強く しなやかに 美しく

美人軸で生きるためのブログ

 

 

 

主張と表現は似て非なる

 

世界で起っているいろいろな出来事

そして日本で起こる出来事、

今、日本の集合意識が

「嫉妬や無力感や恐れ」を

多く含んでいるように感じます。

 

昨日のブログ記事で書いた

「ファッションフリークショー」の観覧で

 

本当の美しさとは「真の自分を表現すること」にある

と改めた感じたことに含め

 

 

自己表現と、自己主張とは

似ているようで、真逆であることを感じ

 

その大きくもシンプルな違いを

記事にしてみました。




 

あなたは、自己表現をしていますか?

それとも、自己主張をすることが多いですか?

 

 

あなたはどっち?自己主張する人と、
自己表現する人の「大きくもシンプルな違い」


 

 

わたしは回りくどいことは

好きではないので

 

先にズバッと結論から言ってしまいます♡

 

 

自己主張する人と

自己表現する人

 

自己表現を自己主張だと

勘違いしている人

(わたしは前そうだった)

 

同じ自己

でも

主張と表現との大きくも

シンプルな違い

 

それは

 

 

そこに執着があるかないか

 

ということ

 

 

そしてもう一つある♡

それは記事の最後で

 

 

自己主張とは

簡単にいえば

 

「自分の言い分」

のこと

 

自分の言い分を通そうとする姿勢

 

一方自己表現とは

いわば

 

「自分の在り方」

のこと

 

自分の在り方を表現する姿勢

 

そして、ここに紐づいている意図には

大きな違いがある

わたしは思ってます

 

まず自己主張が

「結果に期待を置いている」

のに対して

 

 

一方

自己表現は

「結果に期待を置かない」

もの。

 

かみ砕いていうなら

 

自己主張は

 

「自分の主張をしなければ〇〇になってしまいかねない」

という恐れをベースにしていたり

主張することによって〇〇を得たいのように

 

 

結果に期待を置いている

結果を目的にした行動

 

・こうなって欲しい!

・こうなって欲しくない!

・言い分を通すことによって

○○な状態を得たい

・○○を失う状態を避けたい

・損をしたくない!

・得をしたい!

という

外側の状況をコントロールしたい!

という意図が強く表れた姿勢

 

その「結果」にならなければならない!

という執着

注意そうならないことへの恐れ注意

(※ここが一番無自覚なネック部分)


が強く表れているもの
 

自己主張の裏には必ず

なにかしらの「恐れ・不安・不信」

がひっついています

 

 

例えば仕事の同僚で

仕事をやたらと押し付けてきて

自分はその手柄を総取りする人がいるとして

自分ばかりが仕事をしていて

その評価は持っていかれる

 

そこでその同僚に

「わたしばっかりに押し付けて」と

悶々して「言ってやろうかしら!」

と企てたり・・・

 

 

例えば、夫やパートナーと

「私ばかり家事をしていて!

あなたは何もやってくれないじゃない!」

と主張して詰めよるとか

というシチュエーションも

 

あるいは、上記のような状況で

「我慢して仕方なく受け入れる」

という選択がいつも自分にとっての

有効手段である場合

 

どちらの場合も

根本は同じ

 

なぜなら、「我慢して受け入れる」

ことを「損なこと」

自分は損な役回り、損な立場を

いつも強いられる!

という思い込みを強め

 

それが外側に自己主張というかたちで

反応として出すか

 

内側に向けた自己卑下という形で

反応しているか

 

という方向性の違いがあるだけ。

根本は同じ

 

 

「我慢して損な思いするのはイヤ」

という恐れや不信が極まった

!!自己主張!!

という方向性に振り切る

ということも良くある話

 

自分の主張を通さなければ

自分は「損な立場を強いられる!」

 

という

 

 

恐れをもとにした行動が

「自己主張」

なのではないかと思います。

 

自己主張とは

自分の正しさや結果への執着

 

 

一方

自己表現

「結果に期待を置かない」

もの。

 

自己表現とは

自分の在り方の示す姿勢

 

 表現とは素直な真なる自分

表すことで完結するもの

 

 

自己表現とは

何かを得るためや

何かを失わないためや

正しさや結果への期待を伴わない

 

意図を伴わない

自分の姿を現す純粋な行動

 

自分の姿を現す行動によって

何かを得ることに固執していないため

 

純粋な自他愛のみからなる行動

なのではないかと思います。

 


人間が自己主張する理由


 

世界の争いを見て

「戦争はダメだ!」と言うけれど

そもそもとして、全ての争いは

「自分の正しさへの執着による主張」

「主張しなければ存在が脅かされる」

という恐れからきています。

 

主張とは「受け入れて欲しい!」

「認めて欲しい!!」という欲求でもあり

かつ、裏を返すと

「それが手に入らないことへの恐れ」

でもあります。

 

人間が自己主張するのは

あるメカニズムを経たことが原因です。

 

それは「何も自分で出来ない赤ん坊」のころ

「泣く」ことによって自分の快を得たり

不快を取り除いてもらえる

ということを学習したから

これについて詳しく書かれた書籍があります

詳細はブログ最後

 

 

主張をしない限り自分の存在・生命が

脅かされるという不安

に無自覚に駆られている人が

主張しあって争うのは

 

例えるならば

赤ん坊と赤ん坊が向き合って

お腹がすいたと言って

泣きわめき合っているのと同じこと

 

お腹がすいたといくら主張しても

相手も赤ちゃんだと

こちらの望みを叶える義務もなければ

叶えられるわけもない

にもかかわらずお腹がすいたんだという

主張を延々と繰り返し合っているのと同じ

 

こうしてみるとちょっと

漫才かな???と思いませんか??www

 

 

 

でもわたしたちはもう

 

「何も出来ない無力な赤ん坊」

ではない

 

わたしたちは

「無力である」

という思い込みからなる

恐れ・不信・不安

によった行動から

 

もう卒業できる力がある

 

 


自己表現へのステップ


 

自己主張とは恐れをベースにした反応

 

自己表現とは愛をベースにし

外側の結果への期待や執着をもたない

純粋な意図の現れであり

表現したことのみで完結するもの

 

 

 

先日のファッションフリークショーも

そうでした。

 

確かに!ファッションそのものの

主張は激しめ!!w

けれど、それは

「この素晴らしさを認めろ!」

「これが美というものだと分からせてやる」

「ジェンダーレスだから何だっていうんだ」

「文句あるのかこの野郎!」ww

みたいなニュアンスなんて一切なくて

 

 

わたしはわたしの信じること

大事にしていること、感じることを

素直にただ表現します

 

それをどのようにみんなが

受け取り捉えるかは

みんな次第

 

素晴らしいと思ってくれる人も

最悪だと思う人も

無条件にみんな素晴らしいから

それでOK

 

 

このスタンスに人がたち

自他愛による純粋な自己表現を

お互いに共有しあうためには

ある段階に自分を引き上げることが

必須だとわたしは感じています

それは

 

たとえ否定されても

自分の存在が脅かされることなどない

 

なぜなら

自分は「自分への愛によって」

ちゃんと守られているし

その愛によって、

否定する人さえも尊重する力が

わたしには在ると

わたしは知っているから

 

自分を知り、自分を真から愛し

表現することへの不信や不安や恐れを

脱却していくこと

 

 

 

自己主張と自己表現の違い

それは

そこに執着があるかないか

そして

 

 

恐れをベースにしているか

愛をベースにしているか

 

という違い

 

 

あなたはどちらでしたか???♡

 

そして、

どちらをベースに

人生を駆動させていきたいのですか?

 

どちらを生き方の燃料・エネルギーとして

生きていきたいのですか???

 

 

あなたは、

自己主張をするタイプ

自己表現するタイプ

どちらでしたか?

 

もし、自己主張をしているタイプだとしたら

 

「何を恐れている」のでしょうか?

 

そして、愛をベースにした自己表現を

したいのであれば

 

「何を信じ直す必要があり」

「それをどのように表現することに心が躍りますか?」

 

 

と聞いてみてください♡

 

 

♡おまけ♡

ブログ記事内で紹介した書籍

天外伺朗先生の書籍

 

 

 

クリスタル塾


 



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自分を丸ごと愛して

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そんな女性の参加を

いつでも歓迎しています♡