそうです)

 

終戦までは母も

「神風が吹いて日本は絶対に勝つ」

と信じていたそうです。

 

子ども、ではなく、小国民、ですね。

 

 

母の上の姉(伯母)は既に結婚していて

夫(伯父)を整備兵として

ボルネオ(カリマンタン)に

送り出していましたが

当時、伯父は二十代前半。

 

 

戦地のことは話したくなかったようで

ほぼ聞いたことはありませんでしたが

 

晩年にひと言だけ

「軍隊だけは絶対に嫌だ」

そうポツリと語ったことがあり

 

それは私にとって

一生忘れることのできない

伯父の言葉となりました。

 

 

終戦後、幸いなことに

伯父は戦地から生きて戻りましたが、

 

生きて戻ることが許されなかった

知覧の遺影の若者たちは

当時の伯父と同じ年代だったんだと

今さらながらに気づきました。

 


 

昭和12年(1937年)から

日中戦争が始まり

 

昭和13年(1938年)には

国家総動員法が制定され

国家のすべての人的・物的資源を

政府が統制運用できると規定された。

 

 

戦時下という体制のもとでの

教育が為された時代だったとは言え

 

国を護るため

愛する人たちを護るため

 

志願し、戦闘機もろとも自らの命を

海に散らした特攻隊員たち。

 

 

明日の無い我が身と知りながらも

自らのこと以上に

母親、父親、兄弟姉妹や婚約者に

感謝を述べ、心中を思いやり

未来を慮る遺書をしたためていた。

 

 

幼い妹を思いやり

星になってずっと見守っていますと

書かれている遺書や

 

中には、母上!母上!と

心が張り裂けんばかりの絶叫が

聞こえてくるような遺書もあり

 

どの遺書も涙なしには読めず

みるみる涙が溢れてきました。

 

 

 

そして、入り口入って右側から

遺影を拝見していた時、

 

2つ目のブロックの奥だったか

なぜか一枚の遺影に目がとまりました。

 

 

お名前は、穴澤利夫大尉

(特攻戦死後二回級特進)

福島県出身。23才。

 

 

この方は

どんな遺書を遺されたのだろうか…

 

気になって下の展示ケースに目をやると

ちょうどその真ん中に

穴澤大尉のご遺書はありました。

 

 

それは、最愛の人であった

婚約者の智恵子さんへのお手紙でした。

 

帰宅後調べたところ

ちょうど平和会館HPデジタルアーカイヴの

1番目に載ってましたが

以前、TVでも放映されていたことも知り

ちょっとビックリでした。

 

 

自らの死を目前にしてもなお

これほどまでに

人としての品性と知性と理性を保ち

何より婚約者への愛情に満ちた手紙を

遺していたことを知り

 

どれほど深い想いで書かれたのだろう

どれほど婚約者のことを

想っておられたのだろうと

涙が溢れました。

 

 

「今さら何を言うかと、自分でも考えるが

ちょっぴり欲を言ってみたい…」

 

から始まる最後の3行。

 

一、読みたい本

二、見たい画

に続く、最終行。

 

三、智恵子 会ひ度い、話し度い、無性に。

(会いたい、話したい)

 

この一行を目にした瞬間、

涙腺崩壊。

 

 

23才の若者らしい最愛の人への想いが

遺書に書ける最大限の言葉で

表現されているように思えて

 

勝手ながら、どんなに無念だったろうと

泣けて仕方ありませんでしたえーん

 

 

 

穴澤大尉も学徒出陣組のようですが

 

学問を修めること

恋をすること

(戦前はそれすらも、多くの人には

憚られるようなことだったんですね…)

家庭や子どもを持つこと

仕事や好きなことに情熱を燃やすこと

夢に向かって邁進すること…

 

 

もちろん現代とは価値観も違うけれど

 

でも、戦争が無ければ

それぞれの人生を生きられたであろう

特攻隊員たち。

 

 

彼らの想いが純粋であればあるほど

彼らの想いが真摯であればあるほど、

 

彼らの二つとない尊い命が

特攻という形で奪われたことに

言葉にならない怒りとやりきれなさを

感じずにはいられませんでした。

 

 

さらには、後に残された人たちが

生涯にわたって

抱えなくてはならなかった心の重荷。

(重荷などという言葉で表せるものでは

ないと思いますが)

 

 

もう二度と

このような形で命を奪われる若者を

(もちろん若者ばかりでなく)

生んではいけないと

 

戦後の(かろうじて)平和な

世の中に生かされている者として

強く思います。

 

 

そして、戦争のない

平和な世の中を守ることこそが

命をかけて国を護ろうとした特攻隊員への

最大のご供養になると信じます。

 

 

ーーーーーーーー

 

帰宅後も、

自分の中に消化しきれないものが残り

 

どうにか着地点を見つけようと

知覧特攻平和会館や特攻隊に関する

記事を探しては読んでるのですが、

 

こんな記事を見つけたので

備忘録として最後に貼っておきます。

 

 

以下、一部抜粋。

 

(前略)

 

かつて知覧の特攻隊員たちが通った

軍の指定食堂「富屋食堂」。

 

「特攻の母」と親しまれた

経営者の鳥浜トメさんは1992年、

89歳で亡くなった。

 

食堂は資料館「ホタル館」となり

今は孫の明久さん(53、当時)が

特攻を語り継ぐ。

 

「隊員たちは死を恐れず、

みんなにっこり笑って

出撃したと言われる。

でも、それぞれに古里があり、

親がいて、愛する人もいた。

笑って行けるはずがない。

 

明久さんはトメさんから聞いた話を

そのまま伝え続ける。

 

(後略)

 

特攻6400人の悲劇

「戦争の不条理伝え」

西日本新聞、2014.7.29朝刊

 

 

長くなりましたが

お読みくださりありがとうございました。

 

当初、知覧特攻平和会館の見学記も

一緒にアップしてましたが

別記事にしました。

悪しからずご了承ください。

 

 

 

友達を訪ねて、月曜から二泊で

九州(熊本県球磨地方、鹿児島市)に
行って来ました。
 
 
九州も初めてなら、国内線利用も初めて。
 
ネットで調べてソラシドエアにしたのですが
目に優しいグリーンがアクセントの内装や
ゆったりめの足下スペースも快適な上、
 
機内サービスのドリンクで選んだ
あごゆずスープ(あごのお出汁にゆず粉末)
も美味しくて、ソラシドエア、正解でした。
 
(他は、冷茶、コーヒー、りんごジュース
きつき紅茶は品切れ)
 
 
 
 
天候の関係で
高度を下げての運航とのこと。
 
地図好きなので、紀伊半島?の辺りまで
殆ど下を眺めていたという。笑
 
 
反対側だったら富士山も撮れたのにと
ちょっぴり残念でしたが
それはまた別の機会にでも。
 
 
おぉ~桜島だー!初めて観る本物の桜島に大興奮(笑)
 
 
予定どおり到着し、
初日の月曜は熊本県球磨地方の友達宅へ。
 
 
料理教室もやっている友達の
美味しい手料理をご馳走になって
遅くまでおしゃべりして
久しぶりに嬉しく楽しい時間を過ごしました。
 
 
器も素敵♡
 
 
材料はレモンも含めすべて無農薬。
塩麹をはじめとする調味料も全てお手製。
 
(赤いのはハバネロ、緑はハラペーニョ、
右端は…忘れた 芥川)
 
 
たくさんの野菜と鶏肉入りの
クミン他スパイスの効いたメキシコ料理が
美味しくて、なかなかの量だったのに
大きな鉄鍋ぜんぶ
結局二人でペロッといきましたよ。
 
 
ここには写ってませんが
豚肉の味噌漬けもめっちゃ美味しかった!
(もちろん味噌もお手製)
 
 
ご飯が美味しいとそれだけで幸せだけど
心がこもっている上、安心安全って
これが本当の意味で贅沢な食事なんだなと
しみじみ。
 
 
ご飯だけじゃなく
友達に何から何までおんぶにだっこで
ホント有り難い旅でした。
 
 
 
二日目の火曜は鹿児島目指して南下。
 
途中、人吉の青井阿蘇神社(国宝)へ。
 
 
人吉市 国宝 青井阿蘇神社
 
 
 
 
おみくじが友達と同じで
そんなこともあるのねとビックリ!
 
 
招霊木(おがたまのき)
 
 
 
 
貨幣の基本である一円玉に
デザインにされているのが
 
古来、神事に使用されていたという
招霊木(おがたまのき)なんですね。
 
 
 
お参り後は
友達オススメの鯖乃家でお昼を。
 
 
人吉市 鯖乃家(さばのや)
 
 
焼き鯖寿司弁当、これで1,350円ですよ!
しかも、焼き鯖寿司の美味しかったこと!
 
天ぷら、煮物、酢の物、香の物、味噌汁
どれも美味しくて大満足でした。笑
 
 
 
お腹がふくれた後は
 
近くに幽霊寺で有名なお寺がある
とのことで、永国寺へ。
 
 
幽霊が出たという永国寺の池
 
 
幽霊の掛け軸(レプリカ)もある本堂は
凛とした清々しい空気で満ちてましたが、
 
幽霊云々じゃなく
お寺や神社って、なんというかこう
背筋がしゃんと伸びますね。
 
 
それだけエネルギーが違う…
ということなんでしょうけど
 
エネルギーって別に特別なことじゃなく
皆感じ取ってるんですね、きっと。
 
 
ちなみに、8月には
永国寺ゆうれいまつりが開催され
本物の幽霊の掛け軸が
公開されるとのことです。
 
 
 
 
西南の役の際、
田原坂で敗れた西郷隆盛が
永国寺に本営を置いたのだそうで
石碑を写真に収めました。
 
 
また、写真には撮りませんでしたが
近代西洋歯科医学のパイオニア
一井正典(いちのいまさつね)先生を
顕彰する記念碑や
千人塚石塔(耳塚)などもありました。
 
 
長く人吉の地にあり
さまざまな歴史を見続けてきた
お寺なんですね。
 
 
 
その後は一路、鹿児島へ!
 
 
ドルフィンポートからの桜島、あいにくの曇り空
 
 
世界文化遺産登録の名勝 仙巌園
隣接する尚古集成館を見学。
(尚古集成館の写真はありません)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黄色いのは石蕗(ツワブキ)
 
 
 
 
紅葉がキレイでした
 
 
仙巌園は
島津家十九代、光久によって築造された
島津家の別邸とのこと。
 
桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた
というんですから、
そのスケールの大きさには
驚かされますよね!
 
 
多くの観光客で賑わってましたか
素晴らしい借景庭園を
ゆっくり堪能させていただきました。
 
 
薩摩切子が素敵だったな…
 
 
 
夜は女子ふたりで少し早めの誕生会をし、
 
 
明けて最終日の水曜は
 
鹿児島市からクルマで1時間の
知覧特攻平和会館へ。
 
それに関しては
当初書いた記事に加筆訂正し
別記事でアップすることにしました。
 
 
 
お昼は、知覧から鹿児島市に戻り、
鹿児島ふるさと物産館内フードコートの
魚々やへ。
 
安い!美味い!の海鮮丼。
 
このボリュームで930 もとい!
980円なり!
 
 
鹿児島市 魚々や(ととや)
 
 
金沢もそうだったけど、
今回の九州も同じく
どのお店も味噌汁がとても美味しかった。
 
お出汁、ですかね。
うーん、また行きたい!笑
 
 
晴れ女の友達を凌ぐ、雨女の面目躍如で
3日間のうち2日は雨模様でしたが
(どんだけだおーっ!
 
 
大好きな友達に会えて
美味しいご飯を食べられて
行きたいところに行けて
初九州を満喫できた今回の旅。
 
二泊三日なんて、あっと言う前ですね。
 
とにもかくにも友達に感謝です。
 
 
ーーーーーーーー
 
国内線の便利さを実感したので
もう少しフットワーク軽く旅に出たいなと。
 
機動力は年々落ちてるし
行きたいと思った時がタイミングですね。
 

今回は、ヒューマンデザイン

LYD(Living Your Design)講座のお知らせ

をシェアさせていただきます。

 

 

ヒューマンデザインの

プロフェッショナルアナリストの

後藤幸子(Sachiko G.)さんと

諸星和子さんが、

来年、LYD再受講者限定

LYD講座を開催予定とのこと。

 

 

お二人ともIHDS(International 

Human Design School)にて

国内ではまだ提供されてない

各種クラスを修了されているので

 

LYDを受講された方ならどなたでも

貴重な学びの時間になると思います。

 

 

下記の後藤さんのお知らせ(転載)を

お読みいただいて

ご自分のストラテジーと権威から

GOサインが出ましたら

ぜひ参加されてみてくださいね。

 

 


===転載ココから===

 

【LYD開催予定のお知らせ】

 

諸星和子さん(6/2感情権威

マニフェスティングジェネレーター)

と一緒に、


LYD再受講者(特に養成講座受講者を対象に)

限定のLYDを、東京都内で開催しようと

計画しています。

(土日を予定しています)

 

おそらく、Rave New Year

(ヒューマンデザイン的新年)あと。

 

というのも、日本での

ヒューマンデザインの伝わり方に

ちょっと危機感をもっていまして…


特に、養成講座では短期間で

学び教えることができるため

間違った解釈のまま伝える人が増えることで


「チャートと見比べてマインドで決断する」

ノットセルフを量産してしまうのではないか…

と感じているのです。

 

私たちに共鳴してくださるかどうか

ポイントになると思いますが、

本当にラーが伝えたかった神髄は

ストラテジーと権威に従って生きる!

ということにつきます。

 

チャートのデザイン通りに生きろなんて

ラーは一言も言っていません。

 

むしろ、ストラテジーと権威に

従って生きていくことで

デザインを超えることができる…

と言っています。

 

そこにこそ、私たちのユニークさが

表れてくるのでしょう。

 

そういった生き方をしたい方。
そして、そういった「変容」を

伝えていきたい方には、
ぜひぜひ、私たちの講座を

受けていただければと願っています。

 

また詳細が決まりましたら

お知らせいたします☆

 

===転載終わり===

 


やはり、一番大切なのは

ストラテジーと権威、なんですね。

 

 

デザインを知れば、

ストラテジーと権威がわかります。


でも、マインドからの条件づけは

否応なしに入ってくるので、

ひと口にストラテジーと権威と言っても

それに沿って生きるのは難しいもの。

(日々実感しています)



だからこそ、

日々の実験や観察や検証が大切だし、


ヒューマンデザインの知識は

知るだけでなく、経験されるべきもの

なんだなと、あらためて思います。

 


知識として占める割合はごくわずかでも

ヒューマンデザインのエッセンスの

ほぼ全てがここにある、と言われるLYD。

 

 

感情権威のプロジェクターなので

物事を決定するにも学びを理解するにも

時間を要する私ですが、

 

じっくり復習して

しっかり腹落ちさせるために

LYD講座、ぜひ参加させてもらう予定です。

 

 

後藤幸子さんHP

http://www.soleil333.com/humandesign/

 

諸星和子さんHP

https://www.yu-hu-an.com



詳細が決まりましたら、

お知らせをまた転載させていただきます。

 

いや〜ボヘミアン・ラプソディフレディ

先日、2回目を観てきました。

 

何が、いや〜なんだか…

 

すっかり

クイーンウィークと化している

今日この頃デス。笑

 

 

 

※以下、ネタバレご注意くださいませ。

 

 

 

今回も印象的だったのは

フレディ役のラミ・マレックですね。

 

決して顔立ちが似てるわけではないのに

フレディを彷彿とさせて

時に錯覚を起こしそうでした。

 

 

痛みを伴うと知りながらも

表現せずにはいられない…

自らの内側から溢れ出るものに

まるで衝き動かされるかのような

フレディの姿。

 

時にそれは、

痛々しさすら感じるほど繊細で

でも、どこまでも果てしない深みと

豊かな広がりを感じさせるようで。

 

 

まぁ一度観てるんで、

こちらとしても感情移入してたり

するんですが(笑)

 

 

フレディ・マーキュリーという

ペルソナを見事に演じ切った

フレディその人自身の

心の底に常に横たわっていたであろう

孤独だとか痛みだとか、

 

そんな心の機微を

マレックがエクセントリックに演じて

絶妙でした。

 

 

それにしても、

フレディはその孤独や痛みすらも

創作へのバネにしたんだろうか…

 

 

「お前は時々クズになるんだな」

「生き急ぐな」

 

ブライアン・メイの台詞が

耳に残ってます。

 

 

Somebody To Love(1976)

↑コーラスワークがあまりにも美しい

"Somebody To Love"

映画でも"Bohemian Rhapsody"の

オーバーダビングの様子が描かれてて

興味深かった。

 

 

ステージでは

七つの海を支配した

大英帝国の女王のように

カリズマティックで威厳に満ちた

圧倒的な存在感を示しながら、

 

ステージを降りたその姿は

あまりにも繊細で

傷つきやすく心許なげで

常に愛を分かち合う誰かを求めていた。

 

 

人間離れした(適当な言葉が見つからない)

才能に恵まれたフレディの

しかしその実、あまりにも

当たり前すぎるほど人間くさい姿に

観る度に涙がこみ上げる作品です。

 

 

ーーーーーーーーー

 

ところで、

当然気になったので

フレディのヒューマンデザイン

タイプを調べてみたのですが…

 

プロジェクターなんですね!

 

 

プロジェクターは人々のガイド役。

 

プロジェクターのオーラは

鋭く相手にフォーカスするので

他者のエネルギーを読み取る能力が

あるわけですが、

 

その反面、

聞かれてもいないのに進んで意見して

結果、相手に拒絶されたり

良い反応が返ってこなかったりと

墓穴を掘りやすいんですよね。

 

私もプロジェクターなので

墓穴掘り、さんざん経験しました。苦笑

 

 

なので、お誘い(招待)を待つか

ひと言「言ってもいい?」と

相手の了解を得ることで

物事がスムーズに運ぶようになります。

 

 

 

出典元:Genetic Matrix

 


プロジェクターって

人生に正しい人がいるかどうか、

 

つまり

自分を正しく認識してくれる人が

いるかどうかが

とても大事なんですよね。

 

 

フレディの場合も、

 

欲に溺れたポール・プレンターが

巧妙にフレディを利用し始めた後も

ソロ活動のマネジメントを彼に任せ

(でも見分けるのはとても難しい)

自分は体調を崩すまで

仕事に追われる…

 

そんなシーンがありましたが、

 

プロジェクターには

馬車馬のようなエネルギーは

ありませんからあせる

 

あれは痛々しいシーンでした。

 

 

とは言え、そもそもが

常に行動することのプレッシャーを

感じていたであろうことは

チャートが示しているので

やむを得なかったんだろうなと。

 

 

でも、

反対にフレディが本来の彼らしく

心身ともに健康な時には

 

周囲にインスピレーションを与えつつ

卓越した洞察力や思考力、分析力で

バンドをリードしたんだろうなと。

 

レコーディングの資金を得るために

フレディの提案で車を売ってお金を作った(!)

なんていうエピソードもあったな…

 

 

考えて考えて考え抜く人なので

独自の世界観をとことん洗練させ

究極の高みを目指したんでしょうね。

 

揺るぎない

確固たるモノがありますから

他者の影響は受けないし

誰の言うことも聞かないですよね。

 

劇中、メンバーと口論中に

「決めるのは俺だ!」

(または、俺が決めるんだ!だったか…)

と一喝する場面などは

まさにそのとおりでした。

 

 

唯一無二なクイーンの音楽が

フレディの天賦の才とともに

彼独特の美意識に負うところが

大きかったであろうことも伺えますね。

 

そして、その彼独自の世界を

シェアすることを彼自身望んだし

それをシェアすることは

彼の使命でもあった。

 

 

このことは、フレディにとって

物凄く大きな意味を持っていた。

 

極端な言い方をすれば

そのためだけに生きた、みたいな。

 

 

プロジェクターのゴールは成功

 

そして、その成功とは

非エネルギータイプであることが

問題にならない場所に到達すること。

 

 

フレディは持って生まれた役割を

十分すぎるほど果たして

還って行ったのだなと

チャートを見てあらためて思います。

 

 

RIP Freddie Mercury

 

 

 

以上、練習がてら

ほんの入り口&だいぶ偏ってますが

フレディのチャート拝見でした。

 

入り口に爪先入れただけ、みたいな…いいかも汗

 

 

ヒューマンデザインシステムは

特定の要素のみで読むのではなく

さまざまに絡み合う要素を

微に入り細に入り読み解くものです。

 

私自身まだ勉強の途中ですし、

今回の内容も全体像のほんの一部として

ご参考程度にお読みいただければと

思います。

 

 

 

すっかり長くなりましたが

お読みくださりありがとうございました。

 

寒い三連休になりそうですが

暖かくしてお過ごしくださいもみじ