朝日新聞「逆風満帆」(上) | 北川悦吏子オフィシャルブログ「でんごんばん」Powered by Ameba

朝日新聞「逆風満帆」(上)

この度、朝日新聞・土曜版『be』の人気連載「逆風満帆」のコーナーにて

北川が特集されました。


当該記事を朝日新聞様のご厚意により当ブログにも掲載させていただけることとなりました。

まずは、11月23日掲載の第1回(上)の記事からお送りいたします。



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第1回(上)・『「恋愛ドラマの神様」の闘病』



バレエのチュチュを思わせるふんわりとしたスカートから、深緑のブーツがのぞく。12日、東京都内のホテルの貴賓室で、北川悦吏子(51)はやわらかなライトを浴びながら、ソファに身を預けていた。傍らでほほ笑むのは俳優の成宮寛貴(31)。女性誌『DRESS』で連載している北川の対談企画「恋愛塾」の撮影だ。


 この日のゲスト、成宮とは2004年に脚本を手がけた「オレンジデイズ」以来のつきあい。「何げない言葉にリアリティーがあって、いいセリフ、いっぱいもらった。身を削って仕事をしている人なんだ、とあのとき知った」という成宮に、「そういう風にしかできないから、量産できない。でも、納得いくものを作りたい」と返す。「体が弱いからでもあるけれど、これからも自分の色でやっていきたい」と、脚本家としての20年余りの道程を確かめるように語った。


 テレビドラマの黄金期といわれる1990年代、北川はヒットを連発し、「恋愛ドラマの神様」の異名をとった。

 最初に注目を集めたのは、91年にフジテレビ系で放映された「世にも奇妙な物語」の「ズンドコベロンチョ」。草刈正雄扮するエリート会社員が窮地に陥るエッジの利いた話だった。早稲田大学卒業後、広告代理店を経てにっかつ撮影所に入った北川は、ドラマの企画をテレビ局に提案しつつ脚本も手がけ始めていた。

 翌92年、フジテレビ系の「月9」枠で準備を進めていた脚本家が行き詰まり、北川に白羽の矢が立った。企画プロデューサーの山田良明(66)は自宅のファクスに送られてきたプロットの面白さに驚き、脚本は北川でいく、と即決した。

 中森明菜演じる破天荒なダンサーの卵が、安田成美扮する内向きな司書を揺さぶり、互いに夢をかなえていく。女の友情を描いた「素顔のままで」は、最終回に視聴率31・9%を記録、北川はメジャーへの階段を駆け上った。いまは共同テレビジョン社長を務める山田は、「脚本家のタイプは、ストーリー展開がうまい人とセリフがいい人とに分かれるが、北川さんは兼ね備えていた」と振り返る。


 ろうあの画家を演じた豊川悦司の手話が強い印象を残した「愛していると言ってくれ」のプロデューサー、TBSの貴島誠一郎・制作局担当局長(56)は、「登場人物がいくつになっても少年少女の気持ちを持ち続けているところが、北川作品のいいところ。イタコのように、セリフが降りてくる人だ」と評する。

 石田ひかり、筒井道隆、木村拓哉、鈴木杏樹、西島秀俊が織りなす「あすなろ白書」、木村拓哉と山口智子が主役を演じた「ロングバケーション」でプロデューサーとして組んだフジテレビ社長の亀山千広(57)は、電話でやりとりを続けるうちに、白々と夜が明けていったことを覚えている。互いの経験や価値観をぶつけあい、物語を膨らませていった。「ロンバケを超えるラブストーリーは、自分にはもう作れないと思った」と制作の現場を離れたいま、打ち明ける。



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この日のネイルは洋服に合わせたブルーとイエローのコンビ。

おしゃれすることで気持ちをあげる=東京都港区、小林修撮影

©朝日新聞社


薬袋の裏に書き留めた言葉

 00年にTBS系で放映された「ビューティフルライフ」は最終回に41・3%の視聴率をたたき出し、この秋、同局系の「半沢直樹」に記録を塗り替えられるまで、平成民放ドラマのトップを保ち続けた。難病に侵され、車いすで生活する図書館司書・杏子とトップスタイリストをめざす美容師・柊二のラブストーリー。常盤貴子と木村拓哉が主役の2人を演じ、の主題歌が流れた。

 「印象深かったのは杏子の描き方」と、『五体不満足』を出版してまもなかった作家の乙武洋匡(37)は振り返る。それまで「障害者」は、けなげな存在として描かれることが多かった。杏子は、手動装置のついた自家用車のハンドルを巧みにさばいて通勤。鼻っ柱が強く、憎まれ口をたたく姿が新鮮だった。

 物理的にも心理的にもバリアフリーを進めた作品は、向田邦子賞、橋田賞をダブル受賞する一方、「お涙ちょうだいの難病ものでキムタクなら視聴率は取れて当然」といったバッシングにも遭った。


 当時は公表されなかったが、ちょうどその頃、北川自身が難病を発症していた。制作が決まった矢先、強い痛みに襲われ入院。「あなたとのしあわせな、いくつもの出来事が、今の苦しみに負けないように……」という杏子のセリフは、薬袋の裏に書き留めた言葉だ。華やかな成功の陰で、10年に及ぶ闘病生活が始まった。=敬称略


(佐々波幸子)