20代後半で急性リンパ性白血病になるまでの振り返りを綴っています。

偏見もはいってますし口も悪く悪態つくこともありますが、何卒お許しください🙇‍♀️🙇‍♀️

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↑旅行から帰ってきた日の夜

家で休んでいると、姉が心配して様子を見に来ました。

私さと福はソファにもたれかかって休んでました。

 

さと福

「なんかきつくて、、、。

 明日病院行くわ。」

 

さと福姉

「とりあえず、明日はお母さんに車で

 病院に連れて行ってもらいなよ」

 

さと福

「わかった。

 あー注射1本で治りますように」

 

さと福姉

絶対注射1本じゃ治らんやろ!w」

 

 

姉の言う通り、注射じゃ治らなかったです😭笑

 

 

 

 

 

翌日朝母が迎えに来ました。

私の家にどたどたとあがってきて色々言ってました。

 

さと福母

「イチゴ買ってきたよ!体にいいと思って。

 あと酸素吸入缶と、、」

 

さと福

「今ははいらないからいいかな。

 (それどころじゃねぇ笑)

 それよりも、歩くのしんどいからマンションの

 下に車つけてほしい」

 

 

後に母は、、毛布にくるまってぐったりしている私を見て

”まさかこんなにひどくなっているとは思わなかったからびっくりした”

と言っていた。

 

寒くて、病院までの車の中でも毛布にくるまっていた。

 

 

 

(この先は記憶があやふやでどの順番か覚えていない。)

 

病院に着いて受付で色々と済ませた。

(この時紹介状も出したと思うが覚えていない)

 

血液内科を案内され向かった。

 

母に支えられながら歩く私を見て

看護師さんは車いすに座るように促した。

 

車椅子なんて大げさなw

なんて笑ったが、母はとにかく乗りなさいと言った。

 

 

血液内科に着くと

ベッドに寝かされて採血をした。

 

 

そうこうするうちに医者がすっ飛んできた。

 

医者

「ちょっとどんな状況か教えてくれるかな?」

 

私はこれまでのいきさつを話した。

 

医者

「骨髄検査が必要そうなのよ。

 人によっては痛いけどすぐ終わるようにするからね」

 

そう言われて、しゅばばばっと用意が始まった。

 

あれよあれよと私はうつ伏せにされて、半ケツ状態にされた。

(この時は20代、ちょっと恥ずかしかったw)

 

消毒、表面麻酔後に浸潤麻酔、骨髄を針で刺された。

 

私さと福

「いった~~い!!😭😭😭😭」

 

医者

「思った以上に骨が硬いね。」

 

よいしょよいしょと医者は腰の骨をごりごりとすすめていった。

 

 

 

参照  国立がんセンター

 

 

骨髄を取った後止血のために、腰にガーゼをあてて30分ほど仰向けに寝かされた。

 

 

再度医者がやってきてもう1度今までのいきさつを教えてほしいと言ってきた。

 

 

 

私さと福は、

なんなんだろう、もうなんだよ!

とちょっとイライラしていた。

 

私さと福

「あの、なんなんですか?

 自分の体なのでやっぱりわかっていることは教えて ほしいです。

 何の病気ですか?」

 

医者

急性リンパ性白血病

 

私さと福

え?

右目から涙がこぼれ出た。

 

 

 

いや、は?

 

え?

 

 

なんか現実味がない…

 

 

母も、医者の言葉を聞いた瞬間泣き出した。

 

 

医者

「とにかく、詳しい検査の結果が出るまでもう少し休んで待っていて」

 

カーテンを閉められて、ベッドで横になっていたが

何も考えられなかった。

 

さと福母

「お父さんに連絡しよう?ね?伝えないと」

 

そんなこと言われても正直何も考えられなかった。

 

がんって、個室で重々しい雰囲気で告知されたりしますよね?

わたしさと福は外来のベッドで

ささっと言われました😂👍

 

 

 

 

検査後しばらく寝て、泣きながら目を覚ますと、横を見たら涙をぬぐう父が座っていた。

 

私さと福

「あれ、どうしたの、仕事は?大丈夫?」

 

さと福父

「ばか!仕事どころかっ」

 

父はハンカチで涙を拭いた。 

 

あぁ、男の人も涙を流すんだよね。

バカなさと福はぼんやりと思った。

 

再度医者がやってきた。

 

医者

「やっぱりね、ほぼ急性リンパ性白血病でまちがいないね」

 

私さと福

「5年生存率は?」

 

医者

「40パーセント」

 

※5年生存率とは、、

5年生存率は、がんと診断された患者さんのうち、診断から5年後に生存が確認できた割合。

 

両親がやり取りをあわてて止めに入った。

 

 

医者

「とにかく、今スグは血液内科のベッドが空いてない から、今日は一旦家に帰って、入院の用意をしてき てください」

 

「先生、どうにか入院させてください、何かあったら 心配だし。

 ね?さと福、そうしよう?」

 

 

その日は、整形外科だったか他科に一泊させてもらった。

 

整形外科までの道さえ車椅子移動だった。

倒れて頭でも打ったら、今の血液の状態では危ないと言うことだった。

 

骨髄検査をしていたので、入浴はできずに、タオルで体を拭いてベッドに入った。

母は簡易ベッドを用意してもらって隣に寝ていた。

 

 

 

私は、後に、この日帰らなかったことを後悔しています。

この日緊急入院してから、約2か月、一時退院まで家に帰れませんでした。

 

母は母で心配だったのだと思います。

医療の現場で働いていたので、何かあった時のことが人一倍頭に浮かんでいたのだと思う。

 

母は、表面上は、私さと福の意見を優先させる理解ある母を装っているようで、

子供を心配するあまり自分の考えをおしすすめていくということが

多々あった。

 

子を思う母の気持ちというものは私には想像でしかわからない。

 

母に感謝する一方で、その後、母と娘の緊密な関係ゆえに私は息苦しさも感じていくのであった。

 

いずれ書きたいが、その人の家族との関係もあるが、闘病していく上で、親の意見と子の意見をすり合わせるのは難しいこともある。

親は親で経験もあって、こどもを良き方向へ導きたいし、子供も1人の人間として(未熟かもしれないが)こうしたいと言う思いもある。

 

 

 

 

 

入院した夜は泣きすぎて頭痛ががんがんしていました。

 

私、5年後に生きている確率は40%なんだ、、、

なんだ、順調に生きていくんじゃなかったんだ。

 

 

 

医療の勉強をしていた時に学んだ1つに

がんの指標として

5年生存率

というのがありました。

 

 

私がブログに書きたかったことの理由の1つですが、

白血病のブログを書いている人や

闘病をしている方が、

5年後どうなったかを知ることがあまりできなかったんです。

(自分の調べ方が下手だったのか?)

 

 

 

私はどうせ書くなら、5年経って、元気ですよ!

と安心させたいと思っていました。

 

もちろん、白血病にもいろいろな型があって一概には言えません。

 

今日、

白血病と告知された方、

闘病を支える家族の方、

ここに、治療をして、社会復帰している人がいます。

 

 

 

安心してください、

私、5年経っても生きますから!

 

 

 この後、苦しい苦しい治療に入っていきます。

 

 

 

今、不妊治療に取り組んでいるが、この栄養学セミナーが結構勉強になるのでお勧めです♪