小塚崇彦、引退 | Dombyra-dee-dee〜中央アジアの無駄話とスケートとたまに旅行記〜

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中央アジアと日本を行き来しているくだらない日常とフィギュアスケートと旅行記など。カザフスタンの話とデニス・テン君の話が多いです。
コロナ禍以降はもっぱら国内旅行の話。最近は自分でも滑るのでその合宿関連多め。

先日、たかちゃんこと小塚崇彦選手が引退しました。

私にとっては、日本代表レベルの選手の中で一番応援してたスケーターで、遡ること10シーズン前、彼を応援するために行ったジュニアグランプリファイナル(チェコ・オストラバ)が初めての海外観戦でした。どうも「海外までおっかけた初めてのファン」だったようで、お礼にと優勝した時の花束と手紙をいただきました。お花は持って帰れなかったけどね。

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これはその時の写真。この時私23歳、今24歳www

その後、2006年の世界ジュニア(スロベニア・リュブリャナ)で再び海外生観戦に出かけ、この大会でたかちゃんは優勝し世界ジュニアチャンピオンになりました。この時はトリノの選考で話題をさらった真央ちゃんを目当て、在リュブリャナの日本人やヨーロッパ旅行中のバックパッカーなどが会場に集結し、たかちゃんの優勝に大いに盛り上がったことを覚えています。

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この頃は彼が女子アナと結婚するなんて想像つかなかった(笑)

その後は試合に裏方で行くことが増えたので直接応援する機会は減ったけれど、たまに観光も兼ねて海外観戦に行っていた。バンクーバーオリンピックのフリーで、試合で初めて4回転を成功させたのを見た時の興奮は今でも忘れられない。彼はソチオリンピックで金メダル獲るってこの時は確信してました(ちなみに、銀と銅はこの時の予想が的中しました)。

近年は拠点を日本に置いていなかったので演技を見る機会はめっきり減っていたけど、ソチ五輪の代表争いで悔しい思いをした2013年の全日本、そして「これで最後かもな」と誰もが覚悟してたであろう今シーズンの全日本で会場に居合わせることが出来て良かった。

小塚選手、今まで興奮と笑いと?たくさんの感動をありがとう。これからスケートにはどれだけ関わるのかわからないけど、彼はどこでもやっていけるでしょう。肩書き的には、ある意味トップスケーターの中で一番の成功例かもしれない…。仕事に家庭に、充実した幸せな人生を歩むことを祈っています。いや、こちらが祈らなくても大丈夫だな、彼は。