ごきげんさまです。
断捨離トレーナー講習生のエリカです
今日も、ご訪問、ありがとうございます。
昨夕、富士山麓で開催された、「癒しの心得」
プロジェクトから帰宅しました。
(「癒しの心得」プロジェクトについてはコチラをご参照
ください)
このプロジェクトに参加した正直な感想を、
誤解を恐れずに一言で言うなら、
本物に出会ってしまった。
プログラムは、夜の講話、朝の散歩、朝の
ミーティング、その間にフリータイムという構成。
足掛け3日、正味2日間の日程です。
初日の夜の講話より。左から、山本竜隆先生、編集者の熊谷満氏、上野圭一先生、この企画をプロデュースされた、おのころ心平先生(自然治癒力学校理事長)。
二日目の朝の散歩の後、朝のミーティングの
時間です。
(おのころ先生)
「何か、質問したいことがある人はどうぞ」
私は自宅を離れて滞在すると、旅先で、
いつもお腹が張って、不快感を味わいます。
今朝、静養園周辺を散歩している間、その
不快感がなくなりました。しかし、宿に帰って
きたら再びその不快感を感じました。
私は、いま、自分のカラダで起きている
ことを率直に聞いてみようと思いました。
(私、上記を説明した後)
「これはどういうことなのでしょうか?」
(上野先生)
「私はそのようなことはありません」
上野先生のシンプルなお答えに、話がつづきません
あれ~、私、最初の質問、外したかしら~
次に、看護師である別の参加者が質問しました。
その方は、なぜ、「臓に落ちる」と言わずに、
「腑に落ちる」と表現するのか?
長年、疑問だったそうです。
その質問に対して、上野先生は、
「腑にストンと落ちたら、それを出さなければなりません。
臓に落ちるとそこに溜ってしまいます。」
参加者一同、これには合点、納得です。
私は、断捨離と結びつけて考えてしまいます。
(私、心の声)
「やはり、入ってきたら、出さないといけないのね。
どんな物でも、溜め込むのはよくないのだわ~。」
注:五臓六腑とは、以下のことを指すようです。
参照:コトバンク
次の参加者は、「癒される」という表現に、
違和感を持つ、と投げかけました。
上野先生は、同感だ、とおっしゃいました。
(上野先生)
癒すというのは、もともとは、
「癒う」という動詞。そして、能動態である。
例えば、足の裏の切り口から入った小石。
それを取り除いたら、一気に快復した。
「つまり」を取ることが快復につながる。
「癒し」という名詞は本来はない。
名詞は死んでいます。
(私、心の声)
なるほど! 「つまりを取る」ことが大事。
これも、断捨離の教えと共通するなぁ・・・。
まだまだ、学んだことはつきませんが、
長くなりましたので、
今日は、この辺でおわります。
今日も最後までおつきあいくださり、
ありがとうございます。
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