おうちごはんのご紹介の続きは、ごくふつうのウイークデイの夕食。

 

夕方の5時から「夜勤」の仕事があったので、その前に食べられる軽めのサパー。残り物のリサイクルで用意もささっと済ませました。盛り付けもあまりにいい加減で、ブログに載せるなら、もうちょっときれいに盛り付けたら?と広告関係の友人には言われそうですが、、、まさに普段着の夕食、ということで。

 

この日のメインはシュリンプ•ライス。以前にシアトルの北にあるネイティブ•アメリカンのテュラリップ族の居住地に取材に行き、フードトラックで食べたメニューです。

 

カジノをやめて、サーモンベイクといったネイティブの伝統料理も提供するフードトラックを始めたというGさんにインタビューしに行ったのですが、一番忙しい盛りの昼時に行ってしまったためトラックの中で待たされること延々。そのうちGさんが「待たせてごめんね」と鉄板で焼いたエビをご飯に乗せてご馳走してくれたシュリンプ•ライスがあまりにおいしさかったので、それから何度も真似して作っているのです。

 

Gさんは冷凍エビをそのまま鉄板に乗せていたけれど、うちでは酒か白ワインかけて解凍したエビをおフライパンでソテー。オリーブオイルは熱すると体によくないということなので、バターかギーかアボカドオイル。スパイスはその日の気分でサテ風にしたり、ケイジャン風にしたり。エビに火が通ったらさっと白ワインとお醤油をちょっとたらして、どんぶりに盛ったご飯やキヌアに載せて出来上がりです。

 

この日の副菜はバルサミックビネガーを垂らしたローストベジタブルと、またもやアジア食品のスーパーで大束で買ってしまった台湾産ほうれん草のおひたしに、梅や鰹節やごまが入ったふりかけのトッピング。お椀に入っているのはお味噌汁ではなく、ローストチキンの骨まわりをダシ代わりに入れて作り置きしておいたベジタブルスープ。

小皿の野菜は、日本で買った発酵ぬか床で作った糠味噌漬けの試作品。パックからダシてそのまま容器に入れただけできゅうりなど数時間で漬かる優れ物でしたが、そのうち米ぬかを足す必要がありそうだけど、そんなもの米国で買えるのか、、、

 

まるごとのローストチキンはアメリカのスーパーではどこでも売っている、そのまま食べられるデリ•メニュー。コスコ(日本ではコストコと呼ばれてる)のローストチキンは薬品臭がすると不評なので買いませんが、ホールフーズなどにはオーガニックも売っているので、忙しいときには、ついつい手がのびてしまいます。以前はアランとふたりで一食でほぼ食べきったりしていましたが、最近は少食を心がけているので、一晩めは、そのまま食べて、あとは使いまわし。玉ねぎとピーマン炒めたのに足してサルサで味つけすればメキシコ料理のファヒータになるし、チャイニーズ風のチキン&野菜の炒め物にしたり。最後の骨まわりはそのまま鍋に放り込めばスープのよいダシになるわけです。

 

さて、私の「夜勤」について。ひょんなことから始めた仕事で、思いがけず、よい気づきを得た話をシェアしておきます。

 

私の「夜勤」とは、シアトルのそばを本拠とする米某IT大手がトレーナー認定試験の教材として提供しているビデオの日本語版制作のスタジオ録音のPA。そのビデオ制作のプロデューサになった友人に、日本語の分かるPAで夜(日本時間の日中終日)リモートで働ける人、誰か知らない?と聞かれたのはコロナ蔓延で家から出られなくなっていた頃。紹介できるバイリンガルに心あたりがなかったし、ちょうどコロナ下で夜外出することもなく、無料でビジネスアプリの講習受けるようなもので面白いかも、と引き受けて以来、年に何回か、スケジュールがあうときには引き受けている仕事です。

 

日本人のトレーナーがビデオを見ながら日本語でナレーションを録音するのを言い間違えなどがないか監修しながら、タイムコードを記録し、英語で指示するプロデューサーとのコミュニケーションをアシストするのがPAの役目。制作会社と私は米国、録画スタジオは中国、ナレーターは日本という3拠点のリモートワークです。

 

私はこれまでジャーナリスト、著作、ビデオ制作、コピーライティング、トラウマ解消や気功、瞑想、能力開発のトレーニングなどなど多分野で仕事をしてきましたが、考えてみればとても幸運なことに、そのすべてが自分のやりたいこと、つまり趣味と実益を兼ねたものでした。

 

一方、このPAの夜勤は、蓋をあけてみたら録音するアプリケーションのハウツーはテクニカル過ぎて私にちんぷんかんぷんでITのお勉強にはならないし、しっかり監修しながらタイムコード記録するには集中力も必要で、夜中まで付き合っているのは楽しいとはいえませんでした。それでも、米国の表現では「Pay the rent」、つまり生活費の足しにはなるから、と、しかし、「それにしても、なぜ、私が、こんなことしているのだろう?」とも自問しながら続けてきたのですが、つい先日、突然、この仕事に「やりがい」と使命感を見出してしまったのです。

 

 

その夜の録音のナレーターは、ライブのトレーニングには慣れているのの、ナレーションの収録は初めてというトレーナーさん。スタッフが現場にいない慣れない録音でもあり緊張しきって、最初のビデオの収録は、いい間違えだらけで何度も録音し直しになりました。

 

これは長丁場になるな、と覚悟しつつ、緊張しきっているトレーナーさんが気の毒になって、「このトレーニングビデオはライブ感があった方が見ている方にとって好ましいので、いつもライブでトレーニングなさるときのように、少しぐらいの言い間違えはその場で訂正して、そのまま続けてくださった結構なんですよ、完璧である必要は全然ないんです」とアドバイスしたのです。

 

そうしたら、そのひとことが、まさに鶴の一声。トレーナーさんは自己呪縛から開放されたようで、その後は別人のように素晴らしいパフォーマンスを見せてくださり、録音はスイスイ進み、プロデューサーも私もびっくり。終わった後に、ナレーターさんからも、アドバイスしていただいたお陰で助かりました、と感謝されました。

 

というわけで、何の興味も意欲もなかったスタジオPAも、私の意識の向け方次第で、人のウエルネスや潜在能力開発をお手伝いする、という私の本職の一環にでき、私にとっても学びの大きい楽しい時間になるのだ、と気づいたのです。

 

そう考えていくと、レストランのウエイトレスの使命も実は料理を運ぶことではなく、笑顔でお客さんのいち日を明るくすることかもしれないし。ハリウッドのスターのなかにも無名時代にはウエイターで食いつないでいた人が多いですが、本人は家賃稼ぎのつもりでも、それが人間観察や接客の良い訓練になっているのでしょうし。

 

皆さんのなかにも、ご自分の夢や希望とは異なるお仕事でやりがいを見いだせていない方もいらっしゃるでしょうが、もしかしたら、天が与えてくれた仕事は職場の肩書とは別のところにあるのかも!視野を広げて、自分はここでどんな貢献をしているのだろう、と考え直してみると、意外な発見があるかもしれません。