昨日、朝3時にはここを出発し、マニラに向かったトントン君。

朝の6時の時点で、フィリピン大学の附属病院(PGH)は500人を超す患者の行列。

CTの結果をもらい、この待合の長さだとお昼過ぎないと回ってこない。

野外に続く列。

 

炎天下、みんなそれ以外にないので、待つ。

 

日本の病院に待合があって座れるだけでもやはり、すごいことなんだと思う。

患者がいくら待っても順番が来ず、また明日って言われることも

ここでは当たり前。

 

トントン君はこの待ち時間に他の病院を巡った。

でも、2つ行った病院で、

やはり「PGH(500人患者が待っているところ)しか、この手術はできない」と言われた。

この意味を素直に、そうかととるか、こんな無理な手術をするのは、PGHだけという風に解釈するのかは

受け取り手の認識次第。

 

元の病院に戻り、ラッキーなことに順番がもうすぐ回ってくるときだった。

「これは外来で診るケースではありません、緊急です」

と再び、緊急外来に回される・

 

金曜日に緊急外来から、「あんたは緊急ではないから、普通の外来に並びなさい!」と

追い出された場所に戻れという指示。

 

そこから、緊急外来の順番待ちにまた並ぶ。

並んで、ひたすら待つ。待つ、待つ。

いくつもの死体が運びだされていく。

 

現在1日明けて、まだ医師は来ない。

 

無理な手術ということを心配してくれる日本人の医師もいる。

 

でも奇跡を信じている本人、家族、支援者がいる。

方向性を決めるのは、患者とその家族。

 

日本人医師がなんと言っているか、を母親と家族には説明してある。

 

彼らが異常に頑張れる根拠は

首を通り抜けて銃弾が、食道や気管を一切傷つけずに、通り抜けたこと。(これ本当にあり得ません)

搬送先では「何をしても助からないから、早く葬式の準備をするべき」と

自発呼吸をしている患者を前に、数日間言われ続けたこと。

病院では、意識が戻ってから気管挿管したらしい・・・。(他にもびっくりすることだらけです)

様々な???なことをされても、トントン君は生き延びた。

頸椎がずれていることで起こっている首から下全部麻痺も改善してきている。

 

動脈に擦り傷がたくさんできていて、今回の動脈瘤に至っているけど、

医者のいうことが全部じゃない、とトントン君も母親も信じていること。

 

彼との出会いが私にも印象的でした。

 

ウッディーチキンという美容師さんの方々が来られている時でした、その場でいくつか

不思議なとこを経験しました。

 

理屈では、無理なとこは理解できます。

 

でも、彼らが希望を持っている間はそれを支えたいと思う気持ちがあります。

 

彼らの選択を尊重したいと。

だって、彼らの命ですから。

 

トントン君の魂にとって一番良い方向に進むように、と

お祈り、ご支援ありがとうございます!