幸せの定義~Definition of happiness~ | えりっき脳内議事録(えり丸)

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Diary and memo written by a pathologist.

時間があったので、幸せの正体数学的に考えてみました。


まず、幸せには、場合分けが必要なようです。


 i) 絶対的幸福(主観的幸福とも)

 ii) 相対的幸福


場合i)の絶対的な幸福とは、自分自身が現在の自分の置かれている状況を、幸福と感じるかどうか、である。アフリカの貧困層の方々は、我々の目から見ても不幸に見えるが、かといって、そのことと自分自身の幸福とは関係性は見いだせない、という意味である。言葉を変えるなら、人間にはそれぞれの社会的経済的そのた諸々の因子のレベルに応じた幸せの感じ方、幸せを求める心理が働いているのではないか、という持論です。次に、場合ii)の相対的幸福とは、お察しの通り、他人と比べて自分は優れているか、あるいは劣っているか、という見方である。これは、アフリカの貧困層の方々とくらべて、日本人は幸福だと思うことが、例として挙げられる。また、身近な例では、大学受験で、受験に失敗した友人と、難関を突破した自分がいたとすれば、相対的に幸福を感じてしまうだろう。

 

場合分けが済んだので、ここから、定義を考えていきましょう。


 i) 絶対的幸福において

  f'(x)>0のとき、幸せ、

  f'(x)<0のとき、不幸せ、

  f'(x)=0のとき、分岐点。また、f'(x)=0が持続する場合は、不幸せ


ここで、f(x)という関数が突如として出現しました。

f(x)は、ある個人の幸福度を表すグラフであり、変数xは、さらに、x1, x2, ・・・と様々な因子に分けられる。ここで、x1=社会的地位,x2=愛情,x3=金銭的余裕,x4=交友関係,x5=仕事関係・・・という風に、定義されるとしましょう。ある人のf(x)はx1に重きが置かれているかもしれませんが、また別の人はx2に重きが置かれているかもしれません。f(x)の関数の各ファクターにかかる係数は人それぞれですが、その人独自の係数として、つまり価値観の違いとして表わされる。そして、この関数は、時間tとも関連し、tで微分した時のf'(x)[←誤表記ですが・・・]が絶対的幸福を定義します。つまり、自分の幸福関数f(x)が増加しているならば幸福、f(x)が減少しているなら不幸(とは言わないまでも、満たされない状況)であるということです。しかし、稀に、f'(x)=0が持続する状態がある。金持ちの人間が、何故だか満たされないと感じる場合など、だ。要するに、ヒトというのは現状維持だけでは飽き足らず、常にf'(x)>0の状態を求め続ける習性がある生き物なんだと思う。ここで、思うのだが、xの様々な因子の中で、社会的地位(x1)や、金銭的余裕(x3)といったものが常に上昇し続けるというのはなかなか難しいことで、どうしても途中で頭打ちになってしまう。そこで、私は、これらの因子は現状維持をしつつ」、時折プラス因子として働くという状態を基本にして、愛情(x2)というような因子によりf'(x)>0を維持するのが望ましいと考えます。それは、世間で言う、「小さな幸せ」と呼ばれるものかもしれません。でも、「最も長続きする幸せ」であるとも思います。


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 ii) 相対的幸福において

  f(x)>g(x)のとき、F君の方が幸せ

  f(x)<g(x)のとき、G君の方が幸せ

  f(x)=g(x)のとき、イーブン(引き分け)


ここで、f(x)はF君の幸せ時系列グラフで、g(x)はG君の幸せ時系列グラフです。こちらの方が、イメージつかみやすいかと思います。アフリカの飢饉に苦しむ子どもと今のあなたは、どちらが幸せかな?心臓病で外出できない子どもと、元気に外を歩き回れる子は、どちらがしあわせかな?極端に言うと、そういう問題です。もっと身近な所に目を向けてみましょう。F君とG君は同じ大学の同期で、同じ会社に就職しましたとさ。F君とG君は長い間、親友関係を続けていたけれど、5年がたったある日、F君だけ昇進しました。それだけで親友関係が崩れるとは思いませんが、G君はf(x)>g(x)を感じてしまい、相対的に不幸を感じました、なんていう例えね。ジェラシーとか、隣の芝は青く見えるとか、そういう状況かな。これで、f(x)とg(x)の不等号が微妙な均衡を保ちつつも、不等号の向きが激しく入れ替わるなら、そりゃもう大変。お互いがお互いをライバルと感じるのではないかと思います。自分の絶対的幸福を忘れがちな時に陥りやすい状況かと思います。


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結論。絶対的幸福とは、微分です。