動脈瘤破裂の緊急手術から平熱になる事が無いトントン。
高熱になったと思えば、切開創から骨のかけらが膿とともに排出。
何ヶ月経っても一部傷が開いているのは、きっと胸腔内に残っていたゴミを排出するため。亡くなった数日前も、ナイロン糸がくくられた状態で首の切開創から排出。
胸腔内にしか無いはずの、胸骨骨片が
お尻の褥瘡から出て来る事があったり、とにかく医学的に説明し難い事が起こっていた。
高熱でも、食事が摂れていた間は体力がまだあった。咳込むようになって、食欲不振になってきたのが2月末。
痰を吐き出すのが難しくなって来て、いよいよ呼吸困難が出始めたのは3月中頃。
数々の奇跡を起こして来ているトントンだから、胸腔内に恐らく残っているだろう異物も、消えてしまう可能性だって有る。
異物はどうも胸の虎のタトゥーあたりにあるらしく、左肺が最初に機能低下、
この頃には、さきさんのヒーラー能力がぐぐんと伸びて来ていて
朝、気胸を起こして呼吸音が消失している部分が、翌日には肺が膨らむ音が戻って来たり、
半日から2日単位で、病状がシーソー状態。
さきさんの力と、多くの方のお祈り、遠隔でヒーリングして下さる方の力、トントン自身の意思力、家族の愛、いろんな力が働いて改善、悪化、改善、悪化、改善、の繰り返し。
病床で夜眠ると痰が吐き出せず、半分窒息しかかり、寝れない事が日課のようになり、
亡くなる一週間は、全く眠れていない状態の日日。呼吸困難から意識不明で失禁する事も。
咳込むと家族にお腹をぐぐんと押してもらい
、やっと痰を吐きだす。
さきさんは、最期の時も心臓の強い力にまた、回復すると信じていた。
じゃあ回復する、と信じよう、、、、信じなきゃ回復はあり得ない!
でも、下顎呼吸で意識ほぼ不明状態、
いつ止まっても、全然おかしくない状態。
反転し開いたままの眼球が乾いて膜を貼り初め、身体が呼吸を必死にキープするため、他の機能を放棄し始めた。
何かの拍子に痙攣していた足も脱力、z痙攣しない。
両肩が大きく上下する。必死に必死に呼吸しようと。
顎が落ちている。肺の音はもうどこもまともな音は聞こえない。
回復?
有るなら有り難い。
さきさんが呼吸介助をしている。回復するなら交替するため、先に仮眠しておこう、
酸素のタンクはこれが最後。
呼吸筋補助をしていないと、酸素濃度も心拍も落ちる。下がったり、盛り返したり。
吸引機の音で、私は目を覚ました。
酸素レベルはかなり落ちている。
これが改善して、
さきさんが、力尽きるようにトントンから離れた。
さきさんが眠って
すーーと酸素濃度が下がって行く。心拍も。
お母さんがずっと横で、励ましている。
けれど、多分覚悟はできている。
眠っていた家族が集まってきた。
呼吸がまばらになって来て、静かに呼吸が止まった。
長女が母親の両肩を後ろから抱きしめる。
「お兄ちゃん、ずーとずーと寝ていないからやっと、寝れるんだよ。もうどこも痛く無いんだよ。」
トントン君、最期の最期迄戦って戦って、静かに息を引き取りました。
いろんな方のお祈り、ヒーリング、感じていたようです。
バイオ、パイロゲン、プロポリス、バクチャー、フコイダン、冬虫夏草や漢方、アロマオイル、エンシュア、アミノ酸、薬草、ひもトレ、温灸、酸素、ひまし油(全部一度に同時使用、摂取していた訳では有りません)
パンツ、シーツ、おむつ、タオル、他多数
いろんな方に支えて頂きました。
彼から学んだ事や、起こった不思議な事、
亡くなってからの不思議な事、また別に書きたいと思っています。
トントン君、本当にあちこち今飛び回っているようです。
久々の自由に動けるのを、楽しんでいるようです。
ご支援に感謝、感謝、感謝です。
ありがとうございます!