親次第だけど、障害がある、障害ができた子供たちを
ただただケアする家庭がある。
反対に誰も日中、そばにいれないからと、
日差しが優しい部屋で、ゴロッと転がっている青年もいる。
会話としてのコミュケーションはきっと生涯ない。
一人で転がっている青年は、部屋に流れ込むやさしい風に、わずかに動く両手を、ひらひらさせていた。
ある日は、木の葉の重なりから不規則に漏れる日差しを、目で追いかけていた。
私が出会って訪問させて頂いている彼らは、
自分の周囲の全てと、多分会話をしている。
家族とは、当然通じている。
彼らは、周囲のもの、全てに毎日、毎瞬、祝福を与えている。
こういう人生もある。
文句を発する事無く、ただただ、
祝福する人生。
あ~ぐじゃぐじゃ言っている私の低い波動を
浄化してくれていた存在が、
彼らだ。
感謝。