いじめの真っ只中にいた頃の私は、
死ぬことだけに希望を見出していました。

死ねば楽になる
もう学校へ行くこともいじめられることもない。
死は今の苦しみから逃げられる手段の一つだと思っていました。

当時遺書の内容を考える時間だけが楽しかったです。
遺書にはいじめていた人たちの名前を書き出し、
いじめをしたことを許さないこと。
そして親には育ててもらった感謝
綴ろうと思っていました。

しかし、そんな遺書に綴られた感謝の言葉だけで、
子供を失った親の気持ちは救われることがないことを
当時の私は知りませんでした。

いじめの中で私は"死ね"と言う言葉を
何度も何度も浴びせ掛けられます。
繰り返し浴びせられるその言葉で自分は生きていてはいけないんだと思い込んでいました。
生きているだけで人を不快にさせ
迷惑を掛ける存在なんだと、
自分が生きていることが恥ずかしいことのように
思い込んでいました。

だから、親も自分がいなくなった方が
助かるだろうと本気で思っていたのです。



その考えに気付かないまま大人になった私は、
ある患者さんとの出会いで
それがとても悲しい思い違いであったことに
気付かされることになります。