支援センターを訪ねることに決めた私。
最初は、「患者会の情報がほしい」と切り出し、、
資料をもらったとき、話をきいてほしい旨を伝えたら、面談室に通されました。
(ここから先の文章はかなりまとまっていません。。。)
◆子宮頸がんになったこと、同居の親から白い目で見られてツライ。
特に、母親に言われて驚いた台詞がありました。
退院後、中学校時代の同級生とメールをやりとりして、仕事復帰前にランチにいくことになったことを、
さらりと親に言ったときのこと。
私「明日○○ちゃんとお昼食べにいくことになった♪」
母「(怪訝な顔)・・・お母さんは、病気のことを兄姉や親(=私からみて伯父・伯母・祖母)、誰にも話してないよ?
噂はアッと拡がるんだから。」
・・・。噂が拡がるとか、、まるで私が犯罪でもやったような言い方で。。
親子仲がよくないとはいえ、それは本人に直接言う台詞じゃないだろうと。。。。
心底驚いたし、ショックを受けました。
ただでさえ、性に関する病気が親に知られてしまってバツが悪いというのに。。
上の台詞以外にも、排尿について訊かれたりとか、、非常にデリカシーのない母親に非常に不信感を抱いている。
◆上記のこと以前に、はやく家を出たいと思っているところに病気をして、恥ずかしながら金銭面が厳しく、ジレンマであること⇔転職できればいいが病気のことが足枷のように感じる思い込み
◆入院・治療中は「がん」は普通のことだった。周りの患者はみながんに関する病気だし、看護師や医師がサポートしてくれたから。
だけど退院して、通院治療も終わったら急に、「がん」が「何か特別なもの」と感じてきて、居づらくなってきたこと
。孤独感というか、孤立感?みたいなものがある。
◆排尿障害がとてもツライこと。カテーテル無しで出来ないことはないが、出にくい。時間がかかる。出し切れないこともある。とても落ち込む。つらい。
◆放射線治療に毎日通院したことが、私にとってとても大変だったこと。
自分のための治療とは思えず、周りを固められたから、イヤイヤ治療を受けてつらかった。
具体的には、
・仕事をしながら治療することを主治医に泣いて頼んで仕事復帰の許可を貰った
・放射線治療の時間帯を夕方に予約を入れてもらった(仕事早退で通えるように)
・職場に、毎日早退して治療に行くこと、スケジュールの許可を貰った
これらのことが「周りを固められて、通院するしかなかった」。
◆Ⅲb期とはいえ、手術で原発巣は取り除き、再発予防の放射線治療まで終わらせたのだから、
もう「患者」ではなく、「元患者」でいいのでは?
◆上記のこと等悶々と悩んでいたりして、無駄な労力に感じる。ほかの患者さんはどうやって過ごしているのか。
◆支援センターに相談するにも、そもそもコレは相談なのか?考えがまとまらないし、どう相談したらいいのか?何を求めるのか?と、そこから悩んだこと。。
文章がまとめられずに箇条書きにしましたが、以上のようなことを支援センターの保健師さんに話しました。
・・・8割がた、「愚痴」だったと思います。。。ほんと、こんなこと人に話しても仕方ないでしょ?ってことばかり。。←これも言いました。
そしたら、保健師さんの名言(私的に)
「相談というのは、何かを得よう、よくするためものだけのじゃなく、
今いる場所を話して、今の自分でOKだよと思えるための相談というのもアリなのよ。」
「家を出ることは長期的な目標にして、今は準備中、パワーを蓄える時期でいいとおもう。」
相談に行ってよかったです。
保健師さん、ありがとうございました。