以下、広辞苑より引用
性善説【せいぜんせつ】
人間の本性は善であり仁・義を先天的に具有すると考え、
それに基づく道徳による政治を主張した孟子(もうし)の説。
性悪説【せいあくせつ】
荀子(じゅんし)の性説。人間の本性は悪であるとして、礼法による秩序維持を重んじた。
とまあこのように辞書には記載されております。高校の倫理でも習いましたよね?
この二つは中国の戦国時代において説かれた有名な対立概念ですね。
この説明の中に、意外と難しい言葉があって、分かったようで分からない、というのが私の感想。
専門用語を、専門用語で解説されても、分からないのであーる!
何が分からないのかというと、「仁・義・礼とは何か?」ということである。
というわけで、もう一度広辞苑の出番だ。さあ、教えてくれ。
仁とはすなわち、思いやりのことである。
義とはすなわち、人間の行うべき筋道のことである。
礼とはすなわち、社会の秩序を保つための生活規範のことである。
今、あなたは誰かを信じる事ができるだろうか?
誰かを思いやれることができるだろうか?
性善説と性悪説、どちらが正しいように感じるだろうか?
この2つの概念は、しろくろはっきりつけ過ぎな感はあるあるが、どちらもが正しいと言えると思う。
一人の人間が完全な善人であるなんてことはない訳で、間違いも犯すことだろう。
要は、程度問題な気がする。だが、私は、それでもなお、
それなりに交流を深めた人のことは善人であると信じたいと未だに願うのである。。
ま、この対極論の行く末は、中国において性善説だけが普及するというオチなのですが、
性悪説って、「自分はクズだ」って認めるようなもんでもあるから、受け入れられなかったのかも。
性悪説が受け入れられなかった他の理由として、
「良い信頼関係」があってこそ、本当に良い社会になると、皆が薄々気付いていたのかもしれない。
規律だけで人を縛れば、例外が出てきた時、というか例外は頻繁に起こってるはずだよね、
その時に対応しきれない。
「規律には、そのようなことは書いてありません」なんてことになりかねない。
だから、やはり内なる善に基づく行動を心掛けたいのだと思う今日この頃。