Dombyra-dee-dee〜中央アジアの無駄話とスケートとたまに旅行記〜 -10ページ目

Dombyra-dee-dee〜中央アジアの無駄話とスケートとたまに旅行記〜

中央アジアと日本を行き来しているくだらない日常とフィギュアスケートと旅行記など。カザフスタンの話とデニス・テン君の話が多いです。
コロナ禍以降はもっぱら国内旅行の話。最近は自分でも滑るのでその合宿関連多め。

小塚アカデミーの敦賀キャンプのためにまたまた敦賀へ出向くことに。


敦賀はこれまで新幹線、福井発着の夜行バス、京都発着の夜行バスでアクセスしていたが、これまでの最安ルートだった京都発着の夜行バスが今回はあんまり安くない。その代わりにダイレクトに敦賀に行ける夜行バスがこれまで使っていた福井発着バスの約半額であった。早朝に敦賀着いてどこか入れる場所はあるのかという不安は過ぎったが、駅の待合室あるしと思って最安ルートで有り余る時間を潰しまくる覚悟を決めた。



今回はバスタ新宿ではなく東京駅鍛冶橋駐車場から。数多くのバスの発車前の呼び込みをしていて何を言ってるかわからない雑多な感じがビシュケクのオシュ・バザールのバスターミナルを思い出した。バスは東京から敦賀→武生→福井→加賀温泉→小松と進んでいく。最初の停留所敦賀に到着したのは朝5時頃。降りたのは私含めて4人。他の方は車でのお迎えが来るようだった。暗くシンとした敦賀の商店街に一人取り残される。ああ、私だけ足がないこの感覚、ドバイの第2ターミナルに取り残された時を思い出す(ドバイの第2ターミナル、他のターミナルや街から孤立しててみんな誰かに迎えに来て貰ってた)。


一応この寒い中路頭に迷うのは嫌だったので早朝から行ける所は調べてはいたのだが、敦賀市、このご時世だということを差し引いても24時間営業している所がコンビニ以外ほぼない。マン喫ですらオープンは9時。あとは駅からは遠いがコメダ珈琲が7時オープン、氣比神宮が6時から拝観できる。




ということでまずは計画通り鉄道駅に移動し、待合室で6時まで時間を潰す。待合室にあった観光マップで今日行きたいところを再度確認。



6時を過ぎ明るくなってきたので氣比神宮へ。行く途中に8時オープンのガストがあることを把握。氣比神宮で時間をたっぷり使えたら、そこで朝食休憩でもいいかもしれない。



駅周りや商店街はすっかり雪はなくなっていたが、ここは雪かきした後の雪がまだこんもり残っていた。


氣比神宮の広さがわからなかったのでどれくらい時間を使うか決めてなかったが、さほど広くないし初詣の時期でもない早朝なので人もほとんどおらず、すぐにやることがなくなってしまった。時間は6時50分。ガストのオープンまであと1時間ここで待てないなあ。バスももう動いているし、コメダに向かって移動することに。



敦賀市内には銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトなどの松本零士作品のモニュメントが多く存在する。出身地というわけではなくて、鉄道や港などのシンボルとしてらしい。



コメダ珈琲最寄のバス停は徒歩15分くらいのところにあり、反対側へ同じくらい歩くと敦賀湾に出るので先にそちらへ行ってみることにした。海辺へ向かう途中、なんの変哲もない住宅街を通るのが楽しい。




冬の敦賀のオススメスポットとして載っていたのが雪に覆われた松原海岸だったのだけど、もうすっかり雪が溶けてただの海岸になっていた。そして「湾」なのでうわぁ海だ!広い!みたいな興奮はないなあ。でも前回の敦賀で惜しいところで海を見なかったので、とりあえず海岸まで来れて良かった。





反対方向の海へ行っちゃったので30分歩いてコメダに向かう。ここで充電しながら朝食休憩。座ってると寝落ちしそうになるのを必死で耐える…。


この後のバスの時間などをリサーチし、事前リサーチではコースに入れていなかったけど駅のパンフ見て興味を持った「人道の港敦賀ムゼウム」に行ってみることにした。



前回訪れた赤レンガ倉庫のすぐ近くのバス停で下車。赤レンガ倉庫から港ってほんとちょっと歩いたら目の前だったんだな…なぜ前回それを惜しんで海を見ずに帰ったんだろうか…(バスの時間がなかったからか、そうか)。



海辺の公園を抜けたところにある人道の港敦賀ムゼウム。



なぜここに興味を持ったかというと、リトアニアで訪れた杉原千畝記念館と関係があるから。杉原千畝に「命のビザ」を発行してもらったユダヤ人たちが日本に入国したのがここ敦賀港なのだ。



あの遠きリトアニアからシベリア鉄道、船と乗り換えてはるばるこの小さな街へやってきたのだなあ。と、私の中でひとつの線が繋がる感覚だった。


館内は撮影禁止だったがユダヤ人たちが敦賀に到着した時の市民のエピソードなどがなかなか印象的だった。なんかこう、必ずしも「かわいそうなユダヤ人をたすけた日本人とのこころあたたまるエピソード」じゃないんですよ、一般市民レベルの話だと。街の銭湯が彼らのために風呂を無料開放したけどユダヤ人たちが入ったあとは垢だらけで入れたもんじゃなかったとか、リアルな声だなあと。


敦賀から入国したユダヤ人たちはその後アメリカなどに渡り、今も存命でご活躍されている方もおられる。そういう方々の「日本のおかげで今の私がある」という言葉は、その後の日本が太平洋戦争に突入した立場的に彼らの敵国になったとしても、個人レベルでの恩義というのは(建前があったとしても)残るものなのだなあと思う。一方で、その逆で戦争によってその国籍だけで個人間の信頼が揺らぐこともあるというのを今の状況で強く感じるし、改めてそれを切り離して考えなきゃな、それ以前に戦争はぜったいダメだなと考えさせられたのだった。



ムゼウム見学の後は歩いて博物館通りへ。旧大和田銀行の建物を使った敦賀市博物館のある通りで、レトロな街並みによくある古民家オシャレカフェでオシャレオーガニックランチ。博物館自体は見る時間なかったけど、たぶん敦賀はまたスケートで訪れるだろうしその時だな。



博物館通りを出たあとまたバスに乗って、13時過ぎにようやくニューサンピア敦賀へ。



と言っても、アカデミーの練習は17:30からなのでまだ時間がある。一般滑走で1時間ちょっとだけ足慣らしと、今回の課題のステップを予習。



一般滑走は17:00までなのでアカデミーの貸切ギリギリまで滑ろうと思えば滑れたけど、さすがに体が持たないので15:00のチェックイン可能時刻と同時にすぐ部屋に入って貸切開始まで1時間半昼寝することにした。本当はアカデミー申し込んだ時点ではニューサンピアの部屋が空いてなくて近くにある別のホテルを取っていたが、2日前にキャンセルが出て滑り込むことができた。他のホテルからの移動時間を取られると昼寝タイムが失われてたのでこれは助かった。


敦賀到着から12時間以上時間潰してから始まったアカデミーキャンプ。終了時間は21:00なので始まる前にコンビニで買っておいたごはんを半分だけ部屋で食べて再びリンクへ。


3時間みっちり氷に乗って、かといって私の技術だと暑くなるほどのスピードで滑れないから体温がどんどん失われて最後は足指の感覚がなかった。ニューサンピア内に泊まれたおかげで温泉で生き返る。翌日は7:20から練習スタートなので早く寝ようと思ってたものの、結局ベッドに入ったのは0時過ぎ。スマホ持ったまま寝落ちていたことに1時半くらいに気付いて一度起き、再度就寝した。







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茨城・福島の旅最終日。この日は早起きはせず、荷造りして、宿のリビングに荷物は置かせて貰って9時半くらいから観光開始。



前日は新選組関係の所が多かったが、この日は白虎隊が中心。まずは循環バス「はいからさん」で飯盛山に向かう。東山温泉を経由して行くのでそこで乗り降りする方が多かった。時間があれば東山温泉でゆっくりするのも良かったな。



40分ほどで飯盛山に到着。まずは麓にある白虎隊記念館で予習。部分的にに新しくなってるんだろうけど、なんだか中の展示自体が昭和で時が止まっているような、それ自体に歴史を感じた…。


館内ではこの飯盛山で自刃した士中二番隊や、別の隊で生き残ってその後活躍した人たちなどが紹介されている。鶴ヶ城→武家屋敷と見てくると内容はだいたい同じなので、反復することにより頭にしっかり叩き込まれるというか。


館内に展示されてた西軍の名簿を見てたら、西南戦争資料館で名前を見た谷干城や村田新八の名前があった。西南戦争では敵味方に分かれ、そして会津では幕府側だった斎藤一や窪田重太は西南戦争では政府軍として戦うんだもんなあ。


そして窪田重太に関してはここには特に紹介がなかった。西南戦争で亡くなってしまったから、その後の活躍者の中にも入らないんだな…。



記念館を出て、飯盛山へ入山する…が、いきなりこれ、ゲレンデですか…?横にエスカレーターがあり、命が惜しいので有料だけどそっちから行くわ。



で、結局エスカレーター登り切ってもまた雪でツルッツルの階段が出てくる。手摺持ってたのに下りでコケた。



階段登って左手に白虎隊の墓地、右に進むと自刃の地がある。ここから炎に包まれる鶴ヶ城を見て少年たちは自害した。



自刃の地に立つ白虎隊員の像の視線の先に鶴ヶ城があるそうだが、全然見つけられなかった(写真拡大してみるとそれらしき物は写っている)。



白虎隊、私の中では美談としては済まされない感情があるなあ。燃え盛る鶴ヶ城というのは見間違いで、この時点では落城してなかったので彼らは結局無駄死になんだよな…(ここで自害せず再び戦いに行っても戦死したかもしれないけど…)。一人蘇生して「まだ落城してない」と聞かされた飯沼貞吉がどれほど無念だったことか。この時代だから仕方ないけど、16歳くらいの少年たちが「敵の手に落ちるくらいなら武士として死ぬ」と思ってしまう価値観を植え付けた大人たちに憤りを覚えるというか。



エスカレーターの窓口で下山道は緩やかって言われたけど、これも十分に怖いぞ…。



緩やかな?下山道を辿るとさざえ堂がある。このお堂ひとつで三十三観音参りができるよう作られたお堂だったそうだが、このひしゃげた様な外観見るだけでワクワクするねえ。このお堂、二重螺旋になってて行きと帰りに違う道を通るので人とすれ違わないのだ。



中は階段ではなくスロープに滑り止めがついた作りで、入ると頭のすぐ上の天井からギシギシした足音や人の話し声が聞こえるが、それは下り道なので進んでいっても彼らに追いつくことはない不思議な雰囲気。天井まで行くとアーチ状の板を渡って下りの螺旋に入る。真ん中の柱の両側に踊り場のようなところがあって、隙間から反対側に行こうと思えば行けるので、ここで「逃走中」とかやったら面白そうだな(許可が出ないだろ)。



降りて車道沿いまで出てくると「白虎隊伝承史学館」がある。ここは名前の通り歴史的裏付けのない伝承に基づいた資料とかが展示されていてちょっとオカルトチック。気になったのが白虎隊とはぜんぜん関係ないんだけど「クロード岡本」の作品。ピカソの実子で日本で養子になったと紹介されてるんだけど、そんな人いたの⁉︎気になりすぎて調べてみたが、「クロード岡本」は天才少年画家として一時期もてはやされてすぐ消えてしまったみたいで、それ以上の情報は出てこなかった。一方、ピカソには実際クロードという名前の息子はいるんだけど普通にクロード・ピカソとしてピカソの遺産を管理している。クロード岡本、何者なんだ。



お昼はこの後の会津藩校日新館に移動してから食べようと思っていたが、バスを調べてみると1時間近く来ないので先にご飯を食べることにした。お蕎麦も名物らしいので、近くのお土産屋さん兼食堂の「新蕎麦」のワードに惹かれて入ったものの、店員さんに「これがおすすめです」って言われちゃったので喜多方ラーメンとソースカツ丼のセットになった。まあ、ラーメンとソースカツ丼の組み合わせというのも会津名物らしいが、今回ほんと座って食べたのラーメンばっかだな。



食堂から乗りたいバスの停留所まで15分くらい歩く上に道を間違えちゃったのでギリギリになり、なんとか乗り込んで日新館へ。この会津藩校日新館、かつては鶴ヶ城に隣接しており会津藩士の子供たちの学舎だったが、現在はかなり離れた所で復元されており飯盛山からだとバスで50分くらいかかる。当時の部屋割りに沿って人形で授業風景を再現していたり、弓道体験や絵付け体験などもできるようになっていた。先の白虎隊への感情と同じく、ああ、ここで間違った価値観を植え付けられたんだな、という気持ちになってしまうが…。




日新館に到着したのが14時頃で、58分のバスで帰るためにかなり駆け足で見学したんだけど、バス停戻ってきて15:58だということに気付いた…。会津若松からの帰りのバスが18:00発で、それに間に合うように17:15七日町発の電車に乗りたいのだが、間に合うか?(その1本後でも17:55会津若松着だからギリギリ間に合うが、お土産買う時間ないし雪で遅れそうだから危ない)


一瞬ここから20分くらい歩いて平田駅に行って電車で戻るか?と思ったけど電車の本数がないのでそれも時短にならない。タクシーも無い。仕方なくもう一度館内に戻り時間を潰し、15:58のバスで戻ることにした。



日新館からのバスも少し遅れて、16:45ごろに宿の最寄りのバス停に到着。そこから10分歩いて宿、荷物を少し整理してまた10分歩いて七日町の駅に到着したのが17:13と本当にギリギリだった。七日町の駅舎もレトロで可愛いし、七日町通りのオシャレトロカフェとかも行きたかったけど!


会津若松駅でお土産を買い、両手にお土産とペンギンを抱えてバスに乗り込み東京へ帰ってきた。バスの中で既に次の旅先の候補などを調べていたが、そろそろ何の制限もなく海外に行けるようになって欲しいなあ。








1月2日。今日も早起き。朝7時に宿のオーナーの車で朝ラーの町、喜多方へ。



喜多方ラーメンのお店は何店舗もあるらしいが、やはり私は長年の憧れ、坂内に行きたい。7:30頃の到着でもうこんなに行列!



30分くらい並んで、ようやく席につくことができた。坂内食堂本店の支那そば様とついにご対面!チェーン展開している坂内よりシンプルであっさりした印象。このあっさりスープに絡む太ちぢれ麺が美味しいんだよー!



もう一人のゲストさんは今日チェックアウトで昼ごろから新潟に向かうらしい。会津若松市内に戻ると、私はオーナーに鶴ヶ城で降ろしてもらった。これからの2日間は会津若松歴史紀行。開館時間が最も早い鶴ヶ城を起点に、行きたいスポットを地図上で近い順に並べた結果、大まかに1日目は新選組、2日目は白虎隊をテーマとする感じになった。でも今回は移動手段など細かいことは考えていなかったので、順番に回っていって間に合わない所はカットかな。


完全に雪景色でお堀が凍っている鶴ヶ城は会津戦争を経て明治4年に取り壊されていて、現在の姿は昭和40年に再建されたものだそう。中では会津藩歴代藩主の紹介や明治維新後に活躍した会津出身の偉人、会津戦争のことなどが紹介されている。



最上階のみ撮影可能。大河ドラマ「八重の桜」で有名になった新島八重。私は会津に関しては二次元で知った薄い知識しかないので、鶴ヶ城で会津ゆかりの多くの歴史的偉人の名前をたくさんインプットできた。



お土産屋さんの奥に「八重の桜」の衣装が展示されていた。こういうの見るといつも思うけど、女優さんでほんと細い、というか、肩幅からして一般人とは違う。



天守閣の向かい側には茶室があり、隣接した休憩室でお抹茶とお菓子をいただける(チケットと別料金)。



鶴ヶ城をたっぷり見学したらもうお昼近くになってしまった。通りかかったお茶屋さんの看板にあった「天ぷらまんじゅう」が気になったので買ってみる。要するにまんじゅうの天ぷらなんだけど、サックサクの衣の中から出てくるあんこが美味い!!



続いては市内循環バス「はいからさん」に乗って会津武家屋敷へ。入り口でお神酒と甘酒配ってたので飲みながら散策するという贅沢。


この会津武家屋敷は、鶴ヶ城でも紹介されていた会津藩の家老、西郷頼母の屋敷を復元したもの。西郷頼母については鶴ヶ城で見るまで全く知らなかったのだが、会津戦争で幕府軍が劣勢になるとこの武家屋敷で西郷の奥方や娘など女性たちが一族で自刃したそうだ。頼母自身は箱館戦争まで戦って捕縛、その後赦され明治後期まで生きるんだが、奥さんも娘さんも失ってどんな気持ちで余生を過ごしたんだろうな…。



館内放送でこれから入場口で餅つきやりますというので見学途中で入り口まで戻る。餅つきをちょっとだけ見て、再び見学路に戻ったが帰る時にまだお餅が残ってたのでいただくことができた。つまみ食いばかりしてお腹いっぱいになっちゃったな。




会津武家屋敷の後はその裏手にある会津藩当主、松平家の墓地へ。いや…これかなり雪山登山だぞ…?



京都守護職、新選組の上司にあたる会津藩九代目当主、松平容保公のお墓が一番の目当てだったのだが、なかなか見つからず心折れそうになった。結局山の一番奥で、この季節は流石にほとんど人が来ないのか雪が踏み固められた轍に新たな雪がだいぶ積もっていてズボズボ埋まる。更にけっこう傾斜がきつかったので下りが地獄で、滑り落ちて遭難するかと思った…(あとで宿のオーナーに話したら「上まで登ったんですか⁉︎僕もこの季節には行ったことないです」と)。



松平家の墓地がある山の麓に近藤勇の墓がある天寧寺への矢印が出ていたので、そのまま山の雪道を歩く。最初の案内で500Mと書いてあったのに中盤まで歩いたらなぜか後から600Mという看板が出てきて絶望した。


こちらの方が訪れる人が多いのか雪に轍がくっきり残っている。すれ違った女子2人が「いやーやっと着いたね…」と話しながら歩いてたので彼女たちも目的地は一緒だったのかな。


近藤勇は斬首刑になり首は京都の三条河原に晒されたが、その首は土方歳三が持ち帰りここに埋葬したという説がある(諸説あり)。近藤勇の墓石の隣には土方歳三の慰霊碑も建っていた。



続いて天寧寺に隣接する愛宕神社へ。本殿は工事中?にも関わらず初詣に訪れる人が後を絶たなかったが、私の目的は本殿の左奥、誰も足を踏み入れてなさそうな所にある慰霊碑。これは会津藩士、窪田伴治とその息子、重太のもの。この窪田重太、私が過去二度足を運んでいる熊本の西南戦争誌「年刊田原坂」に登場するキャラ、窪田征巳郎のモデルとなった人物で、会津戦争を白虎隊として戦い(あの自害した隊とは別の隊)、その後は警視庁に入り抜刀隊として西南戦争に出征しそこで命を落としたそう。年刊田原坂の表紙も時系列に沿って進んでおり、窪田征巳郎はまだ亡くなってないけど重太と同じ運命を辿るのかなと思うと胸が痛くなる。



この愛宕神社、参拝客の多数がスキーのストックを持っているので何事かと思ったら、ぎゃーー!なんじゃこの階段は!天寧寺から山沿いに来てしまったので知らなかったがこんな急勾配の参道だったのね…もう手すりがなくなった先の下り、怖すぎて横向きで一段一段降りてくしかなかった。今回移動手段をあまり調べなかったの、地図見ていざとなったら私の足なら歩けるぜという驕りがあったんだけど、雪道ということがすっかり抜け落ちていたな。


この後は斎藤一たちが立て篭もった「如来堂」へ行こうと思っていたが、ここだけ場所がかなり離れていてバス乗り継ぎ+徒歩で片道1時間近くかかる。時間は既に3時半。次のバスで行ったら着くまでに暗くなっちゃうし、口コミ見ても新選組ゆかりの地だというだけで他に見所もないという意見ばかりなのでカットすることにした。同じバスを乗り継がずに行ける阿弥陀寺へ向かう。



循環バス「あかべぇ」が出るバス停に着いたのはちょうど発車時刻。それから数分、バスは来ない。これは行っちゃったか…?と思いバス会社に電話してみると、車両故障で遅れているとのこと。歩き回って暑かったのが一気に冷える中、20分待ってバスが到着した。


七日町駅近くの阿弥陀寺には、斎藤一(維新後藤田五郎に改名)のお墓がある。会津戦争を新選組として戦い、会津藩士の娘、時尾と結婚した斎藤は、東京で亡くなったけど第二の故郷会津で眠っているのだ。


最後に七日町通りにある新選組記念館を見て(お土産屋さん?の2階にあって、館主が個人で集めたらしき資料が色々展示されててカオスな空間だった。ついでに七日町通りのレトロな街並みを歩いてカフェで休憩…と思ったがこういうところって閉まるの早いよね…。結局どこもやっておらず、テイクアウトできるところも店じまいギリギリの時間、しかしここから宿までにコンビニもないので入った閉店間際のカフェで売っていた水とラスクだけ買って宿に戻り、宿では今日チェックイン予定の人がノーショーだったのでオーナーと2人ダラダラテレビ見ながらまた日本酒飲んだのだった。なんかこの2日間ちゃんと座ってご飯食べたの坂内の朝ラーだけだな。









朝4時。田舎町らしく暴走族の(やたらメロディアスな)マフラー音で目を覚ましたのでそのまま起床。石油ストーブがいつのまにか止まっている部屋はめちゃめちゃ寒いので早々に着替えて全身にホッカイロを装備してからトイレ、洗面所に行く。



チェックアウトの時間までにたぶん戻ってこないので、荷物を全てまとめる。前日にチェックインする前に使わせて貰ったリビングにまた置かせて貰うことになっていた。5:30頃出発。ホッカイロが効いてるので顔以外は寒さは感じない。人の流れも車の流れもみな同じところを目指している。



神磯の鳥居がある浜に沿った歩道に来てみたが、既にすごい人で前が見えない。周りにいる若い子たちが「下(砂浜)行った方が良くない?行くなら今のうちだよ」と喋ってるのが聞こえ、私も一度来た道を戻り砂浜へ降りることにした。砂浜も既に多くの人がスタンバっているが、さらにその前の列へ、邪魔にならないように座る。



砂浜は後から来る人ほど前にしかスペースがないのでそこに入っていく。私の前にも更に列ができた。潮は徐々に満ちてきているので初日の出が先か波に呑まれるのが先かの勝負になってきて、前の列は大波が来るたびにビビりながら立ち上がる(なお最初にいた歩道は写真左に写っている塀の上)。鳥居のある岩(写真右)は立ち入り禁止だが、若者集団が入り込んで鳥居の近くまで行った時には「邪魔だ!どけ!」という怒号が響いた。撮り鉄の争いみたいになってきたな。



前日に続いてこの日も水平線上に雲がかかっていたが、その隙間から眩しい光が覗いてきた。



そしてご来光!2022年の初日の出!!太陽が出てワーッと盛り上がる中、写真を撮るためバーッと走って海の中に入る勇者が出てきて拍手が起こる。何か、同じ場所に集まった知らない人たちの感情がひとつになる瞬間て久しぶりに味わった気がするな…。



さて太陽出たので次はさっさと初詣に行こう、と移動したら鳥居と太陽が重なるベスポジに入り込んでしまった!神々しい…!



そして初詣もめちゃ「密」という現実。2年前の出雲大社は年越し組が帰る早朝を狙ったらそこまでの混雑に巻き込まれなかったんだけど、やはり大洗は初日の出→初詣の人が多いのかな。しかしお参り自体は回転が早いので列はさくさく進んだ。おみくじも大行列だったけど並んだ。結果は中吉。



初詣に来たら屋台飯を食べるのも楽しみなのですよ。じゃがバター屋台のホックホクのじゃがいもたち、絶景…!



が、30分以上並んで手に入れたじゃがバター、お店のおじさん明らかに私にいちばんちっちゃいやつ選んだな(たぶん複数客だと比べられるからだろう)。他の人のはお皿からじゃがいもがはみ出してたのに。いやこれでもその辺のスーパーで売ってるのより遥かに大きいけど、同じ値段でこの違いはないだろうと新年早々ブルーな気分。あのね、私のじゃがいもの恨みは大きいよ…?



その後は磯前神社周辺でここは行っておきたかった、幕末と明治の博物館へ歩いて移動。大晦日は休館だけど元日はやってくれている。ありがたい。ペリー来航から大政奉還までの歴史を紹介するビデオや水戸黄門で有名な徳川光圀などの水戸藩に所縁のある歴史的偉人の紹介、慶喜公の書など展示されている。印象的だったのはこの博物館の創設者、田中光顕の肉声が聞けること。江戸時代生まれの人の声って残ってるんだな、すごい…。そしてちゃんと聞き取れるのが不思議に感じる。書だと全然わからないのに、江戸時代も話し言葉は今とあまり変わらなかったのかな。それとも田中氏の言葉が江戸→明治→大正→昭和と徐々に変化していったのか。



博物館周りはキャンプ場になっていて、ガルパンチームが多いのか痛車がいくつも停まっていた。ロシアの謎漢字車の逆バージョンみたいだ。ちなみに幕末と明治の博物館には「ガルパン割」が存在していて、ガルパングッズを持ってると入館料が安くなる。


屋台と博物館で思ったよりたっぷり時間を使ってしまった。ここから宿まで歩いて30分くらいかかるが、バスだと待ち時間と遠回りと渋滞で余計かかりそうなので歩いてしまうことにした。宿に帰る前にシーサイドステーションにも寄りたいので、乗ろうと思っている大洗発の電車までけっこうギリギリだ。



なぜシーサイドステーションに寄りたかったかもいうと、やっぱりペンギンを諦めきれなかったから…。というわけでここからはペンたんも一緒。やっぱり抱えて歩くの相当邪魔だが…。


宿までの道を急ぎすぎてすっかり暑くなってしまったのでホッカイロを引っ剥がしてから大洗駅に向かい、何とか予定していた12:44の電車に乗ることができた。


ここから水戸に戻り、水郡線で郡山へ。乗り換え時間の15分間でコンビニでおにぎり買ってホームで食べたのが本日の昼食。電車の中では茨城のローカル線の景色を楽しみたかったが疲れてほぼ寝落ち。


県境越えて福島県に入り、終点郡山へ。ここからはバスで行こうと当初考えていたが、会津若松行きの電車が10分後にあるようなのでこのまま電車で行くことにした。この電車、本来もっと早い時間に来るはずが大雪の影響で遅れてこの時間になったようで、そこで初めて「雪」の存在を意識する。そして入ってきた電車、異世界から来たみたいに雪まみれ!




で、到着した会津若松駅、雪深っ!!そういえば会津若松で行きたい施設の営業状況を尋ねるために電話したとき、「朝は雪が凍って階段が滑るので」とか言われてそーかー雪降るのかー、とは思ってたけどずっと太平洋側にいたから想像がついていなかった。会津若松めちゃ雪国じゃないか!




郡山から会津若松へ向かう電車に乗ってる時に、予約していた宿から「泊まってる他のゲストを駅近くの温泉に連れて行くのでそのまま駅でピックアップします。むしろそのまま一緒に温泉寄って行きますか?」と連絡が来た。口コミにも車で送ってくれたり酒ご馳走してくれたり親切なオーナーだと書いてあったが、とてもありがたい。


駅でオーナーともう一人のゲスト(大学卒業したばかりの男の子)と合流して温泉に行き、コンビニでおつまみなどを買ってから宿へ。外観は民家のようなゲストハウスで、オーナーは福島市内に奥様と暮らす家があるそうだが宿泊客がいる時はこちらに滞在するらしい。



そして、リビングルームで出てきました日本酒!なにげに2ヶ月近く禁酒していたんだが(主な理由は全日本までの間酒焼けで喉潰さないようにだったけど、誕生日の3日前に健康診断があるのでもうここまま誕生日まで禁酒延長しようと思っていた)、これ出されたら飲んじゃうでしょ!


で、「明日朝イチで喜多方の坂内行くのでほどほどにしときます」と言ったらオーナーが「朝ラーいいですね!じゃみんなでいきましょうか」となった。坂内食堂、駅から遠いのでこれめっちゃ助かるわ。というわけで、翌日は7時に3人で宿出発して朝ラーします。毎日早起き。










茨城県で迎える大晦日。計画通り5時起床、6時にホテルを出て日立駅へ向かった。


Twitterで見た朝4時の日立駅は誰もいない駅舎のガラス窓に青い海と空が広がっていたけど、この季節の日の出はもっと遅いので自分含めて足を運ぶハードルは低くなるし、そもそも電車も動いている時間なので既にそこそこ人が集まっていた。



周囲から「雲が邪魔だな〜」という声が聞こえる中、だんだんと空が明るくなっていく過程も綺麗。



そして雲の間から太陽出たーー!ほんとは水平線から見れればもっと良かったけど!



めちゃ眩しい!




初日の出ならぬ日の出納め?こんな感じでけっこう人集まっていた。翌日はこの比ではないんだろう。


一度ホテルに戻り、朝食のおにぎりを部屋でいただきながら荷造り。




次の目的地へ向かう前にもう一度駅舎の奥へ。すっかり太陽が昇り青々した景色に。


日立駅の後はこれといって絶対に行きたい場所があったわけではないのだが、この周辺だと国営ひたち海浜公園が比較的近く、調べてみたらこの時期でも見れるお花はあるようなのでバスが出る勝田駅へ向かってみた。が、どうもバスがない…?調べてみると大晦日は閉園してた。なんで見頃のお花調べたときに気付かなかったかなあ。


仕方なく、予定よりだいぶ早いが年越しを迎える大洗へ移動。



大洗はアニメ「ガールズ&パンツァー」通称ガルパンの舞台となった町で、駅には駅員さんの格好したキャラのバナーが。ガルパン、ロシア関連のキャラが出てくるのでジェーニャさんとか上坂すみれさんとかロシアに縁のある声優さんが出演しているという知識しかないが…。




本日泊まるのは駅から歩いて15分ほどの距離にある民宿「さわや」。磯前神社近くの宿はぜんぶ埋まっていたので、ここからだと初詣行くのに40分くらい歩くことになる。まあ、日光の時も駅前の宿から東照宮まで歩いたし、エストニアやキルギスで揃えた防寒具で来てるので大丈夫だろう。


宿で荷物だけ預かりをお願いすると、おかみさんに「自転車で回るの?」と聞かれた。レンタサイクルがあることを想定していなかったので聞いてみると、向かい側にあるショッピングモール、シーサイドステーション内にあるそう。まずはそこに行ってみることにした。



シーサイドステーション内にでかいSeriaがあったのでなぜかここでハッスルしてしまい、無駄に荷物を増やす。




そしてモール内をグルグル回ってようやくレンタサイクルの受付を見つけた。2日分払って翌日返すこともできるそうだが、磯前神社の初詣に自転車で行けるか尋ねてみたところ「坂があるので…麓までなら行けるのかな、でも置く場所ないかな…」と曖昧な返事だったので夕方の〆切時間、18:30までに留めることにし、特にやることもないので磯前神社まで自転車で行けるか下見をすることにした。




まずはごはんを食べに行こう。明太パークで私の数少ない好きな海産物、明太子でランチしようと思ったものの売り切れていた…。持ち帰り用の明太子はまだ旅が続くから買うべきじゃないし、何も得ずに退散。




めんたいパークの入り口では明太子の歌を歌う氷川きよしさんの美声が響いていた。赤ドットスーツのきーちゃんかわいいな…。




めんたいパークから少し神社側に進むと海の幸を食べれるお店が並ぶので、そこで同じく数少ない好きな海産物、まぐろをいただきました。




ガルパン号は折りたたみ自転車なので馬力が小さく普通に漕いでてもけっこう疲れる(なおシーサイドステーションには電動自転車もある。レンタル料は1日につき折りたたみが300円、電動が1000円)。磯前神社まで来てみたが、車道の参道は坂だし、歩道は階段だし、そもそも停めれる場所がないなやっぱり。翌朝は諦めて歩こう。



お参りは初詣まで取っておいたが鳥居はフライングして見た。




Seriaでハッスルしている最中に手袋が片方ないことに気付いたが、モール内では見つからなかった。駅から宿へ向かう途中で落としたかなと思い、せっかく自転車があるので駅への道を戻ってみたが結局見つからず。再度海辺の方に戻り、大洗マリンタワーの展望台に上がってみた。このタワーだけ周囲から浮いてて、ここだけアスタナみたいだなぁ。




展望台から海を臨む。フェリー「さんふらわあ しれとこ」号が停泊していた。あれ乗ったら知床行けるの…?(行けない)




展望台のひとつ下の階にガルパンカフェがあり、甘いものに飢えていたので入ろうかと思ったが知識がないと入れる雰囲気じゃなかったのでやめた。




夕飯やおやつなどの買い出しのために少し早めにシーサイドステーションに戻る。リサイクルショップで売ってるペンギンたちが可愛い…どうもパチンコの景品か何かの余りもので市販されてないらしく、ここでないと手に入らないとか。ほ、欲しい…!けどここで買ったらこいつ抱えながら残りの旅を続けることになる、絶対不便だ!でも欲しいどうしよう…!




結局迷ったままこの日は帰ってきた。宿はこんな質素な和室でバストイレ共通。私以外はガルパン関係のお兄様方ばかりのようだった。前の人のお風呂が空くとおかみさんが呼びに来てくれたり、お茶飲むためにお湯を入れたポットを貸してくれたり親切。


ここ数年の年末旅は早朝初詣のために年越しの瞬間を待たずに寝るパターンになっている。今回も例に漏れずなので部屋で紅白見ながらおつまみ程度の夕食を摂り、お酒も飲まず、22時過ぎに就寝した。