巡回先に、長いお付き合いになるちょろ君8歳がいます。

ちょろ君は、幼い時から多くの場面で放置され、

ミルクが長い時間、時に数日なく、

結果、ベッドのスポンジを飲み込むほど

ひもじかった男の子です。

(当然、ミルク支援入りました)

今回は、ちょろのパパのお話を

 

ちょろのパパは5年前に奥さんに逃げられてから、お酒の依存度がググんと上がり

当然、こっちの安酒。

この3年は何度、吐血、下血、呼吸困難と病院に運び込まれ、

もうダメかな?という周囲の予測に反して

低空飛行の回復をしてきていた方でした。

 

今回も、吐血と呼吸困難で病院へ。

しかし、病院もできる事がないと追い返され

もうあと数日だと思うと言われ、

訪問したら、

肺がつぶれているにも拘らず、意外に元気で、

1時間ほど、彼のケアをさせてもらってきました。

 

彼はいつから、こう立ち直れなくなったのだろう?

毎回、退院後は、ケアしていました。

その度に、ちょっとずつ回復するので、寿命はまだあるのだと

信じています。

 

でも、彼はこう何度も、何度も、おなじ失敗を繰りかえすのか?

その背景を知っている範囲で、お話します。


ちょろパパ一家のことは、ちょろパパ13歳の時から、知っています。

ちょろパパの弟君(当時8歳)が心臓肥大からの心不全になっていたからです。

 

そのころのちょろパパは、毎日、朝から暗くなるまで

お父さんが一人任されているめっちゃ広い農園の作業を

手伝っていました。

 

地主は、家畜にはセメントに新品のトタン屋根の家を作り

家畜の害獣除けの犬には

肉を食べさせる

(家主が肉を持って来て、目の前で彼らに調理させ、全てを犬が食いきるまで、その場から家主は離れないそうです)

 

パパ一家には、給料も市場の半分以下、

家族総出で朝から夜まで働くのに、

給与対象はお父さんだけ。

 

彼らの家は、ぶっ壊れたわらぶきの家でした。

たくさんの野菜、コメ、家畜の世話をしているのに

お米も、野菜も、肉も、なーんにも彼らの口に入りません。

 

どうして文句言わないの?どうして逃げ出さないの?

と、お父さんに聞くと、

「殴られるだろうし、本当に困ったときは

きっとあの家主も助けてくれると思う」

 

貧困は我慢することが本当に得意です。

 

そして、弟君が心不全になった時

もう病院以外にないよ!っていう時に

家主にやっと相談に行ったら

「家畜以下のお前らが、病院に行きたいだと~!!」

と鉈持って追いかけられたそうです。

 

あ…あり得ない…日本的には。

 

そして、弟君は

クリニックで16年前、私は帰国中で、弟君の少ないデータを持って

どういう診断で、何ができるのか?を日本で聞いている最中

「苦しいよ、生きたいよ、こわいよ、生きたいよ」

とつぶやきながら、ティナさんに看取られて亡くなりました。

8歳でした。

 

わたしの用意は何も間に合いませんでした。

 

同時に残された兄弟たちにも、

様々な心の傷を残したでしょう。

 

真面目に働いても

何も良いことなかった。

弟を失い、

農園を逃げ出し、今の地域へ来て、

抜け殻のようになっていたちょろぱぱ一家。

 

結婚を機に、働き、ちょろも生まれたのに、

お酒におぼれてしまった・・・。

もう一人の子供もできて

でも、奥さん、下の子供だけ連れて

蒸発しました。

 

そこからです。

「俺はもうすぐ死ぬ」が始まったのは。

 

貧困の連鎖も勿論あるのでしょうが、

これって彼が口にしている言葉が引き寄せている~。

 

お産があって書くのが途切れたので、このあたりで一度、閉めます。

 


チョロくんの家。半分雨漏り〜
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