今回の話は、私のお産の話。
モルジブでの2年の経験は強烈でした。
いろんな価値観がシャフルされて、日本の医療は確かに素晴らしいけど、
そこまでしなくってもいい、敢えて言うならしない方が良いこともあることを知ったこと。
『暴力なき出産・こどもは誕生を覚えている』、ルボワイエ、フレデリック著や、
『誕生を記憶するこどもたち』デービット・チェンバレン著などとモルジブ以前に出会っていたことも、
影響したと思います。
会陰消毒、呼吸法、浣腸、陣痛のために投薬、何にも行わない、
必要以上の明かりもいらない、何より不用意に誰かが入ってくる可能性もない、赤ちゃんを預けなくて良い、
これらを満たすお産は当時では難しく、じゃあモルジブのように自宅でお産しようとなった。
ただ、一緒に陣痛を看てくれる助産師の手配だけが上手くいきませんでした。
しょうがなく、夫と2人で産むことに。
(まあ、これが失敗でしたね、その話はまた別の機会に)
私は助産師ですから、陣痛中の赤ちゃんの心音管理もできると思っていたし、実際第1期の間はできました。
でも、やはり痛みがピークになると心音聴取どころじゃなくなった!、そこからの不安は半端なかったです。
「やってしまった!死んじゃったかも!!」
実は元気だったのですが、痛みが和らいでから心音を聞き取るまでの時間がなく、パニックに。
後悔しながらの第2期の恐ろしさ。
何とか無事に生まれてくれた長女は元気に泣きました。
モルジブの時の赤ちゃんたちは泣かなかったのに、
間違いなく、私の不安が彼女を不安にさせたのです。
「あーごめん、ごめん、大丈夫だよ、大丈夫」
赤ちゃんであってもきちんと伝えたらわかるはず。
この時点はすぐに泣き止んでくれたように思います。
ただ、まだ私が気が付いていなかった落とし穴がありました。
産後の片づけや食事、家事、ほとんどしてくれる人がいない・・・。
夫はいたけど、生まれたことに満足している様子で、出血の始末、お産で使った布団の始末の殆どは私がやる羽目に(やってと言えばよかったのでしょうが、言えない夫婦関係がありました。)
産後休まないといけないのに、夫は言わないと分からない人とその時点ではまだ気が付かず、自分が動かないといけない状態になっていました。
また頑張れば、何とか出来てしまうから余計に回復できませんでした。
モルジブでは家族が多く、この部分は十分に家族が支援していたのだと気が付きます。
普段と同じに動いて回復できるほどお産は簡単ではありませんでした。
これが出血が大量に続く、母乳不足を引き起こします。
母乳が足りないから、まあまあ長女が泣く泣く泣く、
抱っこしていたら泣き止むのですが、下に置くとすぐに目を覚まして泣く。
(母乳不足もあったでしょうが、お産の時に不安も、産後のリラックスできない状態も全部影響していたのだと思います)
常にお産の時から、理論的に頭で考える。産後も娘が泣くのは、母乳が足りないから、じゃあ、いくら飲めば泣き止むのか?どうすればもっと母乳が出るのか?
自身がリラックスできていないから、娘は常に不安だったのでしょうね。
そんなことに気が付けないほど、貧血が進み、めまいや立ち眩みを感じるように、そこでまたまた不安に!
身近な経験者や頼れる家族、客観的にアドバイスしてくれる人などに頼れたら良かったのですが、
自分で無介助でお産したんだから、今更頼れない!思い込みがありました。
反省をまとめます。
お産自体は正常に終了。
でも、常に考えているため私の母性本能は開かなかったのかも。
陣痛の間などは信頼できる助産師が控えてくれていたら、もっとリラックスできたはず、
産後も家事をしてくれる人がいたら、母乳不足、出血が続く状態にはならなかったはず。
安心できる、頼れる、リラックスできる場所で、
世話してくれる人の支援を受けていたモルジブのお産。
お産という現象だけを看ていて、全体を見れていなかった事実に気が付きます。
今更、昔の話を書いているのは、母性本能を開かせる方法があった!というヒントを不思議な産科医から頂いたから。
だから良ければ、お付き合いくださいね。