胸懐 ―第五章(最終章)・幸福― | えりっき脳内議事録(えり丸)

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Diary and memo written by a pathologist.

32歳現在のTAKUROが行き着いた、「幸福とは何か」の答えの様なことが書いてある最終章。

思うに、大抵の人は30歳前後に、この様な結論にたどり着くかと思われる。

そう想像して、読んでみました。


彼の言いたいこととはつまり、

幸福≒愛であり、愛の連鎖が、世界の平和をもたらすのだろうということ。

音楽は、一人ひとりの心にしか影響を与えないものだけれど、

それと同時に、大きな可能性も秘めているということ、この二点に集約されるだろう。


本当に周りをハッピーにしているか、自分が幸せかを考える。

それがなにより大切だと思うのだ。



生きていくことは、愛すること、愛されること。

僕が歌にしたいのは、つまりそういうことなんじゃないか。


愛だけが、人と人をつなぐ懸け橋になる。



「知ったことか」と、「くだらない」という言葉は、

投げやりに聞こえるかもしれないけれど、僕の好きな言葉だ。


人間一人にできることは限られている。

できるところまではやるけれど、それ以上は、「知ったことか」でいいと思う。

というより、現実にはどうあがいたってそれ以上のことはできないじゃないか。


20代後半にもなれば、自分の生き方が固まってくる。

自分になにができて、なにができないかがはっきり見えてきた時に、

バンドという共同作業なんかやってられないという気分になることだってあるだろう。

無邪気に夢見ていた成功という栄光の陰に、

どんな生々しい現実があるかを知った後ではなおさら。


僕はリアリストだと思う。

世界の現実(貧困や紛争など)に触れても、世界を変えられない自分を、

不甲斐ないとか情けないとか思うことはない。

音楽で世界を変えられるなんて、思っているわけでもない。

だからといって、何もできないわけではない。

なかには、少しだけでも、影響を与え、変える事ができる。

その積み重ねの上に、未来はあるのであって、

そのつながりの先で世界は変わるかもしれない。

その可能性だけは信じていたいと思う。


僕たちは結局、音楽の奇跡を信じている。

GLAYだって、その奇跡に他ならないのだから。

そうでないというなら、このことはどうやって説明すればいいのだろう。


現実への影響力の儚さを知った上で、音楽の奇跡を信じている。

永遠なんてない、でも永遠を願う心は永遠だろう。

奇跡なんて起こらないかもしれない、でも、その可能性を信じていたい。

つまりそれは、現実を見据える大人であり、夢を描く子供であること、

そう、TAKUROが教えてくれたように思う。


30になるまでに、悩み、考え、思いやり、充実した人間になれますように。


―fin―